オッサンのブラリ一人旅(三田天満神社)



 この記事は2016年4月にSeesaaブログで公開したものです。



 郷の音とは別の日でしたが、この日と、翌日が絶好の花見日和と言う事だったので、もう一度三田へ、郷の音とセットで周るつもりの所でしたが、時間の都合で行けなかった所です。



 そんな訳で、三田天満神社へ、行ってきました。参道は住宅街の中にあり、突当りを左に曲がったところにあります。
 神社は丁度崖の上にあり、三田市街が一望できます。更に武庫川の桜も見る事が出来ます。
 鳥居をくぐると、早速桜が出迎えてくれます。三田天満神社はもちろん菅原道真公をお祭りした神社ですが、一説には五千余りの天神様の中の二十五天神の一つだそうです。これは京都の北野天神や、大阪天満宮などと並び称されているとのことです。つまり北野天神や大阪天満宮と同格の由緒ある神社と言う事になります。平日にも関わらず駐車場も満車です。
 門と境内の風景です。
 本殿です、脇にはやっぱり牛が居ました。
 大阪天満宮と同じように、多くの神様が祀られています。本殿の左側に祀られていました。
 本殿の右側には稲荷神社が祀られています。
 天神公園にやって来ました。平日なのに、多くの家族連れで賑っていました。
 此処の枝垂れ桜は未だ早いようです。ソメイヨシノの早い物は青い芽が出ています。
 平日、これだけ家族連れが多いとオッサン一人で桜を見るのはちょっと浮いてしまいます。



オッサンのブラリ一人旅(法道仙人の足跡を行く 長明寺)



 3月14日に東京、3月18日に熊谷と横浜でソメイヨシノが開花しました。此処から暫く、「オッサンのDreamJourney(昔の人はエライ!)」を更新できない時は以前にSeesaaブログで公開した桜スポットを紹介したいと思います。



 この記事は、2016年4月にSeesaaブログで公開したものです。



 駅桜の途中、長明寺に立ち寄りました。此処も桜の名所と言う事で立ち寄ったのですが…国道175号線板波橋交差点を東に入ったところにあります。
 参道を上ると、仁王門が出迎えます。いつも、仁王像の画像は暗かったり、障害物が在ったりでうまく撮れませんが、今回は結構きれいに撮れました。
 仁王門をくぐると、桜の向こうに参道が続きます。駐車場にも鮮やかな桜が仁王門の隣から車で奥の駐車場へ行くことが出来ます。
 参道沿いには別のお寺もあります。高野山真言宗の宝光寺です。
 平和の塔はビルマ(ミャンマー)から送られたそうです。
 長明寺は651年法道仙人によって開基されたとされます。本堂には十一面観音像、朱塗り撫仏が祀られています。この他の情報としては、源頼政ゆかりの寺としか分かりません。建立がいつ頃で。現在の所にはいつ頃からあるのかと言うよう様な情報がネットでも調べることが出来ませんでした。一応高野山真言宗のお寺の様です。
 長明寺に着きました。山門をくぐると、境内には桜が・・・
 本堂です、残念ながらご本尊は観ることは出来ませんでした。
 頼政公が歌った歌碑です。武将として有名だった頼政ですが、歌人としても有名で新古今和歌集にも歌が残っています。
 源頼政には鵺退治の伝説もあります。この伝説は平家物語にも記されています。
 鵺退治の様子をモニュメントにされていました。
 折角由緒あるお寺です。源頼政のゆかりの寺としての紹介だけでなく、長明寺自体の紹介をもっとするべきではないでしょうか?説明看板ももう少しあればいいのかな?と思います。但し、看板設置によって、有料にならないように願います。



 この他にも西脇市内には由緒あるお寺が在るようですが、あまり紹介されていません。お寺の名前だけであったり、紹介自体も極めて簡単だったりします。観光協会はもう少しアピールに力を入れても良いのではないでしょうか?



オッサンのブラリ一人旅(浪速七幸巡り 安居神社)



 この記事は、2016年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 今宮広田神社を後にして、国道25号線を四天王寺目指して歩きます。この日は、最高気温が30度に届こうか?と言う晴天の中、逢坂までやって来ました。
 逢坂沿いに、こんな所が有りました。安居神社・安居天満宮・真田幸村戦死の地?偶然見つけたのですが、なかなか興味深いキーワードが盛り込まれています。気力的にまだ余裕が有ったので、散策(徘徊?)してみることに。
 ビルの谷間に、森と参道が有ります。そこを抜けると神社が現れます。
 安居神社の創建年は不詳ですが当初、少彦名神祀られていましたが、菅原道真が大宰府に流されるとき風待ちの為此処で休息をとった事から、道真公も祀られ安居も名が付いたとも、言われています。また、天王寺三名水の井戸が在る事から「安井」と呼ばれた等諸説あるようです。更に、大丸の創業者が信仰していたことから大丸天神と称されることも有るそうです。
 真田幸村は大坂夏の陣に敗れ、退却の途中この地で、休んでいたところ、敵に見つかり討ち死にしたと言う事です。
 幸村は、境内にある一本松の下で戦死したのですが、当時の松は枯れ死しましたが、社殿復興を機に植樹されたそうです。
さなだ松
 当然、天神宮には、牛がいます。本殿の中までは撮ることが出来ませんでした。狛犬はこんな感じです。
 御多分に漏れず、稲荷神社が有ります。もう一つの祠は金山彦神社です。
 友好都市の長野県、上田市から送られたしざれ桜です。
 西側の参道からの風景です。少し歩くと国道25号に出ます。
 境内から下を見た景色です。降りて行くと天神坂が続きます。
 天神坂を歩き出すとすぐに、湧水が有ったのですが、この時は、水が有りませんでした。
 途中こんなお寺も有ります。不動明王が安置されています。坂を見下ろすと、映画かドラマのロケーションに使えそうです。
 この後、四天王寺へ向かいますが、四天王寺から廻っていたら、おそらく、四天王寺だけで終わっていたでしょう。



オッサンのブラリ一人旅(浪速七幸巡り 今宮廣田神社)



 この記事は、2016年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 今宮戎神社の北にも鳥居が見えています。戎神社の関連施設か?と思ってしかず来ました。廣田神社となっています。時間にも余裕が有り、少し覗いて視ようと思い立ち寄りました。
 境内に入るとすぐに、こんな物が有りました。アカエは、痔疫の平癒を祈り、アカエの絵馬を奉納するもので、痔・地、音が通じていることからこの地の守り神になったとか?
 百度廻り石はこの石と本殿の間を回ってお百度参りをするそうです。
 こちらの狛犬は至って普通と言う感じです。
 本殿です。今回もちゃんとお賽銭をさせていただきました(エヘン!
 本殿の左側に、稲荷神社に続く鳥居が有ります。他の神社のお稲荷さんは、有るのかと言う程度でしたが、こちらは、少し由緒が有りそうです。只、調べてみましたが、行ってきました。と言う程度の紹介だけで、神様については触れられていませんでした。赤土稲荷です。祭神は米倉稲荷大神・楠稲荷大神・赤土稲荷大神です。造も、ほかの稲荷神社とは違います。神社の裏へ回れるのは。天満神社宮の稲荷神社と同じです。
 西側の門からの境内です。本殿の他にもこんな祠も。アカエの絵馬も奉納されていました。
 一通り境内を散策し本殿の前を通りかかると、本殿横の受付におばさんがいました。少し話を聞いてみようと思い。声を掛けました。
 この神社は、戎神社と同じく四天王寺の守り神として作られたそうです。そして西宮の廣田神社(実は、廣田神社が神戸にあると、思っていておばさんが西宮の廣田神社と言うのを神戸の、と言っていました。後で調べるとやはり西宮の廣田神社でした。)と同じ撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと。天照大神の荒魂)を祀る系統で、格は西宮の方が上との事です。現在は、地域の氏神様として存在しているそうです。
 戎神社が思ったより小さい事を言うと、カメラワークのマジックでそう見るらしいとの事でした。戎神社より廣田神社の方が面白いと言うと、戎神社は整備されて綺麗だけどこっちは森の中の古いままの神社だからと、自虐気味に言って居られましたが決して、そんな積りで言ったのでは無いのですが…。



オッサンのブラリ一人旅(浪速七幸巡り 今宮戎神社)



 この記事は、2016年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 現在、なにわ七幸めぐりにチャレンジ中ですが。今回はその一つ、今宮戎神社です。この後、心が折れなければ、四天王寺まで足を延ばす心算です。
 地下鉄、大国町で電車を降り、国道25号を東へ5分程歩いたところにあります。
 今宮戎神社は言わずと知れた、商売繁盛の神様として知られる神社です。江戸時代から十日戎の祭事が始まったようです。元禄年間には現在のような祭礼が行われているそうです。元は、四天王寺が建立された際に、西の守り神として建てられたとの事です。祭神は天照皇大神、事代主神、素盞嗚命、月読尊、稚日女尊の5柱で、特に事代主神が(えびす)として信仰を集めました。
 国道25号から新しく整備された参道を抜けると神社が有ります。
 鳥居をくぐってすぐ脇に、こんな句碑が有ります。
 本殿の狛犬ですが、狛犬と言うより狛獅子?狛ライオン?
 本殿です、今回は、ちゃんとお賽銭をさせていただきました。罰当たりな事はしておりません。(エヘン!)
 本殿の周りを歩いてみました。三方の画像です。有名な神社の割に境内が、狭いという印象です。
 稲荷社と大国社です。稲荷社は何処の神社にも有ります。大国社は大国町の地名に由来するのかと思ったのですが、それは別の神社だそうです。同じ浪速区に敷津松之宮が有り、そこが大国町地名縁の神社の様です。
 正門の他に、3か所の門が有ります。
 毎年、十日戎の報道を見ている者にとって、今宮戎のイメージはもっと大きな神社であろうと思っていました。今回の参拝で、何だか拍子抜けした感じです。



オッサンのブラリ一人旅(御堂筋 北御堂)



 この記事は、2017年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 南御堂を後にして御堂筋を北上します。ほどなく、北御堂に到着です。
 北御堂は、正式には本願寺津村別院と言います。浄土真宗本願寺派のお寺です。これに対し南御堂は浄土真宗大谷派のお寺になります。御堂筋に面して北御堂は有ります。
 門を入ると、右側に親鸞聖人の像が鎮座しています。親鸞聖人は、鎌倉時代前期から中期にかけての僧侶です。勿論、浄土真宗の宗祖です。
 反対側には蓮如上人の像が有ります。蓮如上人は、室町時代の浄土真宗の僧侶でしたが、当時本願寺は衰退の極みに在り、その本願寺を再興し現在の浄土真宗の礎を築いた人物です。
 本堂です。自由に出入りは出来るようですが、内部の写真撮影が禁止されている様子はないのですが、憚られました。
 北御堂の前を走る御堂筋は、北御堂と南御堂を結ぶことに由来するものです。
 後で分かったのですが、北御堂の北に御霊神社が有り、南御堂に対する難波神社,と同じような地位にある様です。
 今度の治験の時にでも訪ねてみようと思います。



オッサンのブラリ一人旅(御堂筋 南御堂)



 この記事は、2017年4月にSeesaaブログで公開したものです。



 難波神社のすぐそばに、南御堂は有ります。
 南御堂は、通称で正しくは真宗大谷派難波別院と言います。浄土真宗大谷派の寺院です。1595年秀吉から寺地を寄進され、現在の道修町に大谷本願寺が開設されました。その3年後に、現在の場所に移転しました。その後、家康から寺地を寄進された大谷本願寺は京都に移転、その跡地に難波御堂として造営されました。
 現在の、東本願寺御影堂は難波御堂の本堂を参考にしたと言われています。
 難波という呼び名は摂津国西成郡上難波村の旧地であったことに由来します。船場の市街化後も難波神社にかけて大正時代まで上難波北之町と、この辺りは呼ばれていたそうです。
 山門を入ってすぐに、釣鐘が有ります。その脇には芭蕉の句があります。確か芭蕉はこの辺りで没したようです。
旅に病で ゆめは枯野とかけまはる  芭蕉
 本堂です。幸い中の様子も画像に収めることが出来、御焼香もさせていただきました。
 本堂の前には、こんなキャラクターが?名前は何というのでしょうか?
 本堂の南側には庭園が広がっています。
 御堂筋側には、御堂会館が有りますが、残念ながら現在は建て替え工事中です。
 2月下旬ですが、まるで春の様な陽気の中、梅田へと引き返します。



オッサンのブラリ一人旅(元伊勢 天橋立府中側)



 この記事は、2018年3月にSeesaaブログで公開したものです。



 もう、3月の下旬と言うのに2月のネタを更新しようとしています。
 籠神社と真名井神社を周った後、天橋立を散策することにしました。
 籠神社の西側には土産物店が並んでいます。
 土産物店街を歩いていると傘松公園に登るケーブカー乗り場が有ります。
 ケーブ乗り場の隣に階段が続いています、成相寺の碑が立っています。此処を行くと成相寺に行けるのか?と思い上ることに・・・
 登ってみると、そこは成相寺ではなく、大谷寺と有りました。これ以上は登る道もありません。
 お寺の、手前に展望台が有りました。此処からも橋立が一望できます。案外穴場かも知れません。只、股覗きは出来ません。
 来た道を、下っていくと、ケーブルカー乗り場の中にリフト乗り場も有りました。この日は数日前の豪雪の影響で運行はされていませんでした。
 そこから、山の方を見上げるとケーブルカーが昇り降りしている風景も見ることが出来ます。
 更に、土産物店を見物していると、有る店の奥に薪ストーブが有りました。冷えた体を温めたくて、店内へ。
 暫く温まった後、目にとまったのが丹後オイルサーディン物は試しにと3缶ほど購入。未だ1缶を食べただけですが、味の感想はいずれ、「オッサンの手抜き飯」で紹介したいと思います。
 ついでにと、天橋立も散策しようとしたのですが、橋立を対岸迄行くとなるとかなりの時間が掛かりそうです。此処は、敢無く断念、気候の良い頃に来たいと思います。



オッサンのブラリ一人旅(元伊勢 真名井神社)



 この記事は、2018年3月にSeesaaブログで公開したものです。



 さて、籠神社の北側には真名井神社が有ります。籠神社の駐車場から500mほど住宅街を言った処に有ります。
 雪道を抜けて参道に到着です。参道の路肩にも雪が残っています。この週の豪雪の爪痕も残っていました。
 真名井神社にやって来ました。残念ながら工事中で、境内に入るのに、渋滞しています。
 真名井神社は、大和朝廷の時代より前からこの地に有ったという説が有るようです。主祭神が豊受大神であることから、籠神社の外宮との位置付けの神社かと思ったのですが、籠神社では、真名井神社を奥宮、あるいは上宮、籠神社を下宮と称しているようです。更に祭神に天照大神が祀られ、籠神社にも豊受大神が祀られています。
 豊受大神は元々、真名井神社に祀られていたようですが、天照大神と共に伊勢神宮に祀られるようになっています。
 気になるのが籠神社の主祭神ですが、天照大神と思っていたのですが調べてみると籠神社の主祭神は彦火明命 (ひこほあかりのみこと)で天照大神は祭神との事、この事から大江の元伊勢観光センターの方が言われていたことを思い出しました。曰く「籠神社に天照大神が鎮座したという歴史的記述が無く信ぴょう性に疑問が有る」との事でした。しかし、豊受大神自体は丹後国が元の様ですそこから、元伊勢として名乗るのも間違いではないのかも知れません。
 境内に入ると、狛犬の代わりに二匹の龍が左右に鎮座しています。
 龍の横には冷水が涌いていたのですが、参拝した時には何の興味も待たずスルーしてしまいました。
 鳥居をくぐって本殿へ、と、思ったのですが・・・ここから先は、撮影禁止です。
 本殿も工事中で、本当にお詣りだけで引き返す事になってしまいました。工事が終わってからもう一度来る必要が有りそうです。



オッサンのブラリ一人旅(元伊勢 籠神社)



 この記事は、2018年2月にSeesaaブログで公開したものです。



 初詣で、元伊勢に行った際元伊勢観光センターの方が、籠神社の事を話しておられました。曰く、大江の元伊勢の他にも元伊勢を名乗っている神社が有るとの事でした。只、その神社は天橋立に有り観光地化していて、事の真偽は分からないようです。インターネットで元伊勢を調べると籠神社の事が頻繁に出て来ます。ならばと言う事で行ってみることに・・・
 籠神社は、天橋立の傘松側に有ります。すぐ近くには傘松公園に上るケーブルカーの乗り場が有ります。日本海側で大雪が降った後でしたので神社も雪景色です。
 籠神社の読み方はこの神社と読みます。丹後国一宮で元伊勢も一社であるとされています。故に元伊勢籠神社と呼ばれ、又は、元伊勢根元宮、内宮元宮、籠守大権現、籠宮大明神とも呼ばれることがあるそうです。
 神門の両脇の狛犬は、国の重要文化財に指定されています。
 神門です。残念ながらここから先は撮影禁止となっています。
 籠神社の祭神は、彦火明命を主祭神とし、相殿神として天照大神・豊受大神・海神・天水分神とされています。境内の中には猿田彦神社もありました。