オッサンのブラリ一人旅(松島新地)



 この記事は、2016年4月にSeesaaブログで公開したものです。



 飛田新地を散策した後、松島新地にも立ち寄りましたが。さて、電車は何処で降りればいいのか?芦原橋?西九条?とりあえず新今宮駅へ地下鉄の九条駅が最寄り駅と言うのが判明。ここは痩せるために芦原橋から歩くことに…しかし考えが甘かった。遠い、とにかく遠い。たった1駅なのに、難波~梅田間なら何度も歩いたことがあるのですが…考えてみれば、朝から何も食べていませんでした。しかも、飛田で十分過ぎるほど歩いています少し無謀でした。
 兎にも角にも、松島新地に辿り着きました。松島新地の街並みです
 松島新地は、明治時代に築かれた遊郭で、松島遊郭とも言います。近隣の九条新道も大阪有数の商店街として栄えましたが、大阪大空襲で焼失しました。戦後赤線として復活しましたが、「売春防止法」施行語現在の形になりました。
 夕方に向けて営業が始まっているお店が多くなってきて、お姐さんやおばちゃんが席を外している店が無く店先を撮ることが出来ません。何とか1枚角度を変えて取れました。建物も、飛田同様古い建物が多いです。
 近くの商店街の写真を撮っていた積りだったのですが、撮れていませんでした。しかし、飛田の商店街と比べると活気もあり、おしゃれなお店も多く遊郭も安心して歩く事が出来ました。



オッサンのブラリ一人旅(西成 飛田新地)



 この記事は、2016年4月にSeesaaブログで公開したものです。



 さて、治験の後、以前から散策してみたかった西成の飛田新地に行ってきました。JR新今宮駅を降りるとあいりん地区の職安が有ります。
 駅前の通りです。簡易宿泊所にはこんな看板も。
 商店街の風景です。シャッターが降りているお店が多く、まさにシャッター商店街と言う感じですが、定休日なのか?どちらか定かでは有りません。
 やって来ました。飛田新地です。
 飛田新地は大正時代に築かれた日本最大級の遊郭でした。1958年売春防止法が施行されて以降は、「飛田料理組合」が設立されました。表向きは、料亭ですが営業内容は売春防止法施行までと何等変わっていません。建前としては客と仲居との自由恋愛と言う事だそうです。写真などはご法度だそうです。勇気をもってお姐さんが顔を出しているお店でダメもとと思いながら写真を撮ってもいいか?と聞いてみたところやはり拒否されました。お姐さんもおばちゃんも席を外している店を見つけ写真を撮ってみました。
 本来の料亭で営業している「鯛よし百番」です。大正中期に遊郭として建てられた建物で、国の登録有形文化財に指定されています。
 飛田新地の街並みです。古い建物も多く歴史的に評価される様なものも有るようです。その反面防災と言う事に関しては不安を覚える建物も多数存在しています。
 街の外れにこんな所が、有りました。飛田の遊郭で働き、様々な事情で遊郭から出ることなく亡くなった方々を供養する慰霊碑です。
 「飛田料理組合」会館です。時計台は何か縁のあるものかな?と思ったのですが、近くの店のおばちゃんに聞いたところ、何もないと言う事でした。
 駅へ戻る途中、飛田界隈の地図と、こんなものを見つけました。地域のお地蔵さまです。
 以前、登録しているクラウドソーイングで遊郭の思い出を書く仕事が有りました。結局、採用されませんでしたが、以下その時の文面です。良い子の皆さんは読まないでください。



初めての遊郭。大阪飛田新地(懐かしき昭和の思い出)

 もうカレコレ30年以上前の事です。当時、仕事を代わって間もないころ初めて給料で遊郭デビューをしました。それまでに、新しい職場の同僚に連れられて飛田新地を歩いたことが有り、予備知識は有りました。給料をもらって初めての週末、仕事が終わってから一人で向かったのですが。
 当時の私にとって夜の遊郭と言うのはなかなか妖しい雰囲気が有りました。何処に入ろうか?悩みながらうろつき、自分より少し御姐さんぽい女性の所で足が止まりました。料金は1万円位だったと思います。お金を払い、緊張しながら部屋に通されジュースが運ばれてきました。その時に聞いたのですが、遊郭のその手の店は、料理旅館という扱いになっており飲食を伴わないといけないので飲み物を提供しているようです。
 いよいよ、お姐さんと二人きりです。少し話をし、自分が童貞であるといいました。彼女は、あまり童貞が好きではなかったようですが・・・(今なら、店に相手を代えてくれるように言うのですが・・・)その後、お姉さんにリードして貰いながら事に及びました。
 事が終わった後彼女が「お客さん本当に童貞?」と聞いて来るので、「実は・・・」何を思ったのか正直に答えてしまいました(尤も、ほとんど経験がなく童貞と一緒だったのですが・・・)。その後は彼女も引いてしまい、時間まで気まずいまま過ごしました。
 その後も何度か飛田新地に通いましたが、遊郭以外にもあり、飲み屋などで連れ出しとか、ポン引きの小父ちゃんや、小母ちゃんがいたりと、色んな処でお世話になりました。学生時代、大阪に居ましたが、その頃は私自身が奥手だったのと少ない仕送りアルバイトもそんなにしていなかったので、飛田にはまるっきり縁が有りませんでした。30~40年前の1万円と言えば学生にとってはかなりの大金でおいそれと行けるものではありません。しかし、学生時代に遊郭デビューしておればと思ったりもしています。
 大阪の遊郭は飛田の他にも松島新地・信太山新地・今里新地・滝井新地などが有ります。松島新地は一度、冷やかしで歩いたことは有りますが飛田以外の遊郭は縁が有りませんでした。
 赤線等が在った頃は、遊郭などで初体験をして、それから普通の女性と付き合ったのでしょうね。今は、どうでしょうか?現在の草食男子は、遊郭のお世話になる事は有るのでしょうか?今の若者と遊郭の関係を調べてみるのも面白いかも知れませんね。例えば、20代の男性を対象に遊郭の経験が有るか?とか、もしかしたら年齢=彼女いない歴さらに遊郭や風俗の経験すら無い若者がどの位居るのか?こんな事を考えていると、少し日本の将来が不安になってきました。
 飛田には妖怪通りと言うのが在るそうで、歩いてみたかったのですがどこか分からずじまいでした。ちなみにお店に入っていけない事をするようなことはしていませんので念の為。この後は九条にも立ち寄りました。