オッサンのブラリ一人旅(播州一宮 伊和神社 市杵島姫神社)

初めてのまともな、投稿です。どんな、ブログになるのか?期待と不安が入り混じっています。
お盆はブログ開設の準備で結局何処にも行かず、ブログのネタも無くなっていました。何処へ行こうか?と考えていましたが、最近悪天候が続き、雨が降っても残念な気持ちにならない所と考えるとやはり神社、仏閣と言う事で出掛けました。
今回は、播州地方に行ってみようと言う事で、3連休の初日に出掛けたのが、宍粟市一宮の伊和神社です。
一宮と言うのは、前にも述べた通り明治以前、日本の中の各国(丹波国、播磨国、大和国等)で最も格式の高い神社を一宮と呼ばれていました。地域によっては一宮だけでなく二宮、三宮・・・と続く事も在るようです。
という訳で、スマホのナビシステムを頼りに、やって来たのが伊和神社です。国道を挟んで神社の向側は道の駅一宮と神社の駐車場になっています。
さて、参拝という処で門が2つ並んでいます。どちらから入れば良いのか?

スマホのナビシステムでは、未だ到着していないので、ナビに従って右側の鳥居の無い方から入っていきます。

ナビに従って歩いていきます。どうやら車が入る事も可能だったようです。

ようやく、ナビのゴール地点に着きましたすぐ先には裏門が有ります。まずは裏門へ・・・。
裏門です。

ナビのゴール地点に戻ります。

右側に有ったのが、市杵嶋姫神社です。

入っていくと堀に囲まれて祠が有ります。

祭神の市杵嶋姫命(いちきしまひめ)は、日本神話の宗像三女神の一柱で、弁財天とも同一視されることがあるそうです。神仏分離以前は弁財天だったそうです。

堀には、蛙の像や、鯉がいます。

市杵嶋姫神社の右隣には参道が続きます。どうやら裏門の様です。

参道を登りきると下に向かって、べんてんさま参道と記した碑が有りました。

どうやら市杵嶋姫命は伊和神社にとって重要な神様の様です。

この後、改めて正門の方から参拝をします。

シーサーブログでも投稿しますので、よろしくお願いします。内容は同じなのですが、レイアウトが違っています。
http://syowyoutei.seesaa.net/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オッサンのブラリ一人旅(播州一宮 伊和神社)

改めて、正門から入っていきます。
参道には多くの杉などが植えられています。以前紹介した蒼玉神社に参道の雰囲気が似ています。そういえば蒼玉神社も道を挟んだ向かいに道の駅が有りました。

 

神門を抜けつき当たりに手水舎が有ります。

 

左側に境内が広がります。

伊和神社は、言うまでもなく、播磨国の一宮とされる神社で、海神社・粒坐天照神社と共に播磨三大社の一つとされています。
神社のある宍粟市一宮町は伊和神社が播州一宮で在る事から来ているそうです。
本殿です。

  

伊和神社の主祭神は大己貴神(大国主)とされていますが、播磨国の神、伊和大神と同神と見られています。配神は少彦名神と下照姫神。
創祀は546年とされています。成務天皇14年あるいは欽明天皇25年とされています。正暦2年(991年)播磨国一宮とされました。
境内の左奥には、摂末社が並んでいます。

御霊殿は、伊和恒郷命を祭神とし旧神戸村や万国の戦死者を祀っています。

五柱社は、天照皇大神・宇賀魂神・国底立神・須佐之男神・猿田彦神を祀っています。

播磨十六郡神社は播磨の式内社です。反対側にも播磨国十六郡社は有ります。

本殿の裏に周ると、鶴石が有ります。伝承によると土地の豪族・伊和恒郷に大己貴神(大国主)が自分を祀るように告げました。西の野では一夜で木々が群生し、石(鶴石)の上で白鶴が二羽、北向きに眠っているのを見た恒郷はそこに伊和神社を北向きに建てたとされます。

  

前回紹介した、市杵嶋姫神社も伊和神社の摂末社の一つです。
シーサーブログでも投稿しますので、よろしくお願いします。内容は同じなのですが、レイアウトが違っています。
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笑遊亭丹昌です。

こんにちは、笑遊亭丹昌です。
WORDPRESSに初投稿です。
Seesaaブログにも投稿を続けていますが、この度WORDPRESSでもブログを投稿することにしました。その準備の為、8月はSeesaaブログを更新することは出来ませんでした。未だ、固定ページも未完成の部分が有りますが色々手直しを加えながらブログを更新して行きたいと思っています。
Seesaaブログで初投稿をしたときの原稿を見ると、「色々皆さんと勉強しながら社会、政治、経済、スポーツ、エンタメ、旅行、グルメetcをオッサン目線で、感じた事、世の中に言いたい事、役に立つこと、楽しいこと、をアップしていきたいと思います」と書いています。最初の頃は、政治や、社会の事なども書いていましたが、今落ち着いているのが、旅行,競馬、料理あたりがメインになっています。
今後、SeesaaブログでWORDPRESSでの苦労話をアップすると思います。WORDPRESSではSeesaaブログでやっている様な旅行、競馬、料理は続けて行きたいと考えています。
後、動画の投稿や、メルカリ、インスタグラムなどにもチャレンジすることが出来れば良いのですが・・・。
兎に角、アクセス数を少しでもあげていかないといけません。
次回からは、Seesaaと同じように旅行、競馬、旅行を中心としたブログを更新して行きたいと思います。
Seesaaブログにもアクセスしてみてください。http://syowyoutei.seesaa.net/

オッサンのブラリ一人旅(但馬五社巡り 養父神社)

 明けましておめでとうございます。
 出石神社からの帰り道立ち寄ったのが養父神社です。格としては出石神社や粟鹿神社が一宮、二宮に対し、絹巻神社、小田井縣神社と同じ三宮になります。
 当日は、工事中で境内の伐採作業をされていました。それでも参拝は可能です。神社は高台に有ります。





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 参道を登りきると、山陰本線と円山河を望むことが出来ます。
 振り返ると、養父神社が有ります。
 境内には2対の狛犬が鎮座しています。
 1対は普通に座っている狛犬です。





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雌の狛犬
雄の狛犬
 もう1対が、絹巻神社にも鎮座している。構え型の狛犬が居ます。実は狼像だそうです。  
雌の狼像
雄の狼像
 養父神社は、地元では「養父の明神さん」と呼ばれ、農業の神とされています。養父市は古くから但馬牛の市の中心地で今でも競り市が行われています。
 神社の創祀は崇神天皇の頃と伝えられており、737年の但馬国税正帳には、出石神社、粟鹿神社と共に養父神社の名前があったそうです。三宮といえども一宮に近い格式のある神社ではないのか?と思います。
 祭神は倉稲魂命、大己貴命、少彦名命、谿羽道主命、船帆足尼命の5座となっています。
 江戸時代の地誌には弥高山の山頂にあった上社に大己貴命、中腹の中社に倉稲魂命と少彦名命が、現在養父神社が有る場所(下社)に谿羽道主命を祀ると記されていますが。しかし、昭和初期の養父群誌では上社に保食神、五十猛神。中社が少彦名命、下社に谿羽道主命と船帆足尼命が祀られている事になっています。只、いつ現在の場所に五つの祭神がまとめられたのかは?不明です。
 江戸時代は、神仏習合していたようで、水谷山普賢寺と呼ばれ神前で般若心経が奉読されていたそうです。
 拝殿と本殿です。
拝殿
本殿
 本殿の横には朱色の橋が架かっています。橋の向こうに社務所が有ります。養父神社は紅葉の名所としても有名だそうです。紅葉の季節にはこの橋も見応えがあるようです。
 境内には、他にも社がありますが、ここでは摂末社ではなく境内社と称しています。摂末社と境内社の違いは?よくわかりません。
 何とか、元日に更新が出来ました。
 お正月は、残りの一社、粟鹿神社に初詣と行きたいと思います。