オッサンのブラリ一人旅(御堂筋 北御堂)



 この記事は、2017年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 南御堂を後にして御堂筋を北上します。ほどなく、北御堂に到着です。
 北御堂は、正式には本願寺津村別院と言います。浄土真宗本願寺派のお寺です。これに対し南御堂は浄土真宗大谷派のお寺になります。御堂筋に面して北御堂は有ります。
 門を入ると、右側に親鸞聖人の像が鎮座しています。親鸞聖人は、鎌倉時代前期から中期にかけての僧侶です。勿論、浄土真宗の宗祖です。
 反対側には蓮如上人の像が有ります。蓮如上人は、室町時代の浄土真宗の僧侶でしたが、当時本願寺は衰退の極みに在り、その本願寺を再興し現在の浄土真宗の礎を築いた人物です。
 本堂です。自由に出入りは出来るようですが、内部の写真撮影が禁止されている様子はないのですが、憚られました。
 北御堂の前を走る御堂筋は、北御堂と南御堂を結ぶことに由来するものです。
 後で分かったのですが、北御堂の北に御霊神社が有り、南御堂に対する難波神社,と同じような地位にある様です。
 今度の治験の時にでも訪ねてみようと思います。



オッサンのブラリ一人旅(御堂筋 南御堂)



 この記事は、2017年4月にSeesaaブログで公開したものです。



 難波神社のすぐそばに、南御堂は有ります。
 南御堂は、通称で正しくは真宗大谷派難波別院と言います。浄土真宗大谷派の寺院です。1595年秀吉から寺地を寄進され、現在の道修町に大谷本願寺が開設されました。その3年後に、現在の場所に移転しました。その後、家康から寺地を寄進された大谷本願寺は京都に移転、その跡地に難波御堂として造営されました。
 現在の、東本願寺御影堂は難波御堂の本堂を参考にしたと言われています。
 難波という呼び名は摂津国西成郡上難波村の旧地であったことに由来します。船場の市街化後も難波神社にかけて大正時代まで上難波北之町と、この辺りは呼ばれていたそうです。
 山門を入ってすぐに、釣鐘が有ります。その脇には芭蕉の句があります。確か芭蕉はこの辺りで没したようです。
旅に病で ゆめは枯野とかけまはる  芭蕉
 本堂です。幸い中の様子も画像に収めることが出来、御焼香もさせていただきました。
 本堂の前には、こんなキャラクターが?名前は何というのでしょうか?
 本堂の南側には庭園が広がっています。
 御堂筋側には、御堂会館が有りますが、残念ながら現在は建て替え工事中です。
 2月下旬ですが、まるで春の様な陽気の中、梅田へと引き返します。