オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 亀山宿~庄野宿)



 亀山宿から庄野宿、約二里(7.7Km)の旅になります。



 亀山宿(露心庵跡)を出発し、暫く行くと、亀山市和田地区に入り、和田1里塚が有ります。この、一里塚は復元された物の様ですが、道路が拡幅されるまでは、塚の一分が残っていたそうです。側には、和田の道標もあり、市内に残存する最古のものらしいです。
 和田の道標から直ぐに、法悦供養塔が立っています。この辺りは過って刑場だったらしく、その供養に建てられたそうです。
 途中、街道を反れて県道641号に入り、県道639号から安楽川を渡ったところに能褒野御墓が有ります。此処は日本武尊の墓とされていて、前方後円墳になっています。側には能褒野神社も有るそうです。



 街道に戻って、もう一度安楽川を渡ると、川俣神社が有ります。川俣神社は鈴鹿川沿いに6社有るそうです。鈴鹿川と安楽川が合流する所に点在しているのではないでしょうか?
 少し行くと、中富田一里塚が有りその裏にも川俣神社が有ります。そこから、もう少し行くと、女人堤防塚に差し掛かります。この辺りは、亀山藩と神戸藩の境、鈴鹿川と安楽川の合流地点で水害に悩まされていた処でもあります。それを女だけで堤防を築いたらしいと言う事です。



 その先に本陣跡があります。どうやら、そこが西の入口の様です。その手前にも川俣神社があるようです。
 庄野宿は、東海道で最後に設置された宿場です。関宿や四日市宿の間にある庄野宿は宿泊客が少なく、規模もかなり小さかった様です。現在宿場内には、庄野宿資料館(旧小林家住宅)、問屋場跡、本陣跡、高札馬跡、脇本陣跡などの史跡や見どころがあります。
 庄野宿には、これと言った美味しいものは見当たりませんでした。宿場の規模が小さいのもあるようです。庄野宿で無いと頂く事の出来ない様なものは、残念ながらありません。
 次は、石薬師宿を目指します。距離にして、僅か二七丁(3.9Km)の道のりです。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 関宿~亀山宿)



 関宿から亀山宿約一里半(6.9Km)の妄想の旅です。



 関宿、東の追分を出発して直ぐ、お万のもたれ松と言うものがあります。親の仇を討つ為武道に励んでいた女性で、この松に身を隠したという言い伝えがあり、関宿内にお万の墓もあります。
 そのまま、少し、進むと大岡寺畷と呼ばれる地区に掛かります。鈴鹿川沿いを通る道です、過っては松並木が植わっていましたが、現在は桜が植えられているそうです。
 大岡寺畷から暫く行くと、野村一里塚が有ります。この一里塚は三重県で唯一の現存する一里塚です。側には樹齢400年高さ33mの巨大椋が植わっています。100mほど先には一里塚の休憩所も・・・
 野村一里塚から少し行くと、いよいよ亀山宿の入り口と言える、京口門跡です。当時はかなり立派な門だったようで、「亀山に過ぎたるものの二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門」と謳われたそうです。



 亀山宿は、宿場町と同時に、城下町でもあります。1264年平実忠の築城から始まります。藩領内に幕府徳川幕府直轄の宿場が置かれていた為大名たちは亀山宿にとまる事を遠慮したといわれ、宿場の規模はそれほど大きくはならなかったということです。
 亀山宿の範囲は、京口門辺りから露心庵跡辺りと思われます。露心庵は1584年神戸正武による亀山城襲撃で命を落とした戦死者を葬った供養塚だったようです。
 関宿と同様、宿場内には見どころが多く有ります。亀山城跡は亀山公園の一部として整備されています。他に、江戸口門跡があり江戸口門と京口門の間が城下町とされていたそうです。更に大手門跡や、西町問屋場跡などが有り、古い街並みも楽しめそうです。



 亀山宿での美味しいものは?やはり、亀山と言えば、亀山ラーメン、牛骨味噌スープのラーメンです。関宿でも取り上げた、みそ焼きうどんもいろんな店で提供されているようです。
 次は、庄野宿をめざします。