オッサンのブラリ一人旅(浪速七幸巡り 今宮廣田神社)



 この記事は、2016年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 今宮戎神社の北にも鳥居が見えています。戎神社の関連施設か?と思ってしかず来ました。廣田神社となっています。時間にも余裕が有り、少し覗いて視ようと思い立ち寄りました。
 境内に入るとすぐに、こんな物が有りました。アカエは、痔疫の平癒を祈り、アカエの絵馬を奉納するもので、痔・地、音が通じていることからこの地の守り神になったとか?
 百度廻り石はこの石と本殿の間を回ってお百度参りをするそうです。
 こちらの狛犬は至って普通と言う感じです。
 本殿です。今回もちゃんとお賽銭をさせていただきました(エヘン!
 本殿の左側に、稲荷神社に続く鳥居が有ります。他の神社のお稲荷さんは、有るのかと言う程度でしたが、こちらは、少し由緒が有りそうです。只、調べてみましたが、行ってきました。と言う程度の紹介だけで、神様については触れられていませんでした。赤土稲荷です。祭神は米倉稲荷大神・楠稲荷大神・赤土稲荷大神です。造も、ほかの稲荷神社とは違います。神社の裏へ回れるのは。天満神社宮の稲荷神社と同じです。
 西側の門からの境内です。本殿の他にもこんな祠も。アカエの絵馬も奉納されていました。
 一通り境内を散策し本殿の前を通りかかると、本殿横の受付におばさんがいました。少し話を聞いてみようと思い。声を掛けました。
 この神社は、戎神社と同じく四天王寺の守り神として作られたそうです。そして西宮の廣田神社(実は、廣田神社が神戸にあると、思っていておばさんが西宮の廣田神社と言うのを神戸の、と言っていました。後で調べるとやはり西宮の廣田神社でした。)と同じ撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと。天照大神の荒魂)を祀る系統で、格は西宮の方が上との事です。現在は、地域の氏神様として存在しているそうです。
 戎神社が思ったより小さい事を言うと、カメラワークのマジックでそう見るらしいとの事でした。戎神社より廣田神社の方が面白いと言うと、戎神社は整備されて綺麗だけどこっちは森の中の古いままの神社だからと、自虐気味に言って居られましたが決して、そんな積りで言ったのでは無いのですが…。



オッサンのブラリ一人旅(浪速七幸巡り 今宮戎神社)



 この記事は、2016年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 現在、なにわ七幸めぐりにチャレンジ中ですが。今回はその一つ、今宮戎神社です。この後、心が折れなければ、四天王寺まで足を延ばす心算です。
 地下鉄、大国町で電車を降り、国道25号を東へ5分程歩いたところにあります。
 今宮戎神社は言わずと知れた、商売繁盛の神様として知られる神社です。江戸時代から十日戎の祭事が始まったようです。元禄年間には現在のような祭礼が行われているそうです。元は、四天王寺が建立された際に、西の守り神として建てられたとの事です。祭神は天照皇大神、事代主神、素盞嗚命、月読尊、稚日女尊の5柱で、特に事代主神が(えびす)として信仰を集めました。
 国道25号から新しく整備された参道を抜けると神社が有ります。
 鳥居をくぐってすぐ脇に、こんな句碑が有ります。
 本殿の狛犬ですが、狛犬と言うより狛獅子?狛ライオン?
 本殿です、今回は、ちゃんとお賽銭をさせていただきました。罰当たりな事はしておりません。(エヘン!)
 本殿の周りを歩いてみました。三方の画像です。有名な神社の割に境内が、狭いという印象です。
 稲荷社と大国社です。稲荷社は何処の神社にも有ります。大国社は大国町の地名に由来するのかと思ったのですが、それは別の神社だそうです。同じ浪速区に敷津松之宮が有り、そこが大国町地名縁の神社の様です。
 正門の他に、3か所の門が有ります。
 毎年、十日戎の報道を見ている者にとって、今宮戎のイメージはもっと大きな神社であろうと思っていました。今回の参拝で、何だか拍子抜けした感じです。



オッサンのブラリ一人旅(松島新地)



 この記事は、2016年4月にSeesaaブログで公開したものです。



 飛田新地を散策した後、松島新地にも立ち寄りましたが。さて、電車は何処で降りればいいのか?芦原橋?西九条?とりあえず新今宮駅へ地下鉄の九条駅が最寄り駅と言うのが判明。ここは痩せるために芦原橋から歩くことに…しかし考えが甘かった。遠い、とにかく遠い。たった1駅なのに、難波~梅田間なら何度も歩いたことがあるのですが…考えてみれば、朝から何も食べていませんでした。しかも、飛田で十分過ぎるほど歩いています少し無謀でした。
 兎にも角にも、松島新地に辿り着きました。松島新地の街並みです
 松島新地は、明治時代に築かれた遊郭で、松島遊郭とも言います。近隣の九条新道も大阪有数の商店街として栄えましたが、大阪大空襲で焼失しました。戦後赤線として復活しましたが、「売春防止法」施行語現在の形になりました。
 夕方に向けて営業が始まっているお店が多くなってきて、お姐さんやおばちゃんが席を外している店が無く店先を撮ることが出来ません。何とか1枚角度を変えて取れました。建物も、飛田同様古い建物が多いです。
 近くの商店街の写真を撮っていた積りだったのですが、撮れていませんでした。しかし、飛田の商店街と比べると活気もあり、おしゃれなお店も多く遊郭も安心して歩く事が出来ました。



オッサンのブラリ一人旅(西成 飛田新地)



 この記事は、2016年4月にSeesaaブログで公開したものです。



 さて、治験の後、以前から散策してみたかった西成の飛田新地に行ってきました。JR新今宮駅を降りるとあいりん地区の職安が有ります。
 駅前の通りです。簡易宿泊所にはこんな看板も。
 商店街の風景です。シャッターが降りているお店が多く、まさにシャッター商店街と言う感じですが、定休日なのか?どちらか定かでは有りません。
 やって来ました。飛田新地です。
 飛田新地は大正時代に築かれた日本最大級の遊郭でした。1958年売春防止法が施行されて以降は、「飛田料理組合」が設立されました。表向きは、料亭ですが営業内容は売春防止法施行までと何等変わっていません。建前としては客と仲居との自由恋愛と言う事だそうです。写真などはご法度だそうです。勇気をもってお姐さんが顔を出しているお店でダメもとと思いながら写真を撮ってもいいか?と聞いてみたところやはり拒否されました。お姐さんもおばちゃんも席を外している店を見つけ写真を撮ってみました。
 本来の料亭で営業している「鯛よし百番」です。大正中期に遊郭として建てられた建物で、国の登録有形文化財に指定されています。
 飛田新地の街並みです。古い建物も多く歴史的に評価される様なものも有るようです。その反面防災と言う事に関しては不安を覚える建物も多数存在しています。
 街の外れにこんな所が、有りました。飛田の遊郭で働き、様々な事情で遊郭から出ることなく亡くなった方々を供養する慰霊碑です。
 「飛田料理組合」会館です。時計台は何か縁のあるものかな?と思ったのですが、近くの店のおばちゃんに聞いたところ、何もないと言う事でした。
 駅へ戻る途中、飛田界隈の地図と、こんなものを見つけました。地域のお地蔵さまです。
 以前、登録しているクラウドソーイングで遊郭の思い出を書く仕事が有りました。結局、採用されませんでしたが、以下その時の文面です。良い子の皆さんは読まないでください。



初めての遊郭。大阪飛田新地(懐かしき昭和の思い出)

 もうカレコレ30年以上前の事です。当時、仕事を代わって間もないころ初めて給料で遊郭デビューをしました。それまでに、新しい職場の同僚に連れられて飛田新地を歩いたことが有り、予備知識は有りました。給料をもらって初めての週末、仕事が終わってから一人で向かったのですが。
 当時の私にとって夜の遊郭と言うのはなかなか妖しい雰囲気が有りました。何処に入ろうか?悩みながらうろつき、自分より少し御姐さんぽい女性の所で足が止まりました。料金は1万円位だったと思います。お金を払い、緊張しながら部屋に通されジュースが運ばれてきました。その時に聞いたのですが、遊郭のその手の店は、料理旅館という扱いになっており飲食を伴わないといけないので飲み物を提供しているようです。
 いよいよ、お姐さんと二人きりです。少し話をし、自分が童貞であるといいました。彼女は、あまり童貞が好きではなかったようですが・・・(今なら、店に相手を代えてくれるように言うのですが・・・)その後、お姉さんにリードして貰いながら事に及びました。
 事が終わった後彼女が「お客さん本当に童貞?」と聞いて来るので、「実は・・・」何を思ったのか正直に答えてしまいました(尤も、ほとんど経験がなく童貞と一緒だったのですが・・・)。その後は彼女も引いてしまい、時間まで気まずいまま過ごしました。
 その後も何度か飛田新地に通いましたが、遊郭以外にもあり、飲み屋などで連れ出しとか、ポン引きの小父ちゃんや、小母ちゃんがいたりと、色んな処でお世話になりました。学生時代、大阪に居ましたが、その頃は私自身が奥手だったのと少ない仕送りアルバイトもそんなにしていなかったので、飛田にはまるっきり縁が有りませんでした。30~40年前の1万円と言えば学生にとってはかなりの大金でおいそれと行けるものではありません。しかし、学生時代に遊郭デビューしておればと思ったりもしています。
 大阪の遊郭は飛田の他にも松島新地・信太山新地・今里新地・滝井新地などが有ります。松島新地は一度、冷やかしで歩いたことは有りますが飛田以外の遊郭は縁が有りませんでした。
 赤線等が在った頃は、遊郭などで初体験をして、それから普通の女性と付き合ったのでしょうね。今は、どうでしょうか?現在の草食男子は、遊郭のお世話になる事は有るのでしょうか?今の若者と遊郭の関係を調べてみるのも面白いかも知れませんね。例えば、20代の男性を対象に遊郭の経験が有るか?とか、もしかしたら年齢=彼女いない歴さらに遊郭や風俗の経験すら無い若者がどの位居るのか?こんな事を考えていると、少し日本の将来が不安になってきました。
 飛田には妖怪通りと言うのが在るそうで、歩いてみたかったのですがどこか分からずじまいでした。ちなみにお店に入っていけない事をするようなことはしていませんので念の為。この後は九条にも立ち寄りました。



オッサンのブラリ一人旅(御堂筋 北御堂)



 この記事は、2017年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 南御堂を後にして御堂筋を北上します。ほどなく、北御堂に到着です。
 北御堂は、正式には本願寺津村別院と言います。浄土真宗本願寺派のお寺です。これに対し南御堂は浄土真宗大谷派のお寺になります。御堂筋に面して北御堂は有ります。
 門を入ると、右側に親鸞聖人の像が鎮座しています。親鸞聖人は、鎌倉時代前期から中期にかけての僧侶です。勿論、浄土真宗の宗祖です。
 反対側には蓮如上人の像が有ります。蓮如上人は、室町時代の浄土真宗の僧侶でしたが、当時本願寺は衰退の極みに在り、その本願寺を再興し現在の浄土真宗の礎を築いた人物です。
 本堂です。自由に出入りは出来るようですが、内部の写真撮影が禁止されている様子はないのですが、憚られました。
 北御堂の前を走る御堂筋は、北御堂と南御堂を結ぶことに由来するものです。
 後で分かったのですが、北御堂の北に御霊神社が有り、南御堂に対する難波神社,と同じような地位にある様です。
 今度の治験の時にでも訪ねてみようと思います。



オッサンのブラリ一人旅(御堂筋 南御堂)



 この記事は、2017年4月にSeesaaブログで公開したものです。



 難波神社のすぐそばに、南御堂は有ります。
 南御堂は、通称で正しくは真宗大谷派難波別院と言います。浄土真宗大谷派の寺院です。1595年秀吉から寺地を寄進され、現在の道修町に大谷本願寺が開設されました。その3年後に、現在の場所に移転しました。その後、家康から寺地を寄進された大谷本願寺は京都に移転、その跡地に難波御堂として造営されました。
 現在の、東本願寺御影堂は難波御堂の本堂を参考にしたと言われています。
 難波という呼び名は摂津国西成郡上難波村の旧地であったことに由来します。船場の市街化後も難波神社にかけて大正時代まで上難波北之町と、この辺りは呼ばれていたそうです。
 山門を入ってすぐに、釣鐘が有ります。その脇には芭蕉の句があります。確か芭蕉はこの辺りで没したようです。
旅に病で ゆめは枯野とかけまはる  芭蕉
 本堂です。幸い中の様子も画像に収めることが出来、御焼香もさせていただきました。
 本堂の前には、こんなキャラクターが?名前は何というのでしょうか?
 本堂の南側には庭園が広がっています。
 御堂筋側には、御堂会館が有りますが、残念ながら現在は建て替え工事中です。
 2月下旬ですが、まるで春の様な陽気の中、梅田へと引き返します。



オッサンのブラリ一人旅(浪速七幸巡り 阪堺電車)



 この記事は、2016年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 住吉大社への行帰りは勿論、阪堺電車を利用しました。帰りは。南海電車に乗ろうかと考えたのですが、あまり面白そうになかったので、帰りも阪堺電車を利用しました。
 天王寺駅前から乗車し、住吉に到着したのですが、駅では時間が無く慌ただしく乗車住吉に到着しました。この先200mの所に住吉公園駅が有りましたが、今年1月に廃止となりました。その面影はもうありません。駅も、何処にあったんだろうか?
 阪堺電車(チンチン電車)は学生時代に数回乗った事は有りますが、30数年前の事です。廃線になっているのか?と思っていました。
 上町線に乗って来た線路は、堺線と合流し南へ続きます。この先堺市の浜寺まで続きます。
 帰り道、車窓からすれ違う電車を撮ってみました。ようやく、天王寺に到着です。
 治験の度に、大阪の名所旧跡に出かけています。今目標は浪速七幸巡り、しかし、こんなことが出来るということは、失業状態が継続中と言う事…。七福めぐり、が中止になるのが喜ばしい事ですが…全て廻ってしまったらどうしよう(・_・;)



オッサンのブラリ一人旅(浪速七幸巡り 住吉公園)



 この記事は、2016年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 住吉大社の正門から駅の方を見ると、石灯籠が続いています。と言う事は、この道も参道です。何処まで続いているのか?歩いてみました。
 駅を過ぎてすぐに、住吉公園が有ります。住吉公園の名称ですが、ここは住之江区です。1974年住吉区から住之江区が分区した際、住吉公園が住之江区に入ったそうです。
 公園に入って、 右側には花壇が広がっています。
 花壇の側を歩いていると。モニュメントかと思いきや、生きていました。目の前を飛びすぐそばに下りました。同じ鷺です。
 近所のオッちゃん達が将棋に興じたり平日の午後とは思えません。家の近くの公園だったら、休日でも閑散としています。
 公園の真ん中を東西に走る道は、「潮掛け道」と呼ばれ住吉大社の表参道だったそうです。
 国道26号を横切って、すぐに大きな石灯籠が有りました。どうやら、此処がどうやら参道の始まりの様です。
 石灯籠の反対側には、高灯籠が建っています。住吉大社の灯籠で鎌倉時代創建の日本最古の灯台だそうです。現在の物は、1974年に移設し復元されたもので、元はここより更に200m西に在ったそうです。
 引き返して、公園の遊歩道を散策していると、未だ桜が残っていました。この日は4月の終わり、ゴールデンウィークの直前です。
 池の中州に白鷺を見つけました。どうしても収めたくて急いで、撮れる場所を探しました。何とか、間に合いました。
 公園内は他にも野球場やグランドが整備されており、近隣の子供たちの遊び場になっています。



オッサンのブラリ一人旅(浪速七幸巡り 住吉大社外周)



 この記事は、2016年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 一通り敷地内を散策し、外周を歩いてみたくなりました。まずは、電車を降りた住吉駅方面へ歩き出します。
 大海神社の北側の門と・東側の門です。どの神社も、住吉大社の境内を通らなくても、参拝は可能です。北側の門が正門の様です。
 大海神社正門の前で振り返ると神社が有りました。これは行かねばなるまい。
 生根神社です。明治までは住吉大社の摂社でしたが、明治時代に独立の神社になりました。別名、奥の天神と呼ばれているそうですが、菅原道真を祀っている訳でなく少彦名命が祀られています。境内は天満宮程度です。正門と裏門です。
 本殿です、その横には、樹齢500年以上?のもちの木が有ります。
 大海神社の正門を過ぎると飛鳥への小径の碑が有りました。日本書紀にも出て来る道が有ったのでは?と言われているそうです。すぐ目の前に一運寺と言うお寺が在ります。後で調べると聖徳太子建立の由緒あるお寺だそうです。残念ながら訪ねずに行ってしまいました。
 楠珺社迄戻って来ました。楠君社と五所御前の間の道と五所御前の参道に続いています。
 五所御前参道の鳥居前にはこんな大きな石灯籠が有りました。
 住吉大社外周は住宅街の様ですが南側は、昭和40~50年代の雰囲気の建物が建っていました。
 神館へ続く参道前の鳥居の傍らに…こんな処で日向ぼっこ?それとも涼んでいるのか?
 電車通り、表通りまで戻って来ました。正門と南門です。
 住吉大社駅の方にも参道が続いています。何処まで続いているのか?興味が有ります。



オッサンのブラリ一人旅(住吉大社Ⅲ)



 この記事は、2016年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 本殿の奥に、進んでみると。パワースポットが有りました。五所御前です。五・大・力と書いてある3種類の石を集めるとご利益が有るそうです。
 五所御前の参道には、こんな桜が有りました。桜は終わっていました。当然です。
 参道からの門です。門をくぐると。美味そうな鴨が・・・(ヤメロ!)
 楠珺社まで来ました。写真には撮っていませんが、招福猫と言う土人形が有りますがどう見てもネズミに見えてしまいます。ご神木の大楠です。
 小さな祠も並んでいました。大きな神社にはよくある光景です。外国人観光客の親子も。
 大海神社にやって来ました。豊玉彦命・豊玉姫命が祀られています。海幸彦と山幸彦伝説の縁の神社です。
 参道にはつつじが満開です。
 御文庫です。江戸時代からの様々な書籍が保管され研究者も注目するような物も数多く有るそうです。
 神館です、お祭りとか、特別な時にしか門は開きません。
 屋根より🎶高い♬石塘路♬???ン…
 周りも面白そうな物が有ります。未だ住吉大社の紹介は続きます。