オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 庄野宿~石薬師宿)



 庄野宿から石薬師宿を目指します。距離にして一里(3.9km)も無い道のりです。



 庄野宿から国道1号に出て暫く進むと再び東海道に入ります。程なく、石薬師の一里塚があります。江戸日本橋から数えると102番目の1里塚です。此処が石薬師宿の入り口となるらしいです。
 少し行って、街道から逸れると、石薬師寺の蒲桜があり、ヤマザクラの一種と言う事です。石薬師寺自体は少し離れた所にあります。
 石薬師寺は、真言宗東寺派のお寺で、元は高富山西福寺瑠璃光院と称されていたそうですが、江戸時代に高富山瑠璃光院石薬師寺となったらしいです。本尊は薬師如来です。



 蒲桜と石薬師寺の間に、蒲冠者範頼之社と言う源頼朝の弟、源範頼を祀った神社が有ります。願望成就の神様として祀られている様です。
 石薬師寺から少し行くと、佐佐木信綱記念館があり、側には生家もあります。佐佐木信綱は武将の佐々木信綱、音楽家の佐々木信綱、歌人の佐佐木信綱といますが、石薬師宿では、歌人佐佐木信綱を言います。有名なのは、唱歌「夏は来ぬ」の歌詞を書いた歌人として知られています。
 佐佐木信綱記念館から直ぐに、小澤本陣跡に差し掛かります。これは、小沢家が勤めたため小澤本陣と呼ばれているようです。建物は、明治時代に建て替えられ現在は資料館となっています。
 資料館館から少し行くと、北町の地蔵堂があります。どうやら、此処が石薬師宿の江戸側の入り口の様です。
 石薬師宿は、宿場町と同時に、石薬師寺の門前町として栄えましたが、関宿と四日市宿に挟まれた場所で宿場としては、大きくなりませんでしたが、門前町としては賑っていたそうです。



 さて、石薬師宿の美味しいものですが、庄野宿同様これと言ったものはありませんでした。美味しそうなお店はあるようですが、石薬師宿でなければ頂けない様なものではなさそうです。
 次は、四日市宿、三里八丁(11.2km)を目指します。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 亀山宿~庄野宿)



 亀山宿から庄野宿、約二里(7.7Km)の旅になります。



 亀山宿(露心庵跡)を出発し、暫く行くと、亀山市和田地区に入り、和田1里塚が有ります。この、一里塚は復元された物の様ですが、道路が拡幅されるまでは、塚の一分が残っていたそうです。側には、和田の道標もあり、市内に残存する最古のものらしいです。
 和田の道標から直ぐに、法悦供養塔が立っています。この辺りは過って刑場だったらしく、その供養に建てられたそうです。
 途中、街道を反れて県道641号に入り、県道639号から安楽川を渡ったところに能褒野御墓が有ります。此処は日本武尊の墓とされていて、前方後円墳になっています。側には能褒野神社も有るそうです。



 街道に戻って、もう一度安楽川を渡ると、川俣神社が有ります。川俣神社は鈴鹿川沿いに6社有るそうです。鈴鹿川と安楽川が合流する所に点在しているのではないでしょうか?
 少し行くと、中富田一里塚が有りその裏にも川俣神社が有ります。そこから、もう少し行くと、女人堤防塚に差し掛かります。この辺りは、亀山藩と神戸藩の境、鈴鹿川と安楽川の合流地点で水害に悩まされていた処でもあります。それを女だけで堤防を築いたらしいと言う事です。



 その先に本陣跡があります。どうやら、そこが西の入口の様です。その手前にも川俣神社があるようです。
 庄野宿は、東海道で最後に設置された宿場です。関宿や四日市宿の間にある庄野宿は宿泊客が少なく、規模もかなり小さかった様です。現在宿場内には、庄野宿資料館(旧小林家住宅)、問屋場跡、本陣跡、高札馬跡、脇本陣跡などの史跡や見どころがあります。
 庄野宿には、これと言った美味しいものは見当たりませんでした。宿場の規模が小さいのもあるようです。庄野宿で無いと頂く事の出来ない様なものは、残念ながらありません。
 次は、石薬師宿を目指します。距離にして、僅か二七丁(3.9Km)の道のりです。