オッサンのブラリ一人旅(大阪 福島藤まつり)



 この記事は、2017年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 4月の治験の前、もう桜が終わりという頃、これからは藤の花が見頃と言う話を聞いて、ネットで調べたところ、治験の頃藤まつりが開催されるとの事。
 藤は、蔓が左巻きの物と右巻きの物が有ります。左巻きの藤を「ヤマフジ」あるいは「ノフジ」と呼び、右巻きの藤を「フジ」または、「ノダフジ」と呼ばれます。そして、大阪福島区野田地区は、「野田藤」発祥の地とされています。
 と、いう訳で、治験の後JR環状線で野田駅へ・・・まずは、その野田藤発祥の地、春日神社を目指します。
 春日神社に近づいたあたりでこんな碑がありました。野田城跡とあります。野田城は戦国時代に福島区の玉川付近に存在したと伝えられますが、どの辺りに在って、どのくらいの規模かなどは、不明のままです。
 野田城跡を通り過ぎると藤まつりの案内が出ており進んでいくと。野田藤発祥の地春日神社です。
 春日神社は、昔は藤の宮とも呼ばれており、藤原氏の祖神が祀られています。江戸時代の文献には藤原氏の分流が春日明神を勧請したと云われています。その後、野田村の庄屋の藤家の氏神として祭られていました。
 ここは、野田藤が植物学者、牧野富太郎に命名されるきっかけとなったとされていますが、真意の程は分かりません。
 室町時代には、足利義詮が住吉詣での途中、この地で藤を観て歌を詠みその後「吉野の桜、野田の藤」と並び称されました。
 少し、物足りないような気がしたので、「見頃にはまだ早いのか?」とスタッフの方に訊いたのですが、これが満開との事でした。しかし、あとで調べてみると、この数日後に満開だったようです。



オッサンのブラリ一人旅(青野ダム)



 この記事は、2016年4月にSeesaaブログで公開したものです。



 三田天満神社から、青野ダムへ移動しました。国道176号線上井沢交差点から、県道308号線を走っていると有ります。三田市の桜の名所の一つでもあります。
 駐車場の奥には桜のトンネルが…しかし扉が有り、これ以上行く事が出来ません。ダムの方へ歩いていくと目の高さに桜が。
 ダム湖、「千丈寺湖」と呼ばれています。バスフィッシングのメッカでも在るようです。この日も釣り人が…
 湖越しの桜です。
 遊歩道の、桜です。気の利いたコメントが出て来ません(._.)
 こちらは、三田天満神社より、落ち着いて、桜を見ることができました。



オッサンのブラリ一人旅(三田天満神社)



 この記事は2016年4月にSeesaaブログで公開したものです。



 郷の音とは別の日でしたが、この日と、翌日が絶好の花見日和と言う事だったので、もう一度三田へ、郷の音とセットで周るつもりの所でしたが、時間の都合で行けなかった所です。



 そんな訳で、三田天満神社へ、行ってきました。参道は住宅街の中にあり、突当りを左に曲がったところにあります。
 神社は丁度崖の上にあり、三田市街が一望できます。更に武庫川の桜も見る事が出来ます。
 鳥居をくぐると、早速桜が出迎えてくれます。三田天満神社はもちろん菅原道真公をお祭りした神社ですが、一説には五千余りの天神様の中の二十五天神の一つだそうです。これは京都の北野天神や、大阪天満宮などと並び称されているとのことです。つまり北野天神や大阪天満宮と同格の由緒ある神社と言う事になります。平日にも関わらず駐車場も満車です。
 門と境内の風景です。
 本殿です、脇にはやっぱり牛が居ました。
 大阪天満宮と同じように、多くの神様が祀られています。本殿の左側に祀られていました。
 本殿の右側には稲荷神社が祀られています。
 天神公園にやって来ました。平日なのに、多くの家族連れで賑っていました。
 此処の枝垂れ桜は未だ早いようです。ソメイヨシノの早い物は青い芽が出ています。
 平日、これだけ家族連れが多いとオッサン一人で桜を見るのはちょっと浮いてしまいます。



オッサンのブラリ一人旅(武庫川桜回廊、郷の音ホール)



 この記事は2016年4月にSeesaaブログで公開したものです。



 2日続けての、桜です。桜が散って仕舞わない内に桜を見て歩こうと思い出かけています。勿論就職活動もやっていますよ。この時期に桜を見て回る時間が摂れたのは初めてのことです。それに、連休前に桜ネタはブログにもアップ出来ませんよね!暫くは桜ネタが続きます悪しからず。何とか桜花賞の予想は出来るよう頑張ります。



 今回は、武庫川桜回廊の郷の音ホール近辺に行ってきました。日曜日だったせいもあり、観光協会がテントを出していました。
 駐車場の反対側にはこんな物が。
 ホールの裏側に廻ると、武庫川が流れています。さすがに休日です。多くの花見客でにぎわっています。
 対岸の桜です。ここはウォーキングコースにもなっています。コースは1週4.5km位有ります。
 まだ、辛うじて、水仙が残っていました。水仙と桜のコントラストです。
 各木々には、川柳が掛けて有ります。散り始めの桜も有りました。
 残念ながら、薄曇りの天候でしたが、近くにも、桜の名所が結構あります。



オッサンのブラリ一人旅(法道仙人の足跡を行く 長明寺)



 3月14日に東京、3月18日に熊谷と横浜でソメイヨシノが開花しました。此処から暫く、「オッサンのDreamJourney(昔の人はエライ!)」を更新できない時は以前にSeesaaブログで公開した桜スポットを紹介したいと思います。



 この記事は、2016年4月にSeesaaブログで公開したものです。



 駅桜の途中、長明寺に立ち寄りました。此処も桜の名所と言う事で立ち寄ったのですが…国道175号線板波橋交差点を東に入ったところにあります。
 参道を上ると、仁王門が出迎えます。いつも、仁王像の画像は暗かったり、障害物が在ったりでうまく撮れませんが、今回は結構きれいに撮れました。
 仁王門をくぐると、桜の向こうに参道が続きます。駐車場にも鮮やかな桜が仁王門の隣から車で奥の駐車場へ行くことが出来ます。
 参道沿いには別のお寺もあります。高野山真言宗の宝光寺です。
 平和の塔はビルマ(ミャンマー)から送られたそうです。
 長明寺は651年法道仙人によって開基されたとされます。本堂には十一面観音像、朱塗り撫仏が祀られています。この他の情報としては、源頼政ゆかりの寺としか分かりません。建立がいつ頃で。現在の所にはいつ頃からあるのかと言うよう様な情報がネットでも調べることが出来ませんでした。一応高野山真言宗のお寺の様です。
 長明寺に着きました。山門をくぐると、境内には桜が・・・
 本堂です、残念ながらご本尊は観ることは出来ませんでした。
 頼政公が歌った歌碑です。武将として有名だった頼政ですが、歌人としても有名で新古今和歌集にも歌が残っています。
 源頼政には鵺退治の伝説もあります。この伝説は平家物語にも記されています。
 鵺退治の様子をモニュメントにされていました。
 折角由緒あるお寺です。源頼政のゆかりの寺としての紹介だけでなく、長明寺自体の紹介をもっとするべきではないでしょうか?説明看板ももう少しあればいいのかな?と思います。但し、看板設置によって、有料にならないように願います。



 この他にも西脇市内には由緒あるお寺が在るようですが、あまり紹介されていません。お寺の名前だけであったり、紹介自体も極めて簡単だったりします。観光協会はもう少しアピールに力を入れても良いのではないでしょうか?



オッサンのブラリ一人旅(浪速七幸巡り 安居神社)



 この記事は、2016年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 今宮広田神社を後にして、国道25号線を四天王寺目指して歩きます。この日は、最高気温が30度に届こうか?と言う晴天の中、逢坂までやって来ました。
 逢坂沿いに、こんな所が有りました。安居神社・安居天満宮・真田幸村戦死の地?偶然見つけたのですが、なかなか興味深いキーワードが盛り込まれています。気力的にまだ余裕が有ったので、散策(徘徊?)してみることに。
 ビルの谷間に、森と参道が有ります。そこを抜けると神社が現れます。
 安居神社の創建年は不詳ですが当初、少彦名神祀られていましたが、菅原道真が大宰府に流されるとき風待ちの為此処で休息をとった事から、道真公も祀られ安居も名が付いたとも、言われています。また、天王寺三名水の井戸が在る事から「安井」と呼ばれた等諸説あるようです。更に、大丸の創業者が信仰していたことから大丸天神と称されることも有るそうです。
 真田幸村は大坂夏の陣に敗れ、退却の途中この地で、休んでいたところ、敵に見つかり討ち死にしたと言う事です。
 幸村は、境内にある一本松の下で戦死したのですが、当時の松は枯れ死しましたが、社殿復興を機に植樹されたそうです。
さなだ松
 当然、天神宮には、牛がいます。本殿の中までは撮ることが出来ませんでした。狛犬はこんな感じです。
 御多分に漏れず、稲荷神社が有ります。もう一つの祠は金山彦神社です。
 友好都市の長野県、上田市から送られたしざれ桜です。
 西側の参道からの風景です。少し歩くと国道25号に出ます。
 境内から下を見た景色です。降りて行くと天神坂が続きます。
 天神坂を歩き出すとすぐに、湧水が有ったのですが、この時は、水が有りませんでした。
 途中こんなお寺も有ります。不動明王が安置されています。坂を見下ろすと、映画かドラマのロケーションに使えそうです。
 この後、四天王寺へ向かいますが、四天王寺から廻っていたら、おそらく、四天王寺だけで終わっていたでしょう。



オッサンのブラリ一人旅(浪速七幸巡り 今宮廣田神社)



 この記事は、2016年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 今宮戎神社の北にも鳥居が見えています。戎神社の関連施設か?と思ってしかず来ました。廣田神社となっています。時間にも余裕が有り、少し覗いて視ようと思い立ち寄りました。
 境内に入るとすぐに、こんな物が有りました。アカエは、痔疫の平癒を祈り、アカエの絵馬を奉納するもので、痔・地、音が通じていることからこの地の守り神になったとか?
 百度廻り石はこの石と本殿の間を回ってお百度参りをするそうです。
 こちらの狛犬は至って普通と言う感じです。
 本殿です。今回もちゃんとお賽銭をさせていただきました(エヘン!
 本殿の左側に、稲荷神社に続く鳥居が有ります。他の神社のお稲荷さんは、有るのかと言う程度でしたが、こちらは、少し由緒が有りそうです。只、調べてみましたが、行ってきました。と言う程度の紹介だけで、神様については触れられていませんでした。赤土稲荷です。祭神は米倉稲荷大神・楠稲荷大神・赤土稲荷大神です。造も、ほかの稲荷神社とは違います。神社の裏へ回れるのは。天満神社宮の稲荷神社と同じです。
 西側の門からの境内です。本殿の他にもこんな祠も。アカエの絵馬も奉納されていました。
 一通り境内を散策し本殿の前を通りかかると、本殿横の受付におばさんがいました。少し話を聞いてみようと思い。声を掛けました。
 この神社は、戎神社と同じく四天王寺の守り神として作られたそうです。そして西宮の廣田神社(実は、廣田神社が神戸にあると、思っていておばさんが西宮の廣田神社と言うのを神戸の、と言っていました。後で調べるとやはり西宮の廣田神社でした。)と同じ撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと。天照大神の荒魂)を祀る系統で、格は西宮の方が上との事です。現在は、地域の氏神様として存在しているそうです。
 戎神社が思ったより小さい事を言うと、カメラワークのマジックでそう見るらしいとの事でした。戎神社より廣田神社の方が面白いと言うと、戎神社は整備されて綺麗だけどこっちは森の中の古いままの神社だからと、自虐気味に言って居られましたが決して、そんな積りで言ったのでは無いのですが…。



オッサンのブラリ一人旅(浪速七幸巡り 今宮戎神社)



 この記事は、2016年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 現在、なにわ七幸めぐりにチャレンジ中ですが。今回はその一つ、今宮戎神社です。この後、心が折れなければ、四天王寺まで足を延ばす心算です。
 地下鉄、大国町で電車を降り、国道25号を東へ5分程歩いたところにあります。
 今宮戎神社は言わずと知れた、商売繁盛の神様として知られる神社です。江戸時代から十日戎の祭事が始まったようです。元禄年間には現在のような祭礼が行われているそうです。元は、四天王寺が建立された際に、西の守り神として建てられたとの事です。祭神は天照皇大神、事代主神、素盞嗚命、月読尊、稚日女尊の5柱で、特に事代主神が(えびす)として信仰を集めました。
 国道25号から新しく整備された参道を抜けると神社が有ります。
 鳥居をくぐってすぐ脇に、こんな句碑が有ります。
 本殿の狛犬ですが、狛犬と言うより狛獅子?狛ライオン?
 本殿です、今回は、ちゃんとお賽銭をさせていただきました。罰当たりな事はしておりません。(エヘン!)
 本殿の周りを歩いてみました。三方の画像です。有名な神社の割に境内が、狭いという印象です。
 稲荷社と大国社です。稲荷社は何処の神社にも有ります。大国社は大国町の地名に由来するのかと思ったのですが、それは別の神社だそうです。同じ浪速区に敷津松之宮が有り、そこが大国町地名縁の神社の様です。
 正門の他に、3か所の門が有ります。
 毎年、十日戎の報道を見ている者にとって、今宮戎のイメージはもっと大きな神社であろうと思っていました。今回の参拝で、何だか拍子抜けした感じです。



オッサンのブラリ一人旅(松島新地)



 この記事は、2016年4月にSeesaaブログで公開したものです。



 飛田新地を散策した後、松島新地にも立ち寄りましたが。さて、電車は何処で降りればいいのか?芦原橋?西九条?とりあえず新今宮駅へ地下鉄の九条駅が最寄り駅と言うのが判明。ここは痩せるために芦原橋から歩くことに…しかし考えが甘かった。遠い、とにかく遠い。たった1駅なのに、難波~梅田間なら何度も歩いたことがあるのですが…考えてみれば、朝から何も食べていませんでした。しかも、飛田で十分過ぎるほど歩いています少し無謀でした。
 兎にも角にも、松島新地に辿り着きました。松島新地の街並みです
 松島新地は、明治時代に築かれた遊郭で、松島遊郭とも言います。近隣の九条新道も大阪有数の商店街として栄えましたが、大阪大空襲で焼失しました。戦後赤線として復活しましたが、「売春防止法」施行語現在の形になりました。
 夕方に向けて営業が始まっているお店が多くなってきて、お姐さんやおばちゃんが席を外している店が無く店先を撮ることが出来ません。何とか1枚角度を変えて取れました。建物も、飛田同様古い建物が多いです。
 近くの商店街の写真を撮っていた積りだったのですが、撮れていませんでした。しかし、飛田の商店街と比べると活気もあり、おしゃれなお店も多く遊郭も安心して歩く事が出来ました。



オッサンのブラリ一人旅(西成 飛田新地)



 この記事は、2016年4月にSeesaaブログで公開したものです。



 さて、治験の後、以前から散策してみたかった西成の飛田新地に行ってきました。JR新今宮駅を降りるとあいりん地区の職安が有ります。
 駅前の通りです。簡易宿泊所にはこんな看板も。
 商店街の風景です。シャッターが降りているお店が多く、まさにシャッター商店街と言う感じですが、定休日なのか?どちらか定かでは有りません。
 やって来ました。飛田新地です。
 飛田新地は大正時代に築かれた日本最大級の遊郭でした。1958年売春防止法が施行されて以降は、「飛田料理組合」が設立されました。表向きは、料亭ですが営業内容は売春防止法施行までと何等変わっていません。建前としては客と仲居との自由恋愛と言う事だそうです。写真などはご法度だそうです。勇気をもってお姐さんが顔を出しているお店でダメもとと思いながら写真を撮ってもいいか?と聞いてみたところやはり拒否されました。お姐さんもおばちゃんも席を外している店を見つけ写真を撮ってみました。
 本来の料亭で営業している「鯛よし百番」です。大正中期に遊郭として建てられた建物で、国の登録有形文化財に指定されています。
 飛田新地の街並みです。古い建物も多く歴史的に評価される様なものも有るようです。その反面防災と言う事に関しては不安を覚える建物も多数存在しています。
 街の外れにこんな所が、有りました。飛田の遊郭で働き、様々な事情で遊郭から出ることなく亡くなった方々を供養する慰霊碑です。
 「飛田料理組合」会館です。時計台は何か縁のあるものかな?と思ったのですが、近くの店のおばちゃんに聞いたところ、何もないと言う事でした。
 駅へ戻る途中、飛田界隈の地図と、こんなものを見つけました。地域のお地蔵さまです。
 以前、登録しているクラウドソーイングで遊郭の思い出を書く仕事が有りました。結局、採用されませんでしたが、以下その時の文面です。良い子の皆さんは読まないでください。



初めての遊郭。大阪飛田新地(懐かしき昭和の思い出)

 もうカレコレ30年以上前の事です。当時、仕事を代わって間もないころ初めて給料で遊郭デビューをしました。それまでに、新しい職場の同僚に連れられて飛田新地を歩いたことが有り、予備知識は有りました。給料をもらって初めての週末、仕事が終わってから一人で向かったのですが。
 当時の私にとって夜の遊郭と言うのはなかなか妖しい雰囲気が有りました。何処に入ろうか?悩みながらうろつき、自分より少し御姐さんぽい女性の所で足が止まりました。料金は1万円位だったと思います。お金を払い、緊張しながら部屋に通されジュースが運ばれてきました。その時に聞いたのですが、遊郭のその手の店は、料理旅館という扱いになっており飲食を伴わないといけないので飲み物を提供しているようです。
 いよいよ、お姐さんと二人きりです。少し話をし、自分が童貞であるといいました。彼女は、あまり童貞が好きではなかったようですが・・・(今なら、店に相手を代えてくれるように言うのですが・・・)その後、お姉さんにリードして貰いながら事に及びました。
 事が終わった後彼女が「お客さん本当に童貞?」と聞いて来るので、「実は・・・」何を思ったのか正直に答えてしまいました(尤も、ほとんど経験がなく童貞と一緒だったのですが・・・)。その後は彼女も引いてしまい、時間まで気まずいまま過ごしました。
 その後も何度か飛田新地に通いましたが、遊郭以外にもあり、飲み屋などで連れ出しとか、ポン引きの小父ちゃんや、小母ちゃんがいたりと、色んな処でお世話になりました。学生時代、大阪に居ましたが、その頃は私自身が奥手だったのと少ない仕送りアルバイトもそんなにしていなかったので、飛田にはまるっきり縁が有りませんでした。30~40年前の1万円と言えば学生にとってはかなりの大金でおいそれと行けるものではありません。しかし、学生時代に遊郭デビューしておればと思ったりもしています。
 大阪の遊郭は飛田の他にも松島新地・信太山新地・今里新地・滝井新地などが有ります。松島新地は一度、冷やかしで歩いたことは有りますが飛田以外の遊郭は縁が有りませんでした。
 赤線等が在った頃は、遊郭などで初体験をして、それから普通の女性と付き合ったのでしょうね。今は、どうでしょうか?現在の草食男子は、遊郭のお世話になる事は有るのでしょうか?今の若者と遊郭の関係を調べてみるのも面白いかも知れませんね。例えば、20代の男性を対象に遊郭の経験が有るか?とか、もしかしたら年齢=彼女いない歴さらに遊郭や風俗の経験すら無い若者がどの位居るのか?こんな事を考えていると、少し日本の将来が不安になってきました。
 飛田には妖怪通りと言うのが在るそうで、歩いてみたかったのですがどこか分からずじまいでした。ちなみにお店に入っていけない事をするようなことはしていませんので念の為。この後は九条にも立ち寄りました。