オッサンのブラリ一人旅(法道仙人の足跡を行く 長明寺)



 3月14日に東京、3月18日に熊谷と横浜でソメイヨシノが開花しました。此処から暫く、「オッサンのDreamJourney(昔の人はエライ!)」を更新できない時は以前にSeesaaブログで公開した桜スポットを紹介したいと思います。



 この記事は、2016年4月にSeesaaブログで公開したものです。



 駅桜の途中、長明寺に立ち寄りました。此処も桜の名所と言う事で立ち寄ったのですが…国道175号線板波橋交差点を東に入ったところにあります。
 参道を上ると、仁王門が出迎えます。いつも、仁王像の画像は暗かったり、障害物が在ったりでうまく撮れませんが、今回は結構きれいに撮れました。
 仁王門をくぐると、桜の向こうに参道が続きます。駐車場にも鮮やかな桜が仁王門の隣から車で奥の駐車場へ行くことが出来ます。
 参道沿いには別のお寺もあります。高野山真言宗の宝光寺です。
 平和の塔はビルマ(ミャンマー)から送られたそうです。
 長明寺は651年法道仙人によって開基されたとされます。本堂には十一面観音像、朱塗り撫仏が祀られています。この他の情報としては、源頼政ゆかりの寺としか分かりません。建立がいつ頃で。現在の所にはいつ頃からあるのかと言うよう様な情報がネットでも調べることが出来ませんでした。一応高野山真言宗のお寺の様です。
 長明寺に着きました。山門をくぐると、境内には桜が・・・
 本堂です、残念ながらご本尊は観ることは出来ませんでした。
 頼政公が歌った歌碑です。武将として有名だった頼政ですが、歌人としても有名で新古今和歌集にも歌が残っています。
 源頼政には鵺退治の伝説もあります。この伝説は平家物語にも記されています。
 鵺退治の様子をモニュメントにされていました。
 折角由緒あるお寺です。源頼政のゆかりの寺としての紹介だけでなく、長明寺自体の紹介をもっとするべきではないでしょうか?説明看板ももう少しあればいいのかな?と思います。但し、看板設置によって、有料にならないように願います。



 この他にも西脇市内には由緒あるお寺が在るようですが、あまり紹介されていません。お寺の名前だけであったり、紹介自体も極めて簡単だったりします。観光協会はもう少しアピールに力を入れても良いのではないでしょうか?



オッサンのブラリ一人旅(法道仙人の足跡を行く 丹波もみじめぐり 高山寺)



 三か所目は高山寺。
 高山寺の記事は、2015年11月にSeesaaブログで公開していますので、今回の目的は御朱印のみとなりました。
 しかし境内に入り、ビックリ!全く色付いていませんでした。話を聞くと「今年は2週間ぐらい遅い」と、この言葉に騙されました。翌週の後半から紅葉見物を再開すると見頃が過ぎてしまっていました。



 この記事は、2015年11月Seesaaブログで公開したものです。



 場所は、北近畿豊岡自動車道氷上インターから県道を豊岡方面に走り、氷上北交差点を左折2・3分走り、常楽交差点を右折すると、すぐに案内看板が見えます。案内看板通りにゆくと高山寺が有ります。
 高山寺は、天平宝寺元年(757)に法道仙人により開基され、昭和33年現在の場所に移築されました。ご本尊は十一面観音菩薩で、仁王門、三手先の組物や、通し貫などに東大寺様式が伺えます。また、鎌倉時代の阿弥陀如来像、三千仏掛軸、俵藤太秀郷一代記絵巻物、高山寺縁起、両界曼陀羅図などの文化財があります。
 丹波市には丹波三山と言う紅葉の名所が有ります。高源寺、円通寺、石龕寺がそうです。他にも紅葉の名所が有りますが、ここは拝観料が無料でしたので、見ることにしました。ただし私が行ったのは平日だったので、休日はどうなのか?分かりません。
 山門です。言われてみれば、東大寺の南大門をモチーフにしているような気がします。
 参道です、紅葉の並木道が美しいです。
 平日ですが観光客もちらほら、中には中国人観光客らしき一団を発見しました。こんな処にも外国からのお客様が来るのか?
 参道の脇道にも、こんな景色が・・・
 駐車場に戻ってきて、ふと、あの中国人らしき一行の移動手段は?駐車場にはバスもワンボックスも有りません国際免許でレンタカー?ウーン謎です。



 編集しながら気が付いたのですが、本堂の画像がありません。この記事を公開したころはブログを始めたばかりの頃でした。そこまで頭が回っていなかったのでしょう。只、最近は記事の手抜きが多いのですが・・・。



オッサンのブラリ一人旅(法道仙人の足跡を行く 丹波もみじめぐり 五大山白毫寺)



  システムの更新時に不具合が起こり暫くこちらでブログの投稿が出来ませんでした。



 今年の紅葉見物は、丹波三山を回ろうと考えていたのですが、調べてみると丹波市と観光協会が丹波もみじめぐりを企画していました。
 もみじめぐりは十のお寺、高源寺・円通寺・岩瀧寺・達身寺・高山寺・白毫寺・石龕寺・小新屋観音・慧日寺・三寶寺・の紅葉見て回る企画です。
 これは全て廻らねばなるまい!と思い立ちました。



 何処から廻ろうか?まずはコースから一番外れている白毫寺から
 未だ早いだろうと思いつつもそれなりに色付いていました。
 参道には、七福神が鎮座しています。丹波七福神を丹波地方では企画しているようです。白毫寺は布袋尊を祀っているようです。
 白毫寺は藤の名所でも有るそうで、九尺藤と呼ばれています。その事から参道には孔雀が飼われています。
 山門まで来ました。
 白毫寺は、705年法道仙人の開基により創建された天台宗のお寺です。
 山号の五大山は、周囲の山並みが唐の五台山に似ていることから命名されました。
 ご本尊の薬師瑠璃光如来は眉間の白毫から瑠光を放っていたため白毫寺と言われたという説があるようです。
 回向本堂です。此処には、薬師如来、日光菩薩、月光菩薩が祀られています。
 回向本堂の両脇には、ぼけ除け地蔵尊と楽寿観音が鎮座しています。
 楽寿観音です。
 本堂の奥から、山の方には、「十三仏」が建立されています。
 十三仏は人が亡くなった後、13回の審理が行われ、その審理を助け浄土に導くのが十三仏と云われています。
 十三仏の1体です。
 十三仏の反対側には、藤棚が有ります。春には九尺藤が咲き誇ります。
 参道迄戻って来ました。参道沿いに池が有り心字池と言います。
 心字池には太鼓橋が架かっています。この世と仏の世界をつなぐ橋とされています。
 構築時期は、江戸時代元禄年間とされています。
 太鼓橋を渡り奥へ進むと、薬師堂が有ります。総本堂と呼ばれ、ここが本当の本堂です。此処に薬師瑠璃光如来が納められています。
 薬師堂の裏には石段が有り、上がっていくと熊野神社が有ります。
 天正年間、白毫寺背山で和歌山熊野の橋爪一族が銅鉱採掘に当たっており、作業の安全の為熊野三山の祭神を祀ったそうです。
 心字池の紅葉です。
 回向本堂にお参りした後、寺務所で御朱印を頂きました。その時、お寺、あるある敷地内にお社が有る事を訪ねてみました。明治維新の神仏分離令でお寺に神様を祀る事は一部の例外を除いては許されていないのですが、言われる事には、そんなに大きなお社でもないし、極端に言えばバレなければ良いと言う物でした。大体そんな事だろうと思いますが、本当のところはどうなのでしょうか?
 白毫寺の御朱印です。
 白毫寺を含め丹波地方の古寺は、戦国時代に明智光秀の丹波攻めでその多くが焼失しましたが、白毫寺は天正年間中興されました。



オッサンのブラリ一人旅(法道仙人の足跡を行く 青嶺山奥山寺)

 一乗寺の後、立ち寄ったのが青嶺山奥山寺です。
 奥山寺がある場所は、加西市の北東に位置します。丁度一乗寺の反対側に在るという訳です。
 参道の入り口には仁王門が有ります。しかし、格子が施されていて写真はおろか肉眼でも仁王像を見ることが出来ませんでした。 
 参道の途中まで車で行くことが出来ます。その突当りは急な石段が続きます。石段の横にはこんな石碑も。
 石段を登っていくと、途中に経蔵らしき建物が有ります、その隣のお堂は何なのか?看板も何もないので不明です。反対側の平地には地蔵堂らしきお堂が在りますが今にも朽ち果てそうなお堂です。
 お堂の周りには、多くの石仏が鎮座しています。
 残りの石段を登りきると本堂です。
 本堂まで来ても誰にも出会いません。人一人見かけません。寺務所らしき物も見当たりません。
 本堂の更に奥から老夫婦らしき方が下りてこられました。どうやら近所の方の様で、ウオーキングの為にここまで登ってこられたようです。声を掛けて御朱印は何処で頂けるのか?訪ねた所、下の地蔵院で頂けるとの事でした。しかし、この日はご住職が不在だった為頂く事が出来ませんでした。
 奥山寺は、勿論法道仙人の開基です。651年孝徳天皇の勅願で創建された高野山真言宗のお寺で、本尊は千手観世音菩薩です。
 創建以来、2度の火災に合いましたが、1607年再建され、1687年修理が行われました。現在の本堂はその時に建て替えられたそうです。
 本堂の周りには地蔵尊が建立されています。
 本堂の裏の石段を更に登ると多宝塔が建っています。
 この多宝塔は、比較的新しく江戸時代中期1709年に建てられたものです。内部には四天柱、來迎壁が有り、金剛界五仏が安置されています。
 多宝塔の隣にも石段が有りその先には、祠が有りますが何を祀っているのか?不明です。
 秋には紅葉の名所として知られる奥山寺だそうですが、紅葉の季節以外は閑散としているようです。折角の由緒あるお寺ですのでもう少し整備をし、せめて説明看板を増やし、お堂などがどのような物なのか?分かるようにしてほしかったです。貴重な文化財ですの管理される方にもう少し頑張って戴きたいと感じました。
 数少ない看板もこの様な有様です。
 帰りは石段の横の、 坂道を使い下山しました。車を停めている処まで戻ると梅が咲いています。近くに梅林でもあればとは思っていたのですが、何とか梅もカメラに収めることが出来ました。 

オッサンのブラリ一人旅(法道仙人の足跡を行く 法華山一乗寺Ⅱ)

 前回は、執筆意欲が減退し途中で打ち切ってしまいしました。
 いよいよ本堂です。
 一乗寺は天台宗のお寺で、西国三十三所26番の札所でもあります。本尊は聖観音菩薩です。650年孝徳天皇の勅願によって創建されました。開基は勿論法道仙人。春の桜、秋の紅葉の名所としても知られています。
 法道仙人は天竺から紫の雲に乗ってやって来たとされ、架空の人物であろうと考えられています。鉄の宝鉢を持っていた事から空鉢(くはつ、からははち)仙人とも呼ばれています。6世紀から7世紀に日本に来たとされ、播州地方を中心として、一帯の山岳等に数多くの寺院を開基しています。主に加古川流域の地域に縁の寺院が多く有るようですが、丹波地方や、但馬地方、神戸市内、県外にも法道仙人が開基したとされる寺院が有ります。関東地方でも法道仙人由来の地名があるそうです。
 残念ながら本堂内部は撮影出来ませんでした。御朱印は、頂きましたが・・・
 中で、法道仙人が開基した他の寺院は、判らないのか尋ねてみたのですが、正確な事は判らないとの事、中には自称、法道開基の寺院と言うのも在るようです。自分で調べるしか無い様です。
 本堂の内部は撮影出来ませんでしたが、本堂からの鐘楼や三重塔は見る角度が変わりなかなかなものでした。
 本堂を後に、五輪堂迄降りてきました。五輪堂の横から別ルートには、奥の院、賽の河原となっています。そちらの石段を下りると、少し広いところに多数の石仏が、賽の河原?と、思ったのですが未だ奥に参道が続いています。
 更に奥に進むとようやく、奥の院へ着きました。
 奥の院開山堂です。此処に法道仙人が祀られていますが、直接それを視ることは出来ません。
 開山堂の左に賽の河原へと続く道が有りましたが、上を見るとダムの様な感じがしたので、ここが賽の河原だと勘違いしてしまいました。しかし更に奥へ行こうとするには山を歩く装備が必要かと思います。
 開山堂から引き返し、帰路に付くと、放生池にやって来ました。池の周りにも数々の石仏が並んでいます。
 池の真ん中に祠の様なものが有ります。憶測ですが、弁財天を祀っている様です。
 放生池を過ぎると、鳥居が見えます。確か看板には稲荷社が祀られているようですが・・・。
 鳥居を潜っていくと、薄暗い石段の奥に何やらお社が見えます。 
 お社迄行ってみると、見子神社となっています。
 どうやら、この神社には、「石童丸」伝説と言うものが有るそうです。石童丸は説教節「刈萱」という物語の主人公の名前で、架空のじんぶつとされています。
 それでは、稲荷社は何処にあるのか?見子神社の横にひっそりと有りました。その横には、名も知れぬ祠が幾つか並んでいます。
 法道仙人縁の寺院の中には、それとは知らずに、Seesaa ブログに投稿した物もありました。
 折を見てWordPRESSでも、投稿しようと思います。
 一乗寺を後にして奥山寺に向かいます。

オッサンのブラリ一人旅(法道仙人の足跡を行く 法華山一乗寺)

 WordPressがTwitterと連携できたのを機に、Twitterを小まめにチェックしていると、皆さん御朱印を決行集めて居られる事に触発されて、オッサンも御朱印を集めてみようと思いました。
 なにわ七幸めぐりをSeesaa ブログに投稿していた頃に集めていたのですが、その後御朱印に興味を持たずそのままに成っていましたが再開しようと思います。
 去年の秋、大國寺と文保寺に紅葉見物に訪ねたおり、法道仙人に興味を持ちました。そこで、その、法道仙人縁の寺院を訪ねてみようと、思い立ちました。
 先ず、訪ねたのが加西市の法華山一乗寺です。
 一乗寺に行く前に、少し道草です。立ち寄ったのが北条鉄道法華口駅です。
 北条鉄道は一度、乗ってみたいと思う鉄道です。
 法華口駅は1915年開業の無人駅で1日の利用客が39人と言う小さな無人駅です。一乗寺の入り口と言う意味から法華口と言う駅名になったそうです。その事からか駅にはミニチュアの三重塔が建っています。ホームの反対側には桜が有り、春には見事な花が咲きます。
 法華口駅から国道372を南下し、三口西交差点から県道209に入り3K程走った所に一乗寺が有ります。
 駐車場に車を停めまず目に入ったのが、粟嶋堂です。堂内には歓喜天、十一面観世音菩薩、不動明王、粟嶋天尊、毘沙門天、吉祥天、弁財天と七つの神様が祀られています。
 駐車場から少し歩くと一乗寺に到着です。
 入山料を払って参道を進みます。
 目の前には。急で長い石段が有ります。
 石段の途中に在るのが常行堂です。このお堂は聖武天皇の勅願により建立されたものと言う事です。今までに2度焼失し、現在のお堂は1868年に再建されたものです。
 常行堂は、天台宗で常行三昧の行をするために建てられたものだそうです。 
 更に石段を登っていくと、三重塔に到着です。
 一乗寺の三重塔は、1171年の建立で、建立年代の明らかな塔としては、数少ないものです。国宝にも指定されています。
 三重塔とその向かいにある五輪堂です。
 いよいよ、最後の石段です。
 石段を登りきったところにあるのが、鐘楼です。県指定の文化財で、1629年本堂再建の折に建立されたものです。 
 本堂の向にも石段があり、行ってみると護法堂が有ります。毘沙門天を祀り、鎌倉時代の建立です。
 少し離れた場所にも、弁天堂と妙見堂があり共に室町時代のものです。その隣には、行者堂が在りこの建物は1999年解体修理された物です。
 この後本堂に入ります。

オッサンのブラリ一人旅(丹波篠山三山松尾山文保寺)

 大國寺を後にして、文保寺に移動します。
  文保寺の参道前には、石の大きな鳥居があります。 
  文保寺と表記してある碑が有ります。ひょっとして、神仏習合を認められたお寺なのか?と思ってしまいます。  
 ここの参道は、楼門の横の駐車場迄車で行くことが出来ます。
 楼門(仁王門)にやって来ました。
 この楼門は、1385年鎌倉五山の内の建長寺の楼門を模して建立されたそうです。その後戦で焼失しましたが現在の物は天正末期に建立されたものと云われています。
 建物は入母屋造で肘木に唐様が見られます。全体的に和様を基調とし、室町末期の建築様式が見られます。
 楼門です。
 楼門をくぐって直、前方に鳥居があります。
 不思議に思いながら近づいていくと、二村神社と表記されています。
 横に目をやると、別の参道が続いており、山門が有りましたどうやらもう一つの方が文保寺への参道の様です。普通に歩いていると二村神社の方へ行ってしまいます。
 山門を過ぎると、鮮やかな紅葉が目に飛び込んできます。
 入山受付で参道入り口の鳥居と二村神社の事を受付の年配女性に訊いたのですが、先ず文保寺と二村神社は何の関係もないそうで、敷地も別々だそうです。石の大きな鳥居は二村神社が建立されたものだそうです。
 ここから、本堂まで厳しい道のりが続きました。
 ようやくお寺に到着です。石段を登ると本堂があります。石段の横には松尾山と白髪岳に登る登山道があります。 
 文保寺は、大國寺と同じ時代、こちらも法道仙人が開いた寺です。自作の聖観世音菩薩を本尊として安置し聖備山長流寺(しょうびざんちょうりゅうじ)と、建立された当時は称していたそうです。その後、947年戦火により焼失し、正和年間再興され、文保年間に宝鏡寺の宮門跡一品親王真筆の勅額を下賜されました。以降文保寺と呼ばれるようになりました。戦国時代末期、再び戦火に焼失しましたが、江戸時代に復興されました。
 法道仙人は印度より仏教を日本に伝えたと云われるで、架空の人物と言う説が有るようです。加古川上流域、播磨丹波地域には200以上の山岳寺院を開いたと伝えられています。その中で、特に天台宗のお寺が多くみられる様です。 
 本堂と鐘楼です。
 丹波篠山もみじ三山にはあと一つ、高蔵寺が有るのですが、以前桜の時期に訪ねています。シーサーブログでは紹介しているので、今回は敢えて訪ねる事はしませんでした。
 シーサーブログはこちらです。
http://syowyoutei.seesaa.net/
 下山後、折角です。二村神社にも立ち寄る事にします。

オッサンのブラリ一人旅(丹波篠山三山安泰山大國寺)

 紅葉を期待して出掛けた但馬「絹巻神社」と「小田井縣神社」でしたが、もう少し早かったようで、リベンジを期し篠山三山へ出掛けていまし
 先ず訪れたのが、大國寺。
駐車場に車を止めて参道を歩いて行きます。
 境内に入ると、紅葉も色付いています。
 大國寺は、丹波の正倉院とも呼ばれ幾つかの重要文化財を有する、天台宗のお寺です。飛鳥時代に法道仙人が薬師如来を安置し開創されたと云われています。十世紀頃に焼失しましたが、十四世紀頃、再興され時の天皇より安泰山大國寺の称号を得ました。その後豊臣秀吉や代々の篠山城主の崇敬を受けたそうです。
 本殿は、入母屋造の銅板葺きの作りで、建築様式も珍しいものだそうです。
 本堂です。
 近くには高蔵寺や文保寺と言った同じ天台宗のお寺が在り。紅葉の頃にはこの三つのお寺がコラボして丹波篠山もみじ三山を企画しています。
 お寺の裏の遊歩道の紅葉です。
 境内にはお寺にも関わらず、多くのお社があります。特に、境内の両脇には天満宮と出雲社があり、遊歩道の奥には薬師稲荷社がありました。神仏分離の法則から例外を認められたお寺なのか?そうとも思えないのですが・・・考えてみれば、お寺の敷地にお社が有るお寺は結構あります。そのうちこの謎は解明出来るでしょう。
 天満宮です。 
 こちらは弁財天。 
 出雲社です。 
 この日は、好天で裏の山も色付き始めていました。
 すぐ近くに、文保寺があります。文保寺まで足を延ばすことにしました。