オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 舞阪宿~浜松宿)



 3月29日の「所さんお届けモノです!」では、チャンカワイさんが金谷宿、島田宿、藤枝宿、岡部宿、鞠子宿歩いて、東海道の創業100年以上の老舗の新名物を紹介していました。昔の人はエライ!も、もう少しで追いつけそうです。



 舞阪宿から浜松宿へ向かいます。二里三十丁(約12.1Km)の道のりです。
 丁度、MBSの、ちちんぷいぷい(昔の人は偉かった)では、浜松宿・舞阪宿の辺りを歩いています。という事は・・・、妄想ではどこかで、出会った事になります。



 浜松宿、西の入り口はハッキリしません。鎧橋辺りから浜松宿と言う感じでしょうか?
 舞阪宿と浜松宿の間には、浪小僧像、舞阪松並木、春日神社、秋葉常夜燈、篠原一里塚、立場本陣跡、高札場跡、二つ御堂、若林一里塚、などの史跡が有ります。



 舞阪見付石垣を出発して、国道301号との交差点辺りに浪小僧像が有ります。海が荒れたり、風が強くなる時に海の中から太鼓で知らせてくれるそうです。
 浪小僧像を過ぎると、舞阪の松並木が続いていきます。江戸時代街道に松や杉を植えさせたのが始まりとされます。此処の松並木は正徳年間1420本の松が植えられたそうです。現在は、700mに渡り、370本の松が植わっているそうです。松並木の中ほどには、舞阪宿の碑が置かれています。ここで、舞阪宿を離れることになります。
 松並木が終わった、辺りに春日神社が有ります。奈良の春日神社から勧請されたものだそうです。進んでいくと、秋葉常夜燈が点在しています。
 暫く行くと、篠原一里塚の看板が設置されています。近くには立木本陣跡がありますが、看板だけの様です。その先に高札場跡の標識があります。その手前に麦飯長者の標識も有り、昔小野田五郎兵衛と言う長者が旅人に麦飯を振舞った事から麦飯長者と呼ばれたという言い伝えらしいです。



 高札場跡から少し進むと、二つ御堂で、北堂と南堂が有ります。奥州平泉の藤原秀衡が京で大病を患っていると聞いた愛妾が京へ上る途中、この地で秀衡死去の知らせを聞き菩提を弔うため北堂を建立しましたが、秀衡死去は誤報で、病が回復し帰国途中の秀衡はこの話を聞いて南堂を建立したという話だそうです。
 二つ御堂を過ぎると、八丁畷が始まります。八丁畷は真っ直ぐな道が八丁続く事から言われています。
 八丁畷に入ると直ぐに若林一里塚の碑が有ります。その先、鎧橋に差し掛かります。この辺りが浜松宿西の入り口でしょうか?
 浜松宿は、江戸から29番目、京から25番目の宿場ですが距離的には、江戸と京の丁度中間点にあたるとの事です。又、浜松城の城下町としても栄え、遠江国、駿河国を通じて最大の宿場でした。
 浜松宿の宿場内には、鎧橋、子育て地蔵尊、番所跡、梅屋本陣、川口本陣、杉浦本陣、佐藤本陣、高札場跡、大手門跡、浜松城、などの史跡が有ります。



 浜松宿西の入り口では?と思う鎧橋は、平安時代末期比叡山の雑兵に鴨江寺を攻められた時、寺の軍兵が鎧を着てこの橋で守ったという処から鎧橋と言われるようになったそうです。
 鎧橋の先、八丁畷が終わった所には、子育て地蔵尊が有ります。数体の石仏が並んで祀られているそうです。
 子育て地蔵尊を過ぎた先に、番所跡、梅屋本陣、川口本陣、杉浦本陣、佐藤本陣、高札場跡が続けて現れます。何れも碑か看板のみとなっています。この辺りは浜松宿本陣通りと呼ばれている処です。
 本陣通りを抜けた所の交差点に、大手門跡の碑が立っています。交差点を右に行くと街道、直進すると浜松城となります。浜松城は15世紀の築城時は曳馬城と呼ばれていました。1570年徳川家康が入城し浜松城に改名したとの事です。その後、歴代城主の多くが幕府の重役に就き出世城とも呼ばれたそうです。城址は戦後、浜松城公園として整備され、1958年天守が再建されました。
 交差点に戻り、街道を暫く行くと、馬込橋です。此処が東の入り口と言う事になります。



 さて、浜宿の美味しい物は、鰻ばかりに頭が行っていましたが、浜松餃子が有りました。他には遠州焼と言う粉もんがあるそうです。丁度関西で言う葱焼に沢庵が入った物の様な感じらしいです。
 次は、浜松宿から見付宿を目指します。距離にして四里七丁(約14.7Km)となります。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 新居宿~舞阪宿)



 新居宿から舞阪宿へ向かいます。江戸時代は、渡し船で一里の距離でしたが、現在は、陸路で約6.6Kmの道のりになります。



 舞阪宿の、西の入り口は北雁木常夜燈辺りかとおもわれます。
 新居宿と舞阪宿の間には、西浜名橋、中浜名橋、弁天神社、が有ります。



 西浜名橋、中浜名橋、弁天橋は浜名湖を渡る橋です。浜名湖は元々、淡水湖で、新居と舞阪も陸続きで、海面より湖面が高く海水が流れ込むことは有りませんでした。しかし、明応地震の地盤沈下で、海水が流れ込むようになり、宝永地震の津波などで、湖と海を隔てていた陸地が決壊し汽水湖となりました。決壊した場所を今切と呼ばれるようになったとの事です。江戸時代以前は渡し船で、渡っており今切の渡しと言われていました。現在は三つの橋によって陸路で行き来出来るようになっています。
 新居宿を出て、国道203号をしばらく進むと西浜名橋、を渡ることになります。西浜名橋から少し進み中浜名橋を渡ると弁天神社に差し掛かります。
 弁天島にある弁天神社ですが、昔弁天島は砂洲が続き天橋立の様な景色だったそうで、その美しさに誘われ天女が舞い降りたという天女伝説が残っている処です。橋立の丹後地方にも天女伝説が有りますが、丹後地方の話が元になっているのでしょうか?宝永地震の跡ここに弁天神社が建立されたとの事です。境内には正岡子規、茅原崋山、松島十湖の文学碑も有ります。弁天神社の先には弁天橋が有り、渡ると間もなく、舞阪宿に入ります。
 舞阪宿は、江戸から30番目の宿場で、今切の渡しが控える宿場と言う事から新居宿同様、重要視されていました。



 舞阪宿の中には、北雁木跡、本雁木跡、南雁木跡、西町常夜燈、旧脇本陣茗荷屋、舞阪本陣跡、仲町常夜燈、舞阪一里塚、新町秋葉常夜燈、見附石垣など、沢山の史跡が有ります。



 弁天橋を渡り間もなく、北雁木跡があります。雁木(がんぎ、地元ではがんげ)とは階段状の船着き場を言うそうです。北雁木では、大名や幕府公用役人が使っていました。近くには北雁木常夜燈も有ります。復元されているのは、この北雁木だけとの事です。
 北雁木の先に、本雁木跡と本雁木常夜燈が有ります。本雁木では、一般の武家や庶民が使用していたという事です。
 街道を離れ南に行くと、南雁木です、ここは荷物用ですが庶民も利用していた様です。
 街道に戻ると西町常夜燈に差し掛かります。この常夜燈は文化年間舞阪宿に大火事が有り、その復興を願って建てられたものだそうです。
 その先に、旧脇本陣茗荷屋がります。脇本陣茗荷屋の建物は天保年間に建てられたものを修復・復元したもので、現在一般公開されているそうです。その向かいには本陣跡の碑が立っています。
 脇本陣、本陣、を過ぎて少し行くと仲町常夜燈が、その先にも新町秋葉常夜燈が有ります。舞阪宿には結構常夜燈があります、文化年間の大火事で火防せ、や秋葉信仰が高まり常夜燈が設けられたという事です。秋葉常夜燈の側には舞阪一里塚とその碑もあります。
 秋葉常夜燈を過ぎると見付石垣に差し掛かります。どうやら、此処が東の入り口の様です。



 さて、舞阪宿で頂かなければならない物は?やはり、鰻となりますが、舞阪は漁師街でもあります。冬の牡蠣や、秋の真鯛、活きた車海老をそのまま揚げた「活き車海老天丼」などがおすすめだそうです。



 この先は、浜松宿になります。道のりは二里三十丁(約12.1Km)になります。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 白須賀宿~新居宿)



 新居宿を目指す旅です。距離は一里二十四丁(約4.8Km)となっています。



 新居宿の、西の入り口は棒鼻跡の辺りの様です。白須賀宿と新居宿の間には明治天皇御野立所阯、立場跡、浜名の松並木、紅葉寺、橋本宿跡、風炉の井などの史跡が有ります。



 白須賀宿を出て暫く行く明治天皇御野立所阯が有ります。明治元年東京へ行幸した明治天皇が休憩した所だそうです。柵に囲まれて石碑が有るとの事です。その先に立場跡が有り碑だけが建っている様です。
 立場を過ぎると直ぐに、浜名の松並木が続いています。松並木の途中には、「藤原為家と阿仏尼の歌碑」も建っています。
 松並木が終わった辺りに紅葉寺が有ります。室町六代将軍足利義教がこの寺で紅葉を観た事から紅葉寺と言うそうです。現在寺は、参道だけが残っているそうです。
 紅葉寺から少し行くと、橋本宿になります。民家の前に碑が有り、辺りは街並みが残っているとの事です。橋本宿は新居宿の加宿でした。
 橋本宿から少し行くと、風炉の井です。源頼朝が上洛の際、この井戸水を茶の湯に使ったと言われています。その先は棒鼻跡、新居宿になります。



 江戸から31番目の宿場、新居宿です。平安から中世までは橋本宿が繁栄していたとの事ですが、室町時代の明応地震とその津波で壊滅、新居地区に移転し新居宿となりました。その後も、元禄年間に高潮と津波、宝永年間には宝永地震とその津波に見舞われています。
 新居宿には、棒鼻跡、新居一里塚、寄馬跡、本陣跡、紀伊国屋、新居関、渡船場と史跡が有ります。



 棒鼻跡の棒鼻は駕籠の棒先の事で、大名行列が宿場に入るとき棒先で先頭を整えた場所と言われていますが、実際には道の両側から土塁が出て道幅が狭く一度に大人数が通れない様にしたものらしいです。碑のみが立っているそうです。棒鼻跡の近くに新居一里塚の碑が立っています。
 少し行くと、寄馬跡と本陣跡に差し掛かります。碑があるだけなのですが本陣は三軒有り、疋田八郎兵衛本陣跡、飯田武平衛本陣跡、疋田弥五郎本陣跡とそれぞれの碑が立っているそうです。
 本陣跡を過ぎると、旅籠紀伊国屋が有ります。徳川御三家、紀州藩の御用宿を務めた事から紀伊国屋の屋号を掲げる事を許されたとの事です。現在は資料館になっています。
 その先に、新居関と渡船場が有ります。新居関は家康が新居の元屋敷に創設したのが始まりらしいのですが度重なる災害で、移転が繰り返され、元禄年間に現在の場所に置かれたそうです。創設当初は、今切関所と呼ばれていたとの事です。現在関所は修復され資料館として公開されています。
 江戸時代、新居宿・舞阪宿間は船で行き来していたようで、その渡船場が関所の前に復元されて有るという事です。



 新居宿で美味しいものは、浜名湖畔にある新居宿ですから鰻が先ず思い浮かびますが、どうも湖西市は和菓子が有名な様です。一つが「すわま(すあま)」で、上新粉に砂糖と湯を練り合わせ軽く搗き餅状にした和菓子で、桃の節句の頃新居で売られるそうです。もう一つ、「はまぐり」と言う栗が丸ごと一つ入ったどら焼きが有名だそうです。
 新井宿の次は舞阪宿に向かいます。一里(約6.6Km)の距離ですが一里と言うのは海上での距離だそうです。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 二川宿~白須賀宿)



 二川宿から白須賀宿を目指します。距離にして二里十六町(約8.1Km)の道のりです。



 県境を越えると、間もなく白須賀宿西の入り口にあたる高札場立場跡です。二川宿と白須賀宿の間の史跡は細谷一里塚があるだけです。



 細谷一里塚は、二川宿を出て暫く行かなければなりません。豊橋には、4つの一里塚が有り細谷一里塚だけが現存する一里塚との事です。地元では一里山一里塚と言うそうです。この一里塚の手前で、冬場の天気の良い日には富士山を観ることが出来るらしいです。
 細谷一里塚から少し行くと、いよいよ静岡県遠江国に入ります。間もなく、白須賀宿です。
 白須賀宿は江戸から32番目の宿場で、県境を越えた辺りは境宿と呼ばれたようで柏餅が有名で白須賀名物だったらしいです。
 この宿場は、1707年宝永地震とその津波で大きな被害を受け、現在の位置に移りました。



 白須賀宿には、高札場立場跡、庚申堂、火防樹、脇本陣跡、本陣跡、曲尺手、潮見坂公園、おんやど白須賀、潮見坂、蔵法寺、高札場跡などの史跡が有ります。境宿も白須賀宿の1部になります。
 高札場立場跡は碑だけが立っている様です。庚申堂は1681年建立されましたが、現在のものは1841年再建されたものだそうです。境内には庚申信仰の三猿(見ざる聞かざる言わざる)像が有ります。
 庚申堂の先に、火防樹という槇が建っています。高台に移転した白須賀宿ですが、今度は強い西風により大火が起こりやすくなりました。その延焼を食い止める為に設けられたそうです。
 火防樹を過ぎると脇本陣跡、本陣跡、に差し掛かりますがこの2つは碑のみの様です。少し行くと、曲尺手が有ります。軍事目的以外にも格の低い大名が近くの寺で休憩を装い格上の大名をやり過ごしていたとの事です。
 この先、潮見坂公園の少し手前から格子戸が有る古民家が立ち並んでいる様で、城下町の風情が味わえそうです。
 潮見坂公園は織田信長が武田勝頼を滅ぼし尾張に戻る際、ここで家康にもてなされたという事です。大正時代に公園として整備されたそうですが、現在は碑だけになっています。
 どうやら、潮見坂公園の辺りから坂道になっているようです。そうです坂の頂上に、おんやど白須賀が有ります。おんやどと言うネーミングから、ホテルか旅館と勘違いしそうですが、歴史資料館の様です。休憩所も兼ねています。
 おんやど白須賀の辺りが潮見坂になります。江戸時代には街道一の景勝地で、西国から江戸に向かう時は、最初に太平洋が見える所だったそうです。
 潮見坂を下り少し行ったところから街道を逸れると蔵法寺です。本尊は海から引き揚げられた潮見観音との言い伝えです。遠州灘を行き交う船は帆を下げ観音様の名前を念じて通ったそうです。
 街道に戻り少し行くと、高札場跡になります。碑しか有りませんが、側には、白須賀一里塚の碑も立っています。



 白須賀宿で食さなければいけない物は…と考えると、やはり柏餅です。秀吉が小田原攻めに出兵の際、境宿で休憩し名物の柏餅を「かちわ餅」と聞き間違え縁起が良いと言う言い伝えがあるそうで、春にその、勝和餅を再現し売られているとの事です。



 次回は、白須賀宿から新居宿に向かいます。一里二十四丁(約4.8Km)の道のりです。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 吉田宿~二川宿)



 吉田宿から二川宿へと向かいます。道のりは一里二十町(約7.8Km)です。



 吉田宿と二川宿の間には、秋葉山常夜燈、壽泉禅寺、飯村一里塚、岩屋観音、火打坂、などが有ります。二川宿の京都側入り口は二川駅当たりの様です。



 吉田宿を出ると、直ぐに秋葉山常夜燈が有ります。そのまま進むと、壽泉禅寺に差し掛かります延命地蔵尊が祀られているようで、境内には三重塔が建立されているそうです。
 壽泉禅寺から少し行くと、飯村一里塚を通ります江戸から73里目の一里塚です。飯村と書いて「いむれ」と読むそうです。
 飯村一里塚を過ぎると、火打坂に差し掛かります。火打坂には北縁の上道と南縁の下道が有るとの事です。下道を通ると、岩屋観音が有ります。山の上に観音像が祀られており、聖観音像で、青銅で作られているそうです。この観音像は昭和25年に再興されたもので、前の観音像は戦争で供出されたとの事です。
 火打坂の下道を行くと、東海道本線と並行して進むことになります。すぐに、JR二川駅に到着しますが、この辺りが西の入り口になるようです。



 江戸から33番目の宿場である二川宿は、東海道設定時から二川村と大岩村の2村で宿場として構成されていましたが、両村の間隔が離れていた為、大岩村は町となり旅籠は設置されなかったという事です。
 宿場内位には、立場茶屋、大岩明神社、西問屋場、高札場跡、二川宿本陣、二川一里塚、などの史跡が有ります。
 二川駅から直ぐの所に、立場茶屋跡があり、その先に大岩明神社が有ります。文武天皇の時代に岩屋山の南に建てられたのが、宿場が出来た時にこの地に移って来たという言い伝えです。
 更に街道を進むと西問屋場、高札場の碑が設置されています。そこを過ぎると二川宿本陣です。旧東海道で草津宿と共に現存する本陣の一つで、現在は修復され資料館として一般公開されているそうです。
 少し進み、東海道本線と新幹線が分岐する辺りに二川一里塚が有りこの辺りが東の入り口となるようです。



 二川宿での旨いモンはないのか?調べてみると、街道沿いに旧町家を模した建物の和菓子屋さんが有るらしく麩饅頭が美味しいとの口コミです。
 さて、二川宿を後にするといよいよ静岡県に入ります。白須賀宿二里十六町(約8.1Km)を目指します。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 御油宿~吉田宿)



 昔の人はエライ!の再開です。



 再開最初は、御油宿から吉田宿に向かいます。二里二十二丁(12.7Km)の道のりです。
 御油宿を出発し、御油橋を渡ると御油宿とはお別れです。



 御油宿と吉田宿の西入り口、西惣門の間には本坂越え追分、御油一里塚、伊奈一理里塚、伊奈立場茶屋跡、菟足神社、子だか橋碑、瓜郷遺跡、下地一里塚、聖眼寺、の史跡が点在します。
 御油宿を出発して直ぐ、本坂越え追分が有ります。此処は東海道と姫街道の分岐点で秋葉常夜燈、秋葉三尺坊道標、砥鹿神社鳳来寺道標、姫街道道標などが設置されているそうです。姫街道は見附宿に通じる新居関の取り調べが女性に厳しかったらしく、それを嫌い、気質関を通る道を選び、姫街道と呼ばれるようになったとの事ですが、正式名称は本坂道といいます。本坂越え追分の先に御油一里塚が有ります。江戸より七十六里の地点になります。
 御油一里塚から暫く進むと、伊奈一里塚が有ります。江戸か七十五里の一里塚です。近くには、伊奈立場茶屋があり、標柱の後ろには芭蕉と門人加藤鳥巣の句碑が有るとの事です。茶屋では良香散という腹薬が売られ有名だったとの事です。
 伊奈一里塚を過ぎると、菟足神社と近くに子だか橋が有り、子だか橋には生贄の伝説が有り菟足神社の大祭の日に生贄をささげるものだったらしいです。
 子だか橋から暫く行くと、聖眼寺に着きます。子だか橋と聖眼寺の中間に、瓜郷遺跡が有り、弥生時代のものが多く出土しています。聖眼寺の手前にも下地一里塚が有ります。聖眼寺には松葉塚という芭蕉の句碑が有ります。



 聖眼寺を過ぎ、豊川を越えると間もなく吉田宿の入り口西惣門です。
 吉田宿は、江戸から数えると34番目の宿場で東海道が設定された当初からの宿場です。街並みは二十三町三十間とかなり大きな宿場だったようです。又、吉田宿は城下町と湊町の一面も併せ持った宿場でもあります。
 その吉田宿には西惣門、本陣跡、問屋場、東惣門、などが有り、街道沿いには豊橋公園が有り、吉田城も建っています。
 西惣門の手前、湊町神明社の境内に芭蕉の句碑が有り、御油・吉田間には、芭蕉の句が結構ありそうです。
 西惣門の近くに、本陣跡碑が有り、本陣は二軒脇本陣が一軒有りました。本陣跡を過ぎると、問屋場跡の標柱が有るとの事です。そのまま街道を進むと、東の入り口東惣門に到着します。



 吉田宿で、頂かなければいけない物は無いか?調べてみると豊橋カレーうどんと言うものが有りました。ご飯の上にとろろを掛け、その上にカレーうどんを盛り付けうずらの卵を盛り付けた物らしいのですが、かなりボリュームが有りそうです。他に、菜飯田楽というのが有る様で、菊宗という処で本陣跡の直ぐ近くにあるそうです。
 さて、次の宿場は二川宿です。一里二十町(約7.8Km)の道のりになります。



オッサンのDream Journey(桜前線を追いかける 秋田・三陸海岸・弘前)



 秋田からは満開日の間隔が空きます。秋田の満開日は4月17日ですので、16日に秋田入りとなります。



 秋田へは、大阪空港10:45ANA12:15秋田空港で行くことが出来ます。



 秋田では、桜スポット人気№1・2の2ヵ所を観ることが出来ます。
 先ずは、№2の人気スポットです。秋田駅から徒歩15分の所に千秋公園が有ります。空港から秋田駅迄リムジンバスが出ていますので、13時過ぎに秋田駅に着きます。お花見タイムは夕方までたっぷりと有ります。千秋公園は久保田城の城跡で明治時代に庭園が造られ千秋公園となったという事です。園内にはソメイヨシノなど700本の桜が植えられており、紅葉の名所でもあるそうです。
 千秋公園の後は、№1の角館武家屋敷の枝垂桜に向かいます。調べてみると角館に温泉宿が結構あり、温泉とセットで角館に宿泊したいと思います。武家屋敷の桜は藩主の正室が輿入れの折持参した3本の苗が始まりとされているそうで、国の天然記念物にもなっています。
 ソメイヨシノの満開予想日が17日ですので、16日に角館の武家屋敷に行き、17日千秋公園と言う方が良いのかもしれません。
 秋田と大阪の移動時間はかなり短く、秋田空港14:45JAL16:10大阪空港となります。
 盛岡の満開予想日は20日です。一旦関西に戻るのか?東北に留まるのか?思案どころです。盛岡にも前日に入ります。
 関西から盛岡へは、大阪空港10:30JAL11:50花巻空港12:00バスⅠ2:45盛岡となります。



 岩手では、三陸海岸の桜を観ることは出来ないだろうか?と調べてみると、碁石海岸が有りました。レストハウス付近を中心に、桜並木が続く様です。近くには遊歩道もあるそうで、海と桜の景色を味わえるとの事です。近くには碁石温泉や大船渡温泉もあるそうです。
 盛岡からは、盛岡14:40バス17:38盛17:57大船渡線18・16碁石海岸となりますので、手前の大船渡線辺りで宿泊するのが良いか?と考えます。
 4月20日、碁石海岸の桜を観て関西へ戻ります。碁石海岸12:56―13:51気仙沼―15:40一関15:50東北新幹線やまびこ16:22仙台16:50―17:14仙台空港17:40JAL19:05大阪空港となります。



 本州最後の桜は、青森です。ソメイヨシノの満開予想日は4月29日です。
 青森の桜と言えば、弘前城の桜しか思い浮かばない位、インパクトが有ります。とにかく青森は弘前城です。
 弘前入りはやはり前日の方が良いでしょう。うまく行けば夜桜だけは28日に観ることが出来れば良いですね!
 関西から弘前へは、大阪空港11:25JAL12:55青森空港13:15バス13:50青森14:05奥羽本線14:45弘前となりました。



 弘前の桜はやはり、素晴らしい様です。インターネットの紹介文も絶賛しています。天守閣の本丸周辺と植物園は有料との事ですが、それ以外は弘前公園として開放されているそうです。
 28日は夜桜までに時間があるようです。昼間、時間の許す限り青森市内の桜スポットを観るのも良いでしょう。
 弘前では28日夜桜、29日昼桜と行きたいですね!
 関西に戻るのは午後になってからで大丈夫だと思います。弘前12:24―13:03新青森13:15東北新幹線はやぶさ14:55仙台15:14―15:31仙台空港16:00JAL17:25大阪空港と言った感じです。



 後、残るのは、北海道です1都道府県1ヶ所で何処の桜を観るのが良いでしょうか?



オッサンのDream Journey(桜前線を追いかける 長野・鹿児島・山形)



 3月12日のちちんぷいぷい、「昔の人は偉かった」では、見附宿から浜松宿を歩いていました。番組では、縁結びで有名な東福山西光寺、天竜川、浜松八幡宮、浜松城を紹介していました。浜松城には家康負戦の肖像画も展示されているそうです。そんな中、コロナの影響で学校が休校になっている子供達と絡んでいました。テレビのロケもどうなのかな?と、思っていますがいつまで、ロケも出来るのでしょうか?



 4月9日は、長野の満開予想日です。
 長野には、新大阪09:57のぞみ10:47名古屋11:00中央本線ワイドビューしなの13:53長野に着きます。14時前に長野に着くと夕方まで、十分に桜を観ることが出来ます。



 長野の桜を探したところ、長野駅からバスで10分の所に善通寺が、東側には市内随一の桜の名所、城山(じょうやま)公園が有ります。南北朝時代に築かれたらしい、横山城跡を整備した公園の様です。園内には470本のソメイヨシノが植わっており、隣の善光寺は大納骨堂からは善光寺平が一望でき、お寺全体で650本の桜が植わっているそうです。これは、2ヵ所セットで、お花見をしないといけません。どちらもライトアップされているので、夜桜を選ぶか?温泉を選ぶか?悩みどころです。幸いな事に長野市内にも温泉宿が何軒かあるようです。
 4月10日は移動日に充てたいと思います。11日が鹿児島の満開予想日ですので、10日に鹿児島入りを目指します。
 鹿児島へは、10時前に長野駅を立つと、長野10;53北陸新幹線かがやき11:54大宮12:03―12:44品川12:53―13:08羽田13:45JAL15:35鹿児島空港15:50鹿児島交通バス16:28鹿児島中央16:53―16:58鹿児島に入れます。
 鹿児島では連泊し、12日に山形へ移動したいと考えています。
 鹿児島市内にも温泉宿が有ります。霧島や指宿も選択肢と考えて、選ぶと良いでしょう。うまくいけば、宿の近くに夜桜スポットが有るかもしれません。花見風呂も有かも?



 11日は、1日時間が有ります。となると、鹿児島県で人気1位の桜スポットにも行けます。鹿児島中央から電車で30分程の市来駅からタクシーで7分の所に観音ヶ池市民の森が有ります。此処が鹿児島県人気№1の桜スポットと言う事です。池の周りの桜が一斉に咲いた様は、素晴らしい様です。ライトアップも22時迄されているので何か所かまわって最後に夜桜と言うのも良いかもしれません。
 他にも鹿児島市内には鶴丸城と言う島津藩築城のお城も桜の名所として挙げられています。
 鹿児島で連泊の後、4月12日は山形への移動日です。山形の満開予想日は13日となっています。
 山形へは、鹿児島中央10:49九州新幹線みずほ12:08博多12:20―12:15福岡空港13:00IBEX14:40仙台空港14:50―15:17仙台15:30高速バス16:37山形と言う行程になります。
 山形は1泊とし、翌日花見の後は関西に戻ります。



 鹿児島に続いて人気№1の桜スポットに行こうと思います。鳥帽子山公園と言うのがそれになります。山形駅から電車で30分程の所です。赤湯温泉を見下ろす公園は鳥帽子山千本桜とも言われているそうで、世界的にも珍しいエドヒガン桜の群生地でも有るとの事です。他にソメイヨシノなど1000本の桜が植わっています。赤湯温泉から見上げる桜も素晴らしい様です。温泉から見上げるもよし、温泉を見下ろすのも良し、と言ったところでしょうか?1ヶ所で夜桜と昼桜を楽しむのも有りですね!
 4月13日はゆっくり午前中桜を楽しみ、関西に戻りたいと思います。
 関西へは、山形12:40連絡バス13:20山形空港14:00JAL15:25大阪空港で関西に戻れます。



 秋田、岩手、青森、北海道は其々、満開日の間隔が空きます。満開日に合わせて桜を観に行きたいですね。



オッサンのDream Journey(桜前線を追いかける 新潟・会津若松・仙台)



 前日に、新潟入りをして4月5日のスタートです。福島からのスタートを考えていましたが、新潟、福島、仙台と回る方が行程的に良さそうです。



 新潟の隣駅、白山から徒歩20分の処に白山公園が有ります。タクシーを使うのが良いかと思います。
 隣接する白山神社は縁結びの神社としても有名だそうです。公園内には空中庭園と言うのが有るらしく、夜桜などは見事だと言う事で160本のソメイヨシノが植わっており、新潟県内6位の人気との事です。
 時間的に余裕が出来たとは言え、4月5日は福島の桜も見ますので、お昼前ぐらいには移動したいと思います。



 福島の移動は、新潟11:19上越新幹線とき13:02大宮13:26東北新幹線やまびこ14:32福島の行程になりますが、福島の桜と言えば、どうしても会津若松城が思い浮かびます。会津若松迄の時刻表を調べると、新潟11:50高速バス13:41会津若松と言うのが見つかりました。バスになりますが、これなら5日中に仙台まで行けます。
 会津若松城へは、駅からバスで20分掛かりますが、時間は有ります。慌ただしい行程からは解放されます。お花見タイムも3・4時間取っても大丈夫な感じですが、そんなにも花見を出来ません。取り敢えず、2時間程度で参りましょう。
 会津若松城は地元で別名鶴ヶ城と呼ばれているそうです。しかし、他地域にも鶴ヶ城が有るため、地元以外では会津若松城と呼ぶらしいです。そんな訳で、公園も鶴ヶ城公園とされています。園内には、1,000本のソメイヨシノが植えられており桜の名所100選にもなっています。
 会津若松城でゆっくり花見をした後、仙台に移動します。会津若松16:21磐越西線17:34郡山17:51北陸新幹線やまびこ18:25仙台となります。
 仙台の満開予想日は、7日ですので、6日でも1日前倒しですここはゆっくり翌日に桜を観ることにします。



 仙台と言えば、イーグルス(オッサンはタイガースとイーグルスファンです。不安ではないですヨ!誤解の無いように)と青葉城を思い浮かべます。
 青葉城には、仙台駅から地下鉄で3区間目の駅から8分の所に有ります。
 青葉城は正確には仙台城と言うそうで、青葉城は雅称との事です。伊達政宗築城、伊達家の居城の青葉城は青葉山公園として整備されています。本丸跡からは仙台を一望出来480本の桜が咲き誇る様です。
 9年前の3月11日は東日本大震災が有った日です。福島から、東北に入ります。これを期に、震災の爪痕と復興の足跡も訪ねないといけないのでしょうが、なかなかそうも行きません。花見も、妄想の花見でありながら津波の被害を受けていない所が中心になりそうです。



 午前中、仙台の桜を楽しんだ後は、一旦関西に戻ります。仙台13:51―14:15仙台空港14:40JAL16:05大阪空港となります。
 次の満開は4月9日長野になります。又、長野には当日に入りたいと思います。長野以降は、1日1県のお花見となりますので、駅近の桜にこだわらなくても、大丈夫だと思います。



オッサンのDream Journey(桜前線を追いかける 大分・延岡)



 4月3日は、長崎のスタートです。大分の満開予報が4月2日ですので。1日遅れで先ず大分に向かいます。



 長崎を8時頃に出発出来ればと考えます。こんな行程です長崎08:27長崎本線かもめ09:59新鳥栖10:28九州新幹線さくら10:59小倉11:09鹿児島本線ソニック12:36大分となります。他に8時丁度発のバスも有ります。時間は10分程しか変わりませんが、料金はバスの方が安い様です。どちらを選んでも良いと思います。オッサンは電車を選びます。



 大分駅から徒歩15分の所に、大分城址公園が有ります。お城自体は無くなっているらしいのですが、大手門やお堀、石垣、廊下橋などが残っています。70本程のソメイヨシノがお城を囲むように咲いているそうです。お堀の水面に映る桜も良いという事です。
 大分でのお花見タイムは1時間半必要ではないか?と思います。
 この後、延岡に向かいます。延岡へは、大分14:06豊本線にちりん16:07延岡となります。



 宮崎迄移動すると、花見スポット迄の道のりが車で1時間と言う距離の所ばかりです。もっとも駅に近いお花見スポットが延岡駅から徒歩15分の延岡城跡・城山公園でした。延岡城跡を整備した公園で、高さ22mの石垣は「千人殺しの石垣」と呼ばれているそうです。その石垣を中心に園内は300本の桜が植えられています。
 この後、福島の満開日が4月5日となっています。一度関西に帰る事も考えるのですが、新潟の満開日も4月6日です、新潟に、4月4日に入るのが良いか?と考えます。宮崎県内の温泉を探して花見風呂と行きたいですね!



 4月4日は時間を気にせず福島へ移動です。4月5日は福島からのスタートです。