オッサンのブラリ一人旅(永沢寺、芝桜園)



 この記事は、2016年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 ゴールデンウィークの隙間の日、予てから行ってみたかった、永沢寺へ行ってきました。
 国道176から永沢寺を目指すのですが、どのルートを走っても、対向車が有ると、どちらかが、譲り合わないとすれ違う事が出来ない所が有るようです。
 最初に、訪れたのが、芝桜園「花のじゅうたん」。入場料が600円。隣接する花菖蒲園とは別料金との事…。失業中の身には(;´д`)トホホ。
 ゲートを通ってすぐ、目に入ったのが樽型の電話ボックス。中の原話もこんなデザインです。
 山の方に目をやると、芝桜の景色が広がります。隣の花菖蒲園は未だ早いようですが、今はボタンの季節だそうです。
 高台から、見下ろした、景色です。花の中にところどころこんなモニュメントが点在しています。
 1周して、降りて来ると、今植えられている芝桜の種類を展示してありました。全ては紹介できません。
 花売り場の近くで、行列が出来ていました。湧水を組んでいるようです。
 花売り場の反対側には、珍しい物が。ミゼット?かと思いましたが、マツダのK360です。よく見ると、まだ、使われているようです。
 休憩所に入るとフォトが飾られていました。取り方でこんなにも変わります。まるで北海道の風景を見ているようです。
 開園時期が、4月中旬から5月中旬と言う事なので、間もなく、閉演になります。この週末辺りが、今シーズンのラストチャンス?
 コロナの影響で、開催は微妙です。三田市民、篠山市民以外の方の訪問は遠慮されるのが良いかと思います。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 島田宿~藤枝宿)



 島田宿から藤枝宿二里八丁(約10.6Km)を目指します。



 藤枝宿の、西の入り口は、瀬戸川に架かる勝草橋辺りが入り口の様です。
 島田宿と藤枝宿の間には、栃山橋、上青島一里塚、染飯茶屋蹟碑、千貫堤、東海道追分、六地蔵堂、田中藩領傍示石、志田一里塚、などの史跡が有ります。



 島田宿を出て、少しすると、栃山橋を渡ります。此処から藤枝市に入ります。旧道の松並木を進んで行くと、上青島一里塚に差し掛かります。江戸から51番目の一里塚ですが碑のみとなっています。
 一里塚の先には、染飯茶屋蹟が有ります。染飯というのは、くちなしで黄色く染めたおこわで、瀬戸(藤枝)の名物として旅人に提供されていたそうです。現在染飯を頂く事は出来るのでしょうか?
 染飯茶屋の側には千貫堤が有り、寛永年間大井川の氾濫から守るための大堤防です。その費用が千貫だったという事で、その名が付いたという事です。
 千貫堤の先は、東海道追分です。大井川の氾濫はこの辺り迄被害が及んでいた様で、古東海道は北側の尾根伝いに来ていた様です。
 追分を過ぎると、六地蔵堂があります。六地蔵堂がある鏡が池に龍が住んでおり旅人を悩ませていたのを鬼岩寺二世静照上人により退治され、鏡池堂が立てられ六地蔵が祀られたという事です。
 六地蔵堂から少し進むと田中藩領傍示石に差し掛かります。染飯茶屋の手前にも田中藩領傍示石が有り、この辺りは田中藩領と掛川藩領が入り組む地域で、藩鏡に境界を示す傍石が建てられたという事です。
 田中藩領傍示石を過ぎて進むと、志田一里塚です、すぐそばに、勝草橋が架かっています。勝草橋を渡ると藤枝宿です。



 江戸から22番目の宿場である藤枝宿は、城下町としても、塩の産地であった田沼街道分岐点としても、更に商業地としても栄えた宿場です。又、藤枝ダルマや桐ダンスなどの伝統工芸も有名との事です。
 藤枝宿には、正定寺、問屋場跡、上本陣、下本陣、大慶寺、蓮生寺、白子由来記、東海道藤枝宿左車町、田中城、などが有ります。



 勝草橋を渡ると、正定寺が有ります。境内には、享保年間、当時の田中城城主が、報恩謝徳として寄進したという「本願の松」が植えられています。傘型の姿が特徴的で延命の松とも言われているそうで、市の天然記念物との事です。
 正定寺を過ぎると問屋場跡、上本陣、下本陣が続きますが、碑ではなく歩道にタイルが埋め込まれているそうです。
 その先を行くと大慶寺に差し掛かります。大慶寺は日蓮宗の寺院で山号は延妙山大慶寺となります。建長年間比叡山に遊学していた日蓮聖人が藤枝に立ち寄った時、若き日蓮の説法に教化された夫婦が持仏堂として建立した法華堂が起源だそうで、その後田中城の祈願所となり栄えたとの事です。境内には、当時の日蓮聖人が自ら植えたと伝わる黒松が有り県の天然記念物だそうです。
 大慶寺の先は蓮生寺です。蓮生寺は浄土真宗大谷派の寺院で熊谷山蓮生寺と言い建久年間蓮正(熊谷直実)開山となり創建されたという言い伝えです。享保年間駿河国田中藩主となった本多氏の菩提寺となったそうです。境内には、市指定の天然記念物イブキが植えられているとの事です。
 蓮生寺の近くに、白木由来記の碑が有るとの事です。本能寺の変の時、徳川家康を助けた伊勢国白子の小川孫三が家康の恩賞を受けこの地に移り住んだという事です。
 その先に東海道藤枝宿左車町が有ります。鎌倉6代将軍源宗尊が京から鎌倉に下る時乗っていた車の左車輪が折れてここに埋めた事から着いた地名だそうです。江戸時代はこの辺りが東木戸だった様で東の入り口と言う事です。
 そこから街道を1Km程南下すると、田中城に着きます。田中城の歴代城主の殆どが幕閣入りを果たしており、田中藩主、城主になる事は幕政に参加する登竜門であった様で、天文年間今川氏により築城され、天正年間徳川の攻撃により開城し慶長年間徳川の酒井忠利が入城したとの事です。城は、平城で天守閣は無かった様です。現在周辺は田中城下屋敷として整備されています。



 さて、藤枝宿で頂かなければいけない物は?と言うと、当然、朝ラーですね!ちちんぷいぷい(昔の人は偉かった)や、所さんお届けモノです!でも紹介されています。元は茶業関係者の食文化で、収穫や取引が早朝から行われるため早朝から来客が多く有るため朝ラーの文化が始まったそうです。本来の中華そばの温と、甘めのスープにわさび・生姜を添えられた冷の2種類を1セットで頂くものです。もう一つ気になっているのが、染飯ですが、こちらは藤枝駅前のお弁当屋さんで販売されているとの事です。
 この後、岡部宿へ一里二十九丁(約5.5Km)の道のりを行きます。



オッサンの競馬予想(皐月賞 2020)



 4月12日の、桜花賞は後方を走っていた2番人気9デアリングタクトが4コーナ―を回った所から素晴らしい追い上げを見せ、ゴール前1番人気17レシステンシアと9番人気3スマイルカナを捉え1着でゴールしました。2着は、中盤から3スマイルカナを追走していた17レシステンシアが直線で1但は先頭に立ちましたがゴール前9デアリングタクトに捉まり惜しくも2着となりました。序盤から先頭を走っていた3スマイルカナ粘りを見せ、3着に入りました。
 結果、本命に推していた2番人気9デアリングタクトが1着で連勝は的中と言う事になりました。対抗に挙げていた5番人気(更新時は6番人気)5マルターズディオサは8着となりジンクスを破る事は出来ませんでした。



 4月19日は皐月賞です。
 皐の字が常用漢字外の為、ひらがなで「さつき」と表記されることも有ります。最もスピード有る優秀な繁殖馬を選定するチャンピオンレースの為せん馬は出走することはできません。そして皐月賞は最も速い馬が勝つといわれています。
 その皐月賞は4月19日に中山競馬場で行われます。
 皐月賞の傾向と対策です。
 人気別の成績です。
  • 1番人気 1着 9回 2着 6回 3着 5回 
  • 2番人気 1着 4回 2着 5回 3着 6回 
  • 3番人気 1着 6回 2着 3回 3着 6回 
  • 4番人気 1着 3回 2着 5回 3着 3回 
  • 5番人気 1着 2回 2着 0回 3着 2回 
  • 6番人気 1着 1回 2着 3回 3着 3回 
  • 7番人気 1着 3回 2着 1回 3着 0回 
 1番人気の信頼度は、勝率26%馬券率も59%とやや低い目です。2桁人気の馬でも1割近くの確率で勝っています。3着まで同様です。そう考えると的中させるのは難しいレースと言えるでしょう。
 コース別では、真ん中8・9・10コースを走る馬が勝っていませんその辺りが若干不利なのかな?と思います。
 前走成績は、勝ち馬が4着以内、2着・3着でも掲示板確保が絶対でしょう。
 前走レースでは、弥生賞(GII)、スプリングステークス(GII)が各10頭勝ち馬をでしています。続いて若葉ステークス、共同通信杯(GIII)、毎日杯(GIII)が複数頭勝ち馬を出しています。この5つのレースで、掲示板に入った馬を中心に予想をして行くのが良いか?と考えます。



 さて、予想です。
 先ずは、人気上位馬です。
  • 1番人気 1 コントレイル
  • 2番人気 7 サリオス
  • 3番人気 5 サトノフラッグ
  • 4番人気 11 クリスタルブラック
  • 5番人気 13 ダーリントンホール
  • 6番人気 17 ヴェルトライゼンデ
  • 7番人気 12 マイラプソディ
 1番人気は1コントレイル、3戦3勝で来ています。ホープフルステークス(GI)を制しての出走です。
 2番人気の7サリオスも3戦3勝で、朝日杯フューチュリティステークス(GI)制しての出走でこちらもGⅠ馬です。
 3番人気が5サトノフラッグです、弥生賞(GII)を勝っての出走です。
 4番人気11クリスタルブラックは2戦2勝、京成杯(GIII)1着です、京成杯(GIII)からの勝ち馬は出ていません。
 5番人気は13ダーリントンホールになります。共同通信杯(GIII)1着での出走で馬券率は100%です。
 6番人気の17ヴェルトライゼンデは連帯率100%で、スプリングステークス(GII)を勝っています。
 7番人気が12マイラプソディです。此処迄4戦3勝ですが、前走共同通信杯(GIII)は4着に敗れています。
 買い目としては、◎1コントレイル〇17ヴェルトライゼンデ▲5サトノフラッグ△7サリオス、11クリスタルブラック、13ダーリントンホールとなりました。7サリオスを△印にしたのは、朝日杯フューチュリティステークス(GI)からは、強い馬が出ていない印象が強く評価が低くなりました。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 金谷宿~島田宿)



 金谷宿から大井川を越えて島田宿へ入ります。1里(約4.5Km)の道のりです。



 島田宿、西の入り口ですが、川越遺跡町並が始まる川会所辺りかと思われます。
 金谷宿と島田宿の間には、大井橋、朝顔の松公園、川会所、が有ります。



 金谷宿を出て、大井川沿いを少し進むと、大井橋を渡ることになります。「箱根八里は馬でも越すが越すにこされぬ大井川」と歌われた川で東海道最大の難所です。江戸時代防衛上の理由で橋を架けるのを許さなかったそうです。
 大井川を越えると、駿河国に入ります。橋を渡り街道に戻るため、県道342に入ります。
 街道に戻ると、朝顔の松公園が有ります。浄瑠璃や歌舞伎伝説の松が生えているとの事で、公園に整備されている様です。朝顔の松の由来などは、いろんなサイトで紹介されています。向かいには、島田市博物館もあり、大井川や島田宿の様子が展示されているそうです。
 その先に川会所が復元されています。この建物は安政年間に建てられたもので、明治以降に一時移転されましたが、その後元の位置に復元されたとの事です。川越業務の管理運営を行っていた処で、国の指定史跡だそうです。



 いよいよ島田宿です。江戸から23番目の宿場で、大井川の左岸に有るため、右岸に有る金谷宿同様、大井川の増水で川越が禁止されると大そうな賑わいを見せたという事です。
 その島田宿には、川越遺跡町並み、関川庵、大井神社、問屋場跡、刀匠顕彰碑、島田一里塚、



 川会から川越遺跡町並に入ります。遺跡は1970年に復元されたものです。普通の民家と混同している様ですが昔の雰囲気が現れているそうです。
 途中、関川庵の標柱が有り街道を逸れると、浄瑠璃や歌舞伎で有名な「八百屋お七」の、お七の恋人の墓が有るそうです。
 関川庵から暫く行くと、大井神社鳥居が有り、その奥は大井神社です。創建不詳ですが貞観年間には存在していた様です。祭神は彌都波能売神、波邇夜須比売神、天照大神という事で、安産や女性、子供の神様として信仰されているそうで、神社の帯祭りは日本三大奇祭の一つとの事です。
 大井神社の先には問屋場跡と刀匠顕彰碑が有ります。共に碑だけですがこの辺りは室町時代から多くの刀工が軒を連ね今川、武田、徳川氏から評価されていたとの事です。
 問屋場跡を過ぎると、島田一里塚です碑のみですが、先には島田宿の道標が有りこの辺りが江戸からの入り口になる様です。



 島田宿の美味しい物ですが、和菓子になります。小饅頭というお饅頭で皮に特徴があるそうです。米麴を使った皮でお酒に似た香りでふっくらしているそうです。臭いはお酒でも、アルコールは無くなっているそうです。
 この後、藤枝宿2里八丁(約10.6Km)を目指します。



オッサンのブラリ一人旅(福島区野田藤まつり 浦江聖天了徳院)



 この記事は、2017年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 下福島公園を後にして、浦江聖天了徳院を目指します。春日神社と下福島公園はそんなに離れてはいなかったのですが、了徳院はJR環状線を越え福島駅前から延びる福島聖天通商店街の外れにあります。
 了徳院に行ってみようと、思ったのは藤の事を調べている時、春日神社と浦江聖天了徳院が目にとまりました。此処も野田藤まつりの会場の一つと言う事で行ってみようと、なりました。
 了徳院にやって来ました。山門に鳥居が有り一見神社かと思います。
 浦江聖天了徳院は、東寺真言宗のお寺で、浦江聖天は如何やら愛称の様で他に聖天さんとも呼ばれています。
 この景色を見ると、どう見ても神社にしか見えません。
 本堂へ続く参道の横に藤棚が有ります。やはり、少し早いようです。
 浦江聖天了徳院の創建年は、洪水の為記録が失われ不明となっていますが、1736年高野山善寿院の僧宥意により再建されたそうです。その後1834年に本堂に歓喜天が安置されました。
 本尊の歓喜天は、この辺りが海岸だった頃、漁師の網に掛かり出現したと云われています。
 准胝観音堂と不動明王堂それに地蔵堂です。
 修行大師と役行者です。
 こちらは白鬚稲荷です。稲荷神社は、少し大きな神社や仏閣なら必ずと言って良いほどあります。
  4月の下旬ですが、桜がまだ残っています。今年の気候からすると不思議ではないですネ!  
 池の真ん中には弁才天が祀って有ります。少し離れて観ると良い感じです。
 この日は好天で、野田藤を見て回るハイキングも企画されているようで、多くの人が訪れていました。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 日坂宿~金谷宿)



 遠江国最後の宿場、金谷宿へ向かいます一里二十四丁(約8.1Km)の距離です。



 金谷宿、西の入り口は金谷一里塚跡辺りになる様です。
 日坂宿と金谷宿の間には二の曲がり、夜泣き石跡、涼み松、鎧塚、佐夜鹿一里塚跡、扇屋、久延寺、菊川の里、石畳の菊川坂、諏訪原城址、金屋石畳、すべらず地蔵、鶏頭塚・庚申堂、石畳茶屋、旧東海道石畳道入り口、金谷一里塚跡など多くの史跡が有ります。



 日坂宿を出て、国道1号を横切ると急な登坂に差し掛かります。二の曲がりと言われる難所で小夜の中山峠を越える旅人を悩ませていました。この辺りは沓掛という土地で、峠に差し掛かったところで沓を履き替え古い沓を水に掛け旅の安全を祈願したそうです。
 途中、夜泣き石跡があります。夜泣き石自体は現在別の場所にある様です。すぐ手前には歌川広重の絵碑が有るとの事で旅人と夜泣き石を描いているそうです。
 夜泣き石跡から少し行くと、涼み松に到着です。旅人に木陰を提供してくれる大きな松が有ったという事で、これを歌った芭蕉の句碑もあります。向かいには、藤原良政の娘小石姫が自害し、ここに葬られたそうで、小石姫が身重であった事から妊婦の墓と言われています。
 涼み松のから少し進むと鎧塚が有ります。建武年間北条時行の一族名越太郎邦時が中先代の乱で京に上る途中、足利一族の今川頼国と戦い命を落とした場所で頼国によって葬られたそうです。
 鎧塚を過ぎると佐夜鹿一里塚です。江戸から54番目の一里塚で、当時は両脇に有ったそうで、道幅も三間有ったとの事です。
 その先には、子育て飴で知られる扇屋が有ります。この峠で妊婦が山賊に殺され、その時に生まれた子を水飴で育てたという伝説が有り、その水飴を売っているそうです。昔は同じような店が複数有ったようですが今はここだけらしいです。
 扇屋の直ぐ近くには久延寺が、山之内一豊が関ヶ原に向かう家康を接待した場所で、茶亭跡もあります。夜泣き石もここにあるそうです。どうも夜泣き石伝説の妊婦が小石姫ではないかと思わせるような感じです。それと、怪談噺の飴屋の幽霊とは関係が有るのでしょうか?
 久延寺の辺りが、峠の頂上らしいです。



 中山峠を降りると、菊川の里です旧東海道の宿場でしたが、江戸時代間の宿になりました。間の宿は宿場間に発展した休憩用の町場で宿は無かったそうです。その手前には、菊川の里会館があります。
 菊川の里を過ぎると直ぐに、登坂になる様です。石畳の菊川坂と言われる坂は江戸時代後期のものらしく現在は長さ161m、最大幅4.3ⅿが残っているとの事です。
 坂を登り切り少し行くと、諏訪原城址へ行く標識に差し掛かります。諏訪原城は天正年間、武田勝頼の命で築城された山城で建築物は残っていませんが堀、曲輪、馬出などの遺構が残っていて国の指定文化財となっているそうです。
 諏訪原城址への標識を過ぎると、下り坂です。金屋石畳になります。430ⅿ程の石畳ですが町民がボランティアとして石を運び復元されたとの事です。途中に有るのが、滑らず地蔵、鶏頭塚・庚申堂です。
 すべらず地蔵は六角地蔵尊とも言われ、こちらが正式名称の様です。すべらず地蔵は此処の石畳が滑らない事から来ているそうで、受験生に御利益が有るとの事です。
 鶏頭塚は俳人六々庵巴静の「曙も夕ぐれもなしけ鶏頭華」と呼んだ句碑が有る事から鶏頭塚と呼ばれたそうです。鶏頭塚の裏に庚申堂が有り、日本左衛門はここで夜働きの着替えをしたとの事です。
 石畳を下り切る手前に、石畳茶屋があります。茶屋の奥は展示室になっており、広間は休憩所で軽食やお茶が飲める様です。
 石畳を下ると旧東海道石畳道入り口になります。下ってくると出口ですが、江戸側から見ると入り口です。
 石畳が終わっても坂道は続く様です。その坂を下り踏切を渡ると、金谷一里塚跡で、いよいよ、金谷宿に入ります。



 金谷宿は遠江国最東端の宿場で、大井川が増水などで渡れなくなり足止めされると大そうにぎわったそうで、本陣が3軒有ったそうで1軒は書店として残っているとの事です。
 金谷宿には、柏屋本陣、佐塚本陣、八軒屋橋があります。



 金谷一里塚跡から進むと、柏屋本陣に差し掛かります。柵に囲まれた植え込みに表示が有るとの事です。
 その先に、佐塚書店が有りここが佐塚本陣だったそうです。後の1軒は今のところ不明です。少し行くと八軒屋橋でここが東の入り口の様です。



 さて、日坂宿・金谷宿間の美味しい物ですが、一つは当然扇屋の子育て飴が有ります。もち米と大麦を原料にした水飴で口に入れると、優しい甘みが広がるそうです。
 もう一つが、金谷宿の郷土料理で菜飯田楽です。昆布の出汁で焚いたご飯に大根の葉を振りかけた物に豆腐の田楽を添えたものです。
 次は、金谷宿から島田宿へ入ります。距離は、一里(約4.5Km)です。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 掛川宿~日坂宿)



 今回は掛川宿から日坂宿へ向かいます。一里十九丁(約6.9Km)の道のりです。



 日坂宿の、西の入り口は西側の下木戸高札場であろうと思われます。
 掛川宿と日坂宿の間には、葛川一里塚、伊達方一里塚、事任八幡宮、などがあります。



 掛川宿、東の七曲りを出て少し行くと葛川一里塚と馬喰橋に差し掛かります。馬喰橋は橋の親柱が馬の顔だから馬喰橋だそうですが、東海道膝栗毛の弥次喜多が座頭をからかい川に落とされた場所らしいです。
 馬喰橋を渡り4Km程進むと伊達方一里塚です。こちらの一里塚は史跡として整備されてはいるそうです。
 伊達方一里塚から暫く行くと、事任八幡宮があります。ことのまま八幡宮とよみます。この神社は807年坂上田村麻呂が東征の際、再興したという事で、武家社会になると八幡宮信仰が栄え、源頼義が石清水を勧請し事任神社が八幡宮を併称するようになったとの事です。昔から「必ず願いごとのままに叶う」神社として朝廷や全国から崇敬され、枕草子にも記されているそうです。境内には樹齢千年と言われる杉の巨木が立っています。
 事任八幡宮から少し進むと下木戸高札場です。此処が日坂宿西の入り口になります。
 日坂宿は、江戸から25番目の宿場で、坂下宿、由比宿、に次いで3番目に小さい宿場との事です。東海道の3代難所の一つ小夜の中山の西麓に位置し、入坂、西坂、新坂などと記され日坂宿と読まれたりもしていた様です。



 その、日坂宿には、下木戸高札場、旅籠川阪屋、脇本陣黒田屋、問屋場跡、本陣扇屋,などが有ります。東の入り口は県道415号を横切る交差点辺りになる様です。



 下木戸高札場は江戸時代宿場の治安を守るため木戸が設けられていましたが、規模の小さい日坂宿では川が門の役割を果たしていたそうで、高札場と隣接していた為下木戸の高札場とも言われていたそうです。
 この先、旅籠川阪屋、脇本陣黒田屋、問屋場跡、本陣扇屋の史跡が続きます。
 旅籠川阪屋は、脇本陣などの肩書はありませんが身分の高い武家や、公家も宿泊した格の高い旅籠だった様で現在は資料館になっているそうです。
 日坂宿で最後の脇本陣を務めたのが、黒田屋との事です。残念ながら脇本陣黒田屋、問屋場跡、本陣扇屋は看板のみの掲示となっている様です。



 日坂宿で頂かなければいけない物は無いか?探した所、掛川宿と日坂宿の間掛川寄りに約二百年茶店を営んでおられる所が有り、そこの名物が振袖餅というお餅だそうです。着物の振袖の形に似ていた事から振袖餅と言ったそうです。
 この後、遠江国最後の宿場金谷宿を目指します。距離は一里二十四丁(約8.1Km)となります。



オッサンの競馬予想(桜花賞 2020)



 4月5日の大阪杯は、2番人気(更新時5番人気)5ラッキーライラックが最後の直線で1番人気8ダノンキングリーと9番人気10ジナンボーの間を割って先頭に立ちゴールしました。2着には、4番人気(更新時は2番人気)12クロノジェネシスが最後の直線外から8ダノンキングリーと10ジナンボーを捉えましたが及ばず2着となりました。3着は序盤から先頭に立った8ダノンキングリーが入りました。
 本命8ダノンキングリー3着、対抗12クロノジェネシス2着、△5ラッキーライラック1着となりました。結果、馬連、馬単は外れ、3連は一応的中となりました。順番が違っていたという感じです。▲3番人気3ブラストワンピースを軸から外したのは正解でした。



 4月12日は桜花賞です。
 桜花賞からクラッシック競争の幕開けです。
 桜花賞は1939年、中山四歳牝馬特別として創設され、戦後1947年桜花賞となり京都競馬場で行われましたが、1950年から阪神競馬場で行われるようになりました。
 その桜花賞は4月12日に阪神競馬場で行われます。
 桜花賞の傾向と対策です。
 人気別の成績から
  • 1番人気 1着12回 2着 5回 3着 4回 
  • 2番人気 1着 6回 2着 7回 3着 4回 
  • 3番人気 1着 4回 2着 4回 3着 4回 
  • 4番人気 1着 2回 2着 5回 3着 3回 
  • 5番人気 1着 2回 2着 2回 3着 5回 
  • 6番人気 1着 2回 2着 2回 3着 2回 
  • 7番人気 1着 2回 2着 5回 3着 2回 
 1番人気の信頼度はやや高めの勝率35%となっています。勝ち馬、連対は7番人気辺り迄チャンスがあります。しかし、3着となると2桁人気も無視する訳に行きません。
 コースでは、不思議な事に5コースを走る馬が過去34年間1度も馬券にすら絡んでいません。よほどの有力馬でない限り外して見てはいかがでしょうか?
 前走成績は、連対で4着まで、馬券でも5着までに入っていなければ外しても良いでしょう。
 前走レースは、チューリップ賞G(Ⅲ)組が強い様です。続いて報知杯フィリーズレビュー(GII)アネモネステークス、フラワーカップ(GIII)からの出走が、複数頭勝っています。この4レースからの馬で5着以内に入った馬の中から選ぶべきでしょう。



 さて、予想です。
 人気馬からです。
  • 1番人気 17 レシステンシア
  • 2番人気 9 デアリングタクト
  • 3番人気 4 サンクテュエール
  • 4番人気 8 リアアメリア
  • 5番人気 11 クラヴァシュドール
  • 6番人気 5 マルターズディオサ
  • 7番人気 14 ミヤマザクラ
 1番人気は17レシステンシアです。デビューから3連勝の後、チューリップ賞G(Ⅲ)で3着に終わっています。勢いが止まっていないかが不安材料です。
 2番人気の9デアリングタクトは、2戦2勝での出走です。前走エルフィンステークスからの出走です。
 3番人気が4サンクテュエール、シンザン記念(GIII)を勝っての出走です。
 4番人気8リアアメリアは、阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)6着からの出走です。阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)から直接の出走で勝った例は無く、成績も6着と苦しいか?と考えます。
 5番人気は11クラヴァシュドール、チューリップ賞G(Ⅲ)2着馬ですが、新馬戦以来勝っていません。
 6番人気の5マルターズディオサですが、チューリップ賞G(Ⅲ)1着馬で、馬券率も100%で来ています。5コースを走りますが、ジンクスを破る可能性は有ります。
 7番人気が14ミヤマザクラ、デイリー杯クイーンカップ(GⅢ)1着馬です。デイリー杯クイーンカップ(GⅢ)からは勝ち馬が出ていません。
 勝率100%が9デアリングタクト、連帯率100%は4サンクテュエール、5マルターズディオサ、13マジックキャッスルとなっています。馬券率100%になると11クラヴァシュドール、12インターミッション、17レシステンシアがいます。未だこの時期に馬券から外れた経験の有る馬は外したいと考えます。



 買い目としては、◎9デアリングタクト〇5マルターズディオサ▲4サンクテュエール△12インターミッション、17レシステンシアとしました。12インターミッションは15番人気ですが、3戦2勝、3着1回、前走アネモネステークスの勝ち馬です。15番人気という評価は低すぎると考えます。



オッサンのブラリ一人旅(福島区野田藤まつり 下福島公園)



 この記事は、2017年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 野田藤まつりは、春日神社だけでなく、福島区の至る処で開催されており、地元の方でも全てを見て回るのは難しいのかも知れません。
 下福島公園も、藤まつりの開場の一つです。
 下福島公園にやって来ました。藤は公園の反対側にあるようです。
 下福島公園は、大日本紡績(現在のユニチカ)の工場跡地に大阪厚生年金病院などと共に建設された公園です。此処では野田藤の栽培もされています。
 藤棚にやって来ました。
 公園には、足利義詮や豊臣秀吉が訪れた藤庵の庭が復元されています。
 珍しい、白い藤棚が1ヶ所ありました。
 藤棚に頼らず自立している藤です。
 この日は、汗ばむ陽気の好天に恵まれましたが、やはり見頃には、少し早いようです。
 この後、浦江聖天了徳院へと向かいます。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 袋井宿~掛川宿)



 袋井宿を出て、掛川宿を目指します。道のりは二里十六(約10.7Km)で、東海道も後半に入ります。



 さて、掛川宿西の入り口ですが、どうやら逆川の支流倉真川に掛かる大池橋ではないか?と考えます。
 袋井宿と掛川宿の間には、七ツ森神社、九津部一里塚、富士浅間神社大鳥居、袋井松並木、花茣蓙公園、岡津の松並木、仲道寺、善光寺、大池一里塚、秋葉山神社遙拝所などの史跡が有ります。



 袋井宿を出発して暫く行くと、七ツ森神社が有ります。桓武天皇の頃、日坂宿に出没し悪さをする怪鳥を退治するため朝廷から7人の武士が派遣されましたが、返り討ちに合い7人とも命を落としました。その墓が此処にあるそうです。
 更に暫く進むと九津部一里塚に差し掛かります。袋井東小学校の校庭に有り、1973年創立百周年記念で復元されたという事です。七ツ森神社と九津部一里塚の間には油山寺、法多山道、八幡社、村松・宇刈道などへの道標があります。
 九津部一里塚の先には富士浅間神社の大鳥居が有り、神社は鳥居の先800ⅿほどの所に有るそうで国の重要文化財だそうです。又、富士山の周辺には浅間神社が何ヶ所か有り何れも富士山を御神体としています。
 大鳥居を過ぎると、袋井の松並木が有ります。松と桜に囲まれた道だそうです。
 松並木が終わり少し行くと、花茣蓙公園です。江戸時代は旅人相手の休憩所だった様で花茣蓙が有名との事です。此処は立場が有った所で、奈良時代は郡役所もあり交通の要所でも有ったそうです。
 花茣蓙公園を出て、同新橋を過ぎると、岡津の松並木が始まります。旧東海道の松ですが、近年松喰虫の被害が目立っているそうです。
 松並木が終わると、仲道寺と善光寺が有ります。仲道寺は江戸から京迄を測量したところこの寺が丁度真ん中であったから仲道寺となったというまことしやかな?話です。
 善光寺の本尊阿弥陀仏は坂上田村麻呂の守り本尊だったとの事です。
 暫く行くと連祐寺というお寺の前に江戸から59番目の大池一里塚が有るそうです。
 一里塚を過ぎて、西掛川駅の先に秋葉山神社遙拝所が有ります。東海道には秋葉常夜燈、秋葉山常夜燈などが数多く点在しています。その火防の神様の秋葉山へ通じる道の入り口だそうです。遥拝所から直ぐに大池橋です。此処から掛川宿になります。



 掛川宿は、山之内一豊が改修し棲んだ掛川城下町でもある江戸から二十六番目の宿場です。又駿河湾から秋葉山を経て信濃国へ通じる塩の道が交差する宿場でもあり江戸時代以降は秋葉街道と呼ばれたそうです。
 掛川宿には十九首塚、円万寺、掛川城、七曲、塩の道道標、などが有ります。



 掛川宿に入り少し行くと、十九首塚が有ります。現在公園に整備されているようですが、天慶の乱で藤原秀郷に滅ぼされた平将門と18人の武将の首が埋葬されているとの事です。
 十九首塚を過ぎると、円万寺に差し掛かります。元は掛川城内に有った寺院と言う事ですが、山之内一豊による城の改修の折に現在の場所に移されました。山門は蕗の門と言い掛川城廃城の時円万寺が買い受け山門としたそうです。
 その先、掛川城へと向かう道が有ります。城に向かって進むと、逆川に掛かる緑橋の先に城が見えるようです。室町時代今川氏が遠江進出の為家臣に命じて築城させたのが始まりという事です。戦国時代には山之内一豊が10年に渡り在城し、天守閣や大手門を建設し、城下の整備にも注力したそうです。
 掛川城から街道に戻り進むと七曲りに突入です。この辺りが宿場の中心の様ですが本陣や脇本陣など他の宿場に有るものが在りません。七曲りに入り直ぐに塩の道道標に差し掛かります。秋葉山神社から信濃へ行く道になります。江戸時代は七曲りに木戸や番屋が置かれていた様です。東側の七曲り表示迄行くと東の入り口になります。



 掛川宿で美味しいものは?決まっています。ちちんぷいぷい(昔の人は偉かった)で紹介されていたのですが、掛川本陣通りの屋台街、掛川宿で無いと、という訳ではありませんが此れはこれでそそられます。掛川で宿泊して、本陣通りで一杯しか頭にはありません。
 次は、掛川宿から日坂宿に向かいます。一里十九丁(約6.9Km)の道のりになります。