オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 四日市宿~桑名宿)



 四日市宿から桑名宿を目指します。三里八丁(14.5Km)の道のりです。



 四日市宿からから間もなく、三ツ谷の一里塚に差し掛かり、それを過ぎて暫く行くと力石があり、近くには羽津城跡があります。羽津城は15世紀後半、田原(藤原)盛宗により築城されました。盛宗はムカデ退治で有名な藤原秀郷の子孫だそうです。
 力石の先には富田の一里塚があります。江戸日本橋から98番目の一里塚です。この辺りは富田の立場だった所で賑っていたそうです。近くの、冨田駅の東側に冨田城が有ったそうですが、今は富田幼稚園に名残として銀杏の古木が残っているそうです
 富田の一里塚から暫く行けば、幕末の国学者橘守部の誕生地の遺跡があります。そこから少し行けば、伊勢朝日町駅の側に縄生の一里塚があり、近くには資料館なども有るそうです。
 朝日町駅からさらに進むと、町屋川に差し掛かり川を渡ると、伊勢両宮常夜燈があります。文政年間桑名や岐阜の材木商たちが寄進したものと言う事です。この辺りは舟遊びの船着き場もあり賑っていたそうです。



 少し行くと、矢田立場に突き当たりますが、途中の道は江場松原と言い松並木が続いていたらしいです。火の見櫓が復元されている矢田立場は旅人の休憩所として賑っていました。この辺りは戦災を免れたと言う事で昔ながらの家並みが見ることが出来るそうです。この辺りから街道は曲がり角が多くなりそうです。
 そのまま、進むと吉津屋見附跡があります。曲がり角が多い事から七曲の見附跡と言われているようです。吉津見附が京都からの入り口なのでしょうか?



 四日市宿と桑名宿間には他にも多くの神社仏閣、名所旧跡、史跡が点在しています。特に浄泉坊と言う浄土真宗本願寺派のお寺は、徳川家に縁のある、桑名藩主の正室の菩提寺だったこともあり参勤交代の折、大名たちはかごを降り黙礼したと言う事です。他にも、桑名市博物館や、安永餅店跡などがあります。
 桑名宿は江戸から42番目の宿場町で、宮宿に渡る七里の渡しを控えて大きく賑った宿です。同時に松平家の城下町でもあり、桑名城は、九華公園になっています。
 桑名宿内にも史跡や見どころが、七里の渡し跡は勿論、大塚本陣跡(船津屋)、脇本陣跡(駿河屋)、通り井跡、柿安本店、桑名宗社(春日神社)、海蔵寺(薩摩義士墓所)、佛眼院(喚鐘、桑名藩藩士墓所)他神社仏閣なども数多く有ります。



 さて、桑名宿で美味しいものと言えば、「その手は桑名の焼き蛤」?の蛤ですよね。色んな店で提供しているようです。店先でも販売している処もあり立ち食いも可能な様です。柿安本店は文明開化初期に開業した牛鍋屋由来の老舗の食品メーカーで外食事業でも老舗のお店です。他には、安永餅があります、これは四日市宿笹井屋のなが餅と同じもので、呼び名が違うだけの様です。只、四日市宿と桑名宿の間でしか食べられない感じがします。
 次は、宮宿に向かいます。約七里と言う事ですが、陸上を移動する場合でも20Kmほどはあるようです。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 石薬師宿~四日市宿)



 2月6日のちちんぷいぷい、昔の人は偉かったは金屋宿から日坂宿を歩いていたそうですが、番組を視ることが出来ませんでした。



 今回は、石薬師宿から四日市宿を目指す妄想の旅です。石薬師宿と四日市宿間は約二里二七丁(11.2Km)の道のりです。



 石薬師宿を出て暫く行くと、杖衝坂に差し掛かります。日本武尊が剣を杖にして登ったといわれる坂です。側には芭蕉の句碑が有るそうで、この坂で落馬した時に読んだ季語の無い句だそうです「歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな」と読まれています。坂の手前には、日本武尊御血塚社があり、三重県の県名の由来となる言葉を残したといわれています。
 少し行くと、内部川には東海道にちなんだポケットパークが有るらしいです。
 内部川を渡り暫く行くと、日永の追分に着きます。随分、伊勢街道との分岐点と言う言葉が出て来ましたが、ここで本当に分岐するのだろうと思います。周辺には伊勢神宮遥拝鳥居や常夜燈もあり、更に追分鳥居の水と言う湧水があるそうで、水質検査もクリアーしているそうです。少し行くと、日永神社が有ります。追分と神社の間には、東海道名残の一本松や日永の一里塚の碑などが有ります。日永の一里塚は江戸日本橋から丁度百里目の一里塚と言う事です。日永の追分辺りには、松並木が続いていたそうです。
 日永神社から少し進むと、古い町並みが残っており、その中には、嘉永年間に建てられた鈴木薬局も有ります。鈴木薬局は300年近く続く旧家で、4代目が長崎で漢方を伝授されたそうです。現在は、製造されていないそうですがいろんな薬が作られていました。



 更に進むと、戦後活躍した小説家丹羽文雄の生家があります。奥には崇顕寺と言うお寺があり丹羽文雄は其処の長男として生まれました。
 丹羽文雄生家から少し行くと、諏訪神社が有ります。どうやらこの辺りから四日市宿の様です。



 四日市宿は四の付く日に市が立っていた事からその名が付いたそうです。古くから港町、宿場町として発展し、東海道、伊勢参りの旅人が集まっていました。宿場内には歌川広重が描いた三滝川、なが餅を販売している笹井屋、東海道四日市資料館、諏訪神社などの史跡や見どころがあります。三滝川の上流には湯の山温泉が有るそうです。
 さて、四日市宿の美味しいものを探してみました。四日市宿でなくても食べる事の出来るものも有りますが、四日市宿でないといけない物がトンテキ丼、店によって違いはありますが豚肩ロースをニンニクと濃いめのソースで焼いた物の丼です。もう一つやはり笹井屋のなが餅は、餡を包み細長く薄く炙ったもので、日永の地名にちなんで永餅と名付けられたそうです。
 次は四日市宿から桑名宿を妄想で旅します。距離は約三里八丁(14.5Km)の旅です。