オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 土山宿~坂下宿)



 土山宿から坂下宿間は、約二里半あります。



 道の駅土山から出発します。街道をゆくと海道橋に差し掛かります。これは、木造の橋で2005年に竣工された物で当時の板橋を再現しているそうです。車で渡る事は出来ない様なので、車の場合は国道1号に迂回しないといけません。
 国道1号に出て鈴鹿方面に進むと、途中国道から少しそれた所に、蟹塚があります。蟹ヶ坂飴の伝説が残る処です。古戦場にもなっていたようです。
 蟹塚から少し行くと、猪鼻交差点には、あいの土山公園がありますが、調べてみても何も分かりません。この辺りに立場が有ったのではないか?と思います。猪鼻は、休憩場所として栄え、草餅や強飯が名物だったそうです。
 猪鼻から少し行くと、山中一里公園地に着きます。此処は、国道1号、旧東海道、第二名神高速が交差する場所です。程なくして鈴鹿馬子唄の碑が有ります。
 馬子唄の碑から、暫く国道1号を進むと鈴鹿トンネルの手前に万人講常夜燈が立っています。万人講常夜燈は、江戸時代金毘羅参りをする人々が、道中の安全を祈願して建立された物です。トンネル工事の際に現在の場所に移設されたということで、土山側からの峠の入り口の役割を負っているのかもしれません。
 トンネルを出て少し行くと、鈴鹿峠関宿側登りと、石碑があるのではないか?と思うのですが国道1号を反れて、山道を行かなければならない様で、車も使えそうにありません。実際、そこへ行くことが可能かどうかですね!元は、この辺りが坂下宿の中心だったそうです。



 トンネルを抜けると、三重県に入ります。国道とは言え、九折の急なカーブが続きます。鈴鹿峠の坂下側は、八町二十七曲と言われるほど急な曲道の続く険しい道だったと言われます。
 トンネルを通らず旧東海道を行くと、芭蕉の句碑もあるようですが。行ける様な処なのかどうか?分りません、多分、車は行けないのではないでしょうか?
 鈴鹿川に沿って、国道1号を進み、途中国道を反れ、街道に入ります。いよいよ坂下宿です。
 坂下宿は、江戸から見ると鈴鹿峠を控えた宿場町として賑い、鈴鹿馬子唄では「坂の下では大竹小竹 宿がとりたや小竹屋に」と唄われていました。大竹やとは、本陣の1つで、小竹屋は脇本陣だそうで、小竹屋には庶民も止まっていたそうです。



 次回は、関宿を目指します。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 水口宿~土山宿)



 水口宿~土山宿、二里半(12.1km)を進みます。



 水口宿を出て、野洲川沿いを進んで行きます。ほどなく、今郷一里塚があります。このまま街道をゆくと、茅葺家などが見ることも出来るそうです。
 このまま街道を進むと野洲川に架かる屋根のある歌声橋があり、橋を渡って、街道を離れると旧松尾川の渡しがあります。松尾川は江戸時代の野洲川の呼び方だったようです。船で川を渡っていたと言う事は、ここも交通の要所だったのでしょう。
 街道に戻り土山宿を目指すと、大黒屋本陣跡に到着です。大黒屋本陣は甲賀武士の末裔土山氏と土山の豪商大黒屋が勤めていた本陣であると、言う事です。近くには土山家本陣跡もあります。
 土山家本陣跡から少し行くと、来見橋に差し掛かります。此処が土山宿の東の入り口らしいです。しかし、その後も土山一里塚や上島鬼貫の句碑などもあります。
 ならば、西の入り口は?どうやら、大黒屋本陣跡の辺りが西の入り口らしいです。



 土山宿は、平安時代より伊勢参宮道が旧東海道筋を通る為、鈴鹿峠を越えなければならず、難所を控える宿駅として発展しました。鎌倉時代東西の交通が更に重要視され、武士、商人、庶民の通行も盛んになりました。更に、土山宿は雨の多い所でもあり、鈴鹿馬子唄では、「坂は照るてる 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る」と唄われています。坂は坂下宿、鈴鹿は鈴鹿峠、土山は土山宿で、坂下宿は晴でも、鈴鹿峠で曇り、土山宿では雨が降っているという意味です。
 土山宿での、美味しいものを調べてみました。道の駅あいの土山の抹茶ソフトの盛り放題というのが有りました、一日100個限定らしいです。次に日本一たい焼き国道1号沿いに有り、行列のお店だそうです。そして、蟹ヶ坂飴、麦芽水飴を煮詰め丸く成型した飴です、この飴の発祥には蟹の言い伝えが在ります。この飴は土山宿でしか手に入るのでは?



 次は鈴鹿越えの坂下宿を目指します。