オッサンのDream Journey(桜前線を追いかける 岐阜・甲府・高崎)



 3月26日は、岐阜からのスタートです。



 岐阜から甲府への移動が思いのほか掛かりますので、岐阜駅から徒歩圏内の桜の名所を探してみました。
 岐阜駅南口からすぐの所にある、清水川が良いかと思います。此処には、岐阜県の開花宣言の基準の標準木が有るそうです。220本のソメイヨシノが咲き、駅近なのにあまり混雑していないと言う事です。
 時間が有るなら、岐阜公園なども桜の名所として知られています。
 さて、岐阜から甲府への移動です。2つのプランが有ります。
 1つ目のプランです。岐阜10:08快速10:28名古屋11:00ワイドビューしなの12:53塩尻13:18あずさ14:15甲府
 2つ目のプランです。岐阜10:08快速10:28名古屋10:43ひかり11:37静岡11:41ワイドビューふじかわ14:02甲府
 どちらを選んでも良いでしょう。
 出来れば、26日中に前橋に入りたいので、あまり時間は有りません。



 甲府の桜ですが、甲府駅から徒歩5分の所に、舞鶴城公園と言うのが有ります。かっての甲府城が公園になったものだそうでお城の石垣の周りに桜が咲き楽しめるそうです。
 他にも、甲府駅から武田神社に続く桜並木が圧巻らしいです。うまく行くとこちらも楽しめるかもしれません。どちらも駅に近いだけに、1時間あれば十分に楽しめるだろうと思います。
 急いで、前橋に移動です。
 甲府から前橋に移動するのもなかなか大変です。とにかく1度、東京で乗り換えなければいけません。



 プランとしては、慌ただしいのですが、甲府15:12特急かいじ16:21八王子16:25快速16:41西国分寺16:46普通17:12武蔵浦和17:22通勤快速17:31大宮17:38上越新幹線たにがわ18:09高崎18:17―18:31前橋となります。高崎で下りる手もあります。オッサンは、高崎で降りようと思います。
 ここで、夜桜を楽しむと、3月27日は少し楽になります。



 調べてみると、高崎で高崎城址公園と高崎公園が隣接しており、高崎駅から徒歩10分の所に有り、どちらも夜間ライトアップされているとの事です。高崎城では300本、高崎公園は100本の桜が植えられているとの事です。この2つからは少し離れていますが、高崎観音山も夜桜が楽しめます。こちらは高崎のシンボル的な巨大観音像が鎮座する処です。
 3月27日のプランは、熊谷からはじまります。



オッサンのDream Journey(桜前線を追いかける 東京・高知)



 さあ、桜前線を追いかけていきます。



 満開日を基準に追いかけます。満開日で一番早いのが3月23日の東京です。次が3月26日の高知と岐阜ですので、時間的には余裕が有ります。



 東京へは関西からなら、飛行機、新幹線、車、いろんな行き方が有ります。勿論、1月に公開したように、東海道本線で東京へ・と言うのも有かも。
 東京の桜の名所ですが、たくさんあり過ぎて、何処に行けば良いのか見当も尽きません。取り敢えずは、皇居でしょうか?私は天皇崇拝者では無いのですが、無難な処と言えば皇居になります。皇居周辺だけでも、千鳥ヶ淵緑道、北の丸公園、靖国神社、国立劇場、皇居東外苑、千鳥ヶ淵公園、外濠公園などが有ります。時間は十分に有ります。時間の許す限り桜を楽しむことが出来ます。
 東京の桜を楽しんだ後は、一旦関西に戻ります。
 3月26日、岐阜と高知が満開日ですが、移動距離と時間を考えると1日で、移動と花見をするのは不可能と考えます。
 1日早いのですが、3月25日に高知に入るのが良いかと思います。翌日の26日は岐阜から27日が満開日の甲府に回りたいと思います。



 高知には、大阪空港からANA10:00の飛行機で、10:45に高知龍馬空港に着きます。
 龍馬空港からタクシーで、5分の所に、高知公園が有ります。公園内には高知城が有り国の史跡に指定され、日本100名城にも選ばれています。高知公園の桜の後は、空港の側に桜づつみ公園も有ります。此処は、200本の桜と、ツツジやサツキなども楽しむことが出来ます。
 この日の内に岐阜入りしなければ、翌日が苦しくなります。高知から岐阜も飛行機となります。
 高知から岐阜へは、13:00名古屋行きのFDAが有り、14:00に名古屋空港に着きます。そこから、バスで名古屋駅へ、電車で岐阜と言う行程になります。
 他には、高知19:40―20:40名古屋が有りますがあまりにも遅くなります。
 後は、高知14:35―15:20伊丹、伊丹から20分に1本のリムジンバスで新大阪へ、のぞみで新大阪16:33―17:22名古屋17:30―17:50岐阜という行程が有ります。



 出来れば、高知19:40―20:40名古屋の飛行機は避けたいと思います。
 3月26日は岐阜からのスタートです。



オッサンのDream Journey(桜前線を追いかける)



 先日、何度目かの桜開花予報が発表されました。



 実は、オッサンのDreamJourneyでは(昔の人はエライ!)の他に、挑戦してみたい旅が有ります。
 その一つが、南から北へ桜前線と共に、北上しながら桜を観て回る旅です。残念ながら沖縄は、早すぎてもう終わってしまっています。
 ルールとしては、沖縄を除く都道府県格1ヶ所以上桜の名所を訪ね、桜を観る事だけです。
 桜前線と言う事で、鹿児島から北海道を目指せば良いのか?と、思いきや、そんなにイメージ通りにはいかない様です。開花日、満開日が一番早いのは東京と言う事です。鹿児島はかなり遅い時期になるようです。



 各地の満開予想日です
 3月23日 東京
 3月26日 岐阜、高知
 3月27日 甲府、前橋
 3月28日 名古屋、京都、熊谷
 3月29日 広島、福岡、熊本、静岡、佐賀、横浜、鳥取、岡山、宇都宮、津
 3月30日 神戸、和歌山、大阪、奈良
 3月31日 松山、高松、松江、水戸、富山、福井
 4月 1日 下関、徳島、銚子
 4月 2日 大分、長崎、彦根、金沢
 4月 3日 宮崎
 4月 5日 福島
 4月 6日 新潟
 4月 7日 仙台
 4月 9日 長野
 4月11日 鹿児島
 4月13日 山形
 4月17日 秋田
 4月20日 盛岡
 4月29日 青森
 5月 2日 函館
 5月 4日 札幌
 5月 8日 室蘭
 東北の日本海側と、北海道はイメージ通りの満開予想ですが、他の地域は全くバラバラです。特に、3月26日から4月2日に掛けては、数も多く更に、移動距離もかなり有ります。出来るだけ満開日に近い日に廻れるように、プランを立てていきたいと思います。



 交通手段は、普通の旅行と同じ条件ならいいか?と思います。それでも、本当にこんな計画は可能でしょうか?他に同じような事を考えるアホは居るのでしょうか・・・?
 少しの間、昔の人はエライ!は休みます。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 赤坂宿~御油宿)



 赤坂宿から御油宿へ向かいます。僅か一六丁(1.7Km)の道のりです。



 御油宿の、京都側の入り口は、本陣跡だと思われます。
 赤坂宿と御油宿本陣跡の間には、関川神社、御油の松並木、東林寺などの史跡が有ります。
 関川神社は、赤坂宿の、江戸側入り口である東見附跡の直ぐ側にあります。境内には、樹齢800年高さ25mの楠と芭蕉の句碑が有ります。句は「夏の月御油より出でて赤坂や」と読まれています。
 出発して、御油宿を目指すと途中松並木が有ります。この松並木は家康の命で赤坂御位の真ん中に造った事で赤坂宿と御油宿の二つの宿に別れました。この事から、江戸に向かう際は赤坂宿、京に向かう時は御油宿に泊まると言うルールが存在しました。



 松並木を過ぎると街道の左に東林寺が有ります。白蓮院招賢山東林寺は、御油町の中心寺院だったそうでなかなか由緒のあるお寺の様です。墓地には、宿場時代の、遊女たちの墓が並んでいます。間もなく西の入口本宿です。



 御油宿は、江戸から35番目の宿場です。本陣が少ない時でも2軒あり、宿場の大きさより、賑っていた様です。隣の吉田宿や赤坂宿と共に、飯盛女を多く抱えており「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、何のよしみで江戸通い」と言われるほどだったという事です。
 宿場内には、本陣跡、松並木資料館、高札場跡、ベルツ花夫人ゆかりの地、などが有ります。
 本陣跡の碑が有る場所は、鈴木半左衛門が営んでいた本陣だったという事です。



 本陣跡から直ぐの所に、松並木資料館が有ります。国の天然記念物である御油の松並木と御油宿に関する資料、御油の復元模型、広重の浮世絵版画などが展示されています。拝観は無料との事です。
 松並木資料館の先に、高札場跡があります。看板だけの様です。



 高札場跡の斜め向かいに、ベルツ花夫人の看板が有るそうです。ベルツ花夫人(本名、荒井花子 東京生まれ)は、明治政府がドイツから招いた医師ベルツ博士の夫人で、博士の任期終了後ドイツに渡りましたが、博士没後帰国日本で亡くなりました。父親の生家が此処だったという事です。
 御油宿の美味しいものですが、やはり、同じ豊川市内と言う事も有り、赤坂宿と同じように稲荷ものとなるでしょう。
 次の妄想は、吉田宿、二里22丁(12.7Km)の道のりです。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 藤川宿~赤坂宿)



 今回の妄想は、藤川宿から赤坂宿二里九丁(10.3Km)を目指します。



 実は、藤川宿と赤坂宿の間にはもう一つ、本宿が有ります。赤坂が宿場になる前に宿場だった所だそうです。
 赤坂宿の京側の入り口は、西の見附になります。藤川宿と赤坂宿西の見附の間の史跡は、山中立場、本宿、磯丸歌碑、長沢一里塚、西の見附と有ります。
 藤川宿を出て暫く行くと、名電山中駅を少し過ぎた辺りが山中立場となります。山中立場も本宿並みに賑っていたそうです。歌川広重は、付近の風景を藤川として描いています。



 電車で1区間程度の先に本宿です。丁度駅前に本宿一里塚が有り、ここが、本宿の入り口と考えて良いでしょう。街道には本陣跡や味噌工場など、古い町並みが残っているようです。街道から少し離れると法蔵寺が有ります。法蔵寺は、二村山法蔵寺と言い浄土宗西山深草派のお寺で、本尊は阿弥陀如来です。徳川家の始祖松平親氏が伽藍を建立したことから、松平家の菩提寺となっているそうで、徳川家康が幼少の頃このお寺で読み書きなどを習ったという事で、その遺品も残っているとの事です。他にも法蔵寺には日本武尊東征の故事が伝わる硯水や、新撰組組長近藤勇の首塚などが有ります。



 本宿を出て、名鉄長沢駅の手前に、観音堂跡があり磯丸(みほとけ)歌碑が有ります。長沢駅を過ぎると、長沢一里塚が有ります。その先に、八幡神社が有り、そのあたりに見附跡の標識があるようです。
 江戸から36番目の赤坂宿は、隣の御油宿と合わせ「赤坂御位」と言う一つの宿場町でした。江戸時代家康の命により2つの宿場に分けられたという事です。その為赤坂宿と御油宿の間は一六丁しか離れていません。



 赤坂宿内の街道沿いには、高札場跡、大橋屋、尾崎屋、浄泉寺、問屋場跡などの史跡が有ります。
 高札場跡の近くには、陣屋跡の説明看板もあるそうで、廃藩置県の折には三河県の役所になっていたらしいです。
 大橋屋は1649年創業の旅籠で、広重の、絵のモデルにもなっています。2015年に旅籠としての営業を終了されました。近くの尾崎屋は曲げ物製造卸問屋です。
 浄泉寺は浄土宗のお寺で、境内の観音堂には百観音が安置されているという事です。本堂前のソテツは広重の絵で有名だそうです。
 問屋場跡は説明看板のみですが、向の本陣跡は資料館になっているようです。



 さて、赤坂宿での美味しいものを調べてみると、隣の御油宿に日本3大稲荷の豊川稲荷が有ります。そうなると、やはり稲荷寿司他の稲荷物ですね。稲荷ずしは勿論、いなりバーガーやいなりうどん、などお店によって、様々な物が提供されているようです。赤坂宿か御油宿で食べたいですね!
 次は、御油宿へと向かいます。僅か一六丁(1.7Km)の距離です。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 岡崎宿~藤川宿)



 今回は、岡崎宿から藤川宿一里二五丁(7.3Km)へ妄想を馳せます。



 藤川宿の西の入り口は、西棒鼻と言う事です。
 岡崎宿と西棒鼻の、間に有る史跡等は大平一里塚、大岡越前守陣屋跡、吉良道々標、藤川一里塚、十王堂、藤川西棒鼻跡と続きます。



 岡崎宿を出発して、暫く行くと大岡越前守陣屋跡に着きます。江戸町奉行の大岡越前が一万石の大名になってから明治まで大岡家が西大平藩主として陣屋をおいていました。手前には、大平一里塚が有ります。
 大岡越前守陣屋跡から、かなりの距離を行くと、吉良道と分岐する吉良道々標に差し掛かります。吉良道は三河湾から海産物などが運ばれた重要な街道だったそうです。此処の吉良と言うのは、忠臣蔵の吉良上野介が領主を務めた所です。芝居では悪人ですが、実際は名君だった説も有ります。



 吉良道々標から少し進むと、西の入口、藤川西棒鼻に到着です。藤川宿では、西棒鼻、東棒鼻共に復元されているそうです。大名が通るときは本陣、問屋が出迎え口上を述べていたらしいです。
 その手前には、十王堂が有り、境内には芭蕉の句碑が有るそうで、脇には藤川一里塚も有ります。十王堂は冥土で死者を裁く、閻魔大王を元とする十人の仏様を祀ったお寺です。
 西棒鼻を過ぎると、藤川一里塚です。宿場には、藤川宿脇本陣跡、本陣跡、問屋場跡、高札場跡、などの史跡が有ります。
 脇本陣は藤川宿資料館となっており、当時の歴史を無料で学べる様です。門だけが当時のものだそうです。
 本陣、問屋場、高札場は碑が有るだけの様です。



 藤川宿の美味しいものです。探してみました、藤川宿ではむらさき麦が名産品の様です。道の駅藤川宿でむらさき麦を使ったメニューが提供されているそうです。
 次は、赤坂宿を目指します。距離にして二里九丁(10.3Km)の道のりです。



オッサンの競馬予想(フェブラリーステークス 2020)



 先ずは、年末の有馬記念の回想からです。
 有馬記念は、2番人気の6リスグラシューが最後の直線で1番人気9アーモンドアイを抜き去り有終の美を飾りました。2着には3番人気の10サートゥルナーリアが入り、3着は序盤最後方に待機していた4番人気7ワールドプレミアが来ました。結果、2番人気、3番人気、4番人気という着順でしたが配当は3連単で57860円と言う思わぬ高配当でした。やはり人気が9アーモンドアイに集中していた為でしょうネ!
 注目の1番人気9アーモンドアイですが、4コーナを回ったところで追い上げを見せ、このまま先行馬を抜き去り勝つのだろうと思ったのですが、外から6リスグラシューに抜かれてからは見る見る失速と言う感じで、走る気が無くなったように見えました。陣営もアクシデントではないという事ですので一安心と言ったところでしょうか?
 2月23日は、フェブラリーステークスです。GⅠの開幕レースです。レース名のFebruaryの通り、2月に開催されているレースは、1997年にGⅠレースとなりました。
 そのフェブラリーステークスは2月23日に東京競馬場で行われます。



 傾向と対策です。
 人気別の成績です。
  • 1番人気 1着 10回 2着 3回 3着 4回 
  • 2番人気 1着 4回 2着 6回 3着 4回 
  • 3番人気 1着 3回 2着 5回 3着 2回 
  • 4番人気 1着 2回 2着 3回 3着 4回 
  • 5番人気 1着 2回 2着 4回 3着 0回 
  • 6番人気 1着 3回 2着 0回 3着 4回 
  • 7番人気 1着 1回 2着 2回 3着 3回 
 1番人気の信頼度は、勝率がかなり高いのですが、馬券率は標準的な感じです。とは言えよほどのことが無い限り1番人気を切る事は出来ません。2番人気も馬券率54%となっています。大方は勝ち馬が7番人気迄、連対、馬券が1桁人気迄となります。
 コース的には、最内の1コースが2着1回、3着1回と他のコースを走った馬の半分以下の成績ですよほどの実力差がない限り外すことも考えなければなりません。
 前走レースでは、根岸ステークス(GIII)チャンピオンズカップ(GI)組が5勝、平安ステークス(GIII)地方競馬からの出走が4勝、東海テレビ杯東海ステークス(GII)からが3勝しています。特筆すべきなのが地方競馬を走った馬が2着10回、3着9回となっています。とは言え中央の馬が前走地方競馬を走ったケースが殆どです。前走、地方で走り名をかつ中央で成績を残している馬は要注意です。
 馬齢的には、やはり勝ち馬は6歳迄となります。2着・3着で7歳、8歳が来ることも有ります。



 さて、予想です。
 人気上位馬です。
  • 1番人気 12 モズアスコット
  • 2番人気 5 インティ
  • 3番人気 9 サンライズノヴァ
  • 4番人気 2 アルクトス
  • 5番人気 3 ワイドファラオ
  • 6番人気 7 ヴェンジェンス
  • 7番人気 10 ノンコノユメ
 1番人気は12モズアスコットです。ダートに転向した前走根岸ステークス(GIII)で勝っています。フェブラリーステークスで真価を問われます。
 2番人気の5インティは、去年の覇者で、前走東海テレビ杯東海ステークス(GII)も3着と安定しています。
 3番人気が9サンライズノヴァ、昨年は中央で結果が出ていません。
 4番人気2アルクトスは南部杯2着からの出走で、騎手相性も悪く有りません。
 5番人気10ノンコノユメは8歳馬と言う馬齢です。一昨年このレースで勝ってから馬券に絡んでいません。はっきり、苦しいかと感じます。
 6番人気は3ワイドファラオ、4歳馬ですが力的に苦しいのか?と思います。
 7番人気の7ヴェンジェンスは前走東海テレビ杯東海ステークス(GII)2着です。7歳と言う馬齢が気になります。



 予想としては、◎2アルクトス〇6ミッキーワイルド▲5インティ△12モズアスコット、3ワイドファラオとなりました。
 〇6ミッキーワイルドは11番人気ですが、前走根岸ステークス(GIII)で11着に終わってしまった為だと思われます。前走根岸ステークス(GIII)でも2番人気でしたので力は有ると感じます。
 ▲5インティ△12モズアスコットは、力は有りますが、6歳と言う事で軸には出来ませんでした。必然的に本命は2アルクトスになります。△3ワイドファラオは後1頭選ぶとなった場合4歳5歳馬で魅力のある馬が見当たりませんでした。取り敢えず人気を集めている3ワイドファラオを選びました。
 ◎2アルクトス〇6ミッキーワイルド▲5インティ△12モズアスコットの4頭に何が絡んで来るか?と言ったところでしょうか?



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 池鯉鮒宿~岡崎宿)



 池鯉鮒宿から岡崎宿への妄想をします。距離にして約三里三十丁(15.3Km)の道のりです。



 池鯉鮒宿を出ても、岡崎宿へ向かう道沿いには、池鯉鮒宿に関わる史跡が幾つか有ります。
 池鯉鮒宿、岡崎宿間には、来迎寺、松並木、尾崎の一里塚、明治用水碑、八丁味噌蔵、岡崎城下二七曲道標板屋町角などの史跡があります。岡崎宿の西の入り口としては、岡崎宿西本陣跡だとは考えるのですが、かなり東の方へ来てしまいますので、岡崎城下二七曲道標板屋町角を西の入り口とすることにしました。
 池鯉鮒宿を出発し、暫く行くと来迎寺に到着です。来迎寺は、臨済宗のお寺です。お寺の前には来迎寺一里塚が有り、街道の両側に現存しています。
 来迎寺から2Km程進むと明治用水碑に差し掛かります。明治用水は西三河一帯に灌漑する用水路でした。現在は記念碑が残っているようです。その周辺には松並木が続いています。知立の松並木、安城の松並木、尾崎の松並木と有るとの事ですが、調べてみると、知立の松並木も安城の松並木も明治用水の辺りがそれらしいとの事です。どうやら同じものなのかもしれません。尾崎の松並木もさほど離れていない様です。



 ここから、少し距離は有ります、岡宿の手前まで進みます。矢作川を渡り街道を行くと、味噌工場が立ち並ぶ地域に来ます。八丁味噌の蔵屋敷です。ほどなく、岡崎城下二七曲道標板屋町角に、東海道五十三次です。取り敢えずここを、西の入り口にしておきます。
 岡崎宿は、岡崎城の城下町でもあり、徳川家康生誕の地でもあります。又、駿河国駿府宿に次いでの規模を誇る宿場町でした。



 岡崎宿の史跡には、岡崎城、東惣門跡、岡崎信用金庫資料館、岡崎宿西本陣跡、岡崎二七曲碑などが有ります。
 二七曲碑は、防衛の意味で城下の道が屈折しているのが常で、岡崎宿の二七曲はその典型の様です。曲がり角ごとにその碑があると言う事ですが、見つからない物もあるそうです。
 岡崎城は戦国時代から松平氏の持城で徳川家康の生地でもあり、別名龍城とも言われます。お城は、整備された岡崎公園の中にあり、多くの史跡があります。



 岡崎信用金庫資料館は、1917年に建てられました。ルネッサンス様式の建物は大正時代に流行っていた幾何学的な意匠も織り交ぜられています。
 岡崎宿西本陣は、当初本陣が二軒有ったそうですが、後に本陣が三軒、脇本陣が三軒と言う規模になった様です。



 さて、岡崎宿の美味しいものですが、地域が岡崎市のご当地グルメを売り出そうとかなり力を入れられているようです。その中で、これは?と言うものが有りました。
 岡崎まぜ麺は、店によって和洋中、創作と有ります。八丁味噌蔵群のキャラクターのどら焼き、八丁味噌のソフトクリーム、八丁味噌の田楽など何を食べるか?迷う感じです。
 次の妄想は、藤川宿一里二五丁(7.3Km)への旅です。



オッサンのブラリ一人旅(浪速七幸巡り 安居神社)



 この記事は、2016年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 今宮広田神社を後にして、国道25号線を四天王寺目指して歩きます。この日は、最高気温が30度に届こうか?と言う晴天の中、逢坂までやって来ました。
 逢坂沿いに、こんな所が有りました。安居神社・安居天満宮・真田幸村戦死の地?偶然見つけたのですが、なかなか興味深いキーワードが盛り込まれています。気力的にまだ余裕が有ったので、散策(徘徊?)してみることに。
 ビルの谷間に、森と参道が有ります。そこを抜けると神社が現れます。
 安居神社の創建年は不詳ですが当初、少彦名神祀られていましたが、菅原道真が大宰府に流されるとき風待ちの為此処で休息をとった事から、道真公も祀られ安居も名が付いたとも、言われています。また、天王寺三名水の井戸が在る事から「安井」と呼ばれた等諸説あるようです。更に、大丸の創業者が信仰していたことから大丸天神と称されることも有るそうです。
 真田幸村は大坂夏の陣に敗れ、退却の途中この地で、休んでいたところ、敵に見つかり討ち死にしたと言う事です。
 幸村は、境内にある一本松の下で戦死したのですが、当時の松は枯れ死しましたが、社殿復興を機に植樹されたそうです。
さなだ松
 当然、天神宮には、牛がいます。本殿の中までは撮ることが出来ませんでした。狛犬はこんな感じです。
 御多分に漏れず、稲荷神社が有ります。もう一つの祠は金山彦神社です。
 友好都市の長野県、上田市から送られたしざれ桜です。
 西側の参道からの風景です。少し歩くと国道25号に出ます。
 境内から下を見た景色です。降りて行くと天神坂が続きます。
 天神坂を歩き出すとすぐに、湧水が有ったのですが、この時は、水が有りませんでした。
 途中こんなお寺も有ります。不動明王が安置されています。坂を見下ろすと、映画かドラマのロケーションに使えそうです。
 この後、四天王寺へ向かいますが、四天王寺から廻っていたら、おそらく、四天王寺だけで終わっていたでしょう。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 鳴海宿~池鯉鮒宿)



 2月16日の所さんお届けモノです!では、チャンカワイさんが東海道見付宿から袋井宿、掛川宿、日坂宿、金屋宿と歩いていました。これで、ちちんぷいぷいの昔の人は偉かったと出会った事になります。



 鳴海宿から池鯉鮒宿二里三十丁(12.2Km)の妄想です。地鯉鮒宿は知立宿とも表示することがあるようです。



 池鯉鮒宿の京都側の入り口は、知立古城址を過ぎた辺りが入り口にあたります。
 鳴海宿から池鯉鮒宿の間には岡家住宅、有松・鳴海絞会館、桶狭間古戦場、高徳院、阿野一里塚、洞隣寺、総持寺、知立神社、知立城跡などの史跡や見どころがあります。



 鳴海宿を出て、程なく有松・鳴海絞会館が有り、絞作業の見学や展示販売されているそうです。その周辺は重要伝統建造物群保存地区になっており、岡家住宅他、有松の街並みを視ることが出来るようです。
 絞会館から少し行くと、桶狭間古戦場です。勿論、織田信長が兵力2万5千の今川軍を三千の兵で破った桶狭間の戦いの舞台になった場所です。現在は公園になっていて、今川義元の墓なども有ります。
 古戦場の近くにある、高徳院は高野山真言宗のお寺です。今川義元は桶狭間の戦いの為に本陣をここに置いたと言う事です。古戦場、高徳院共に今川義元に纏わる史跡が多く有ります。又、近くには中京競馬場が有り、競馬開催日と重なった場合はそちらで1発勝負?
 古戦場の先に阿野一里塚が有り、江戸から86番目の一里塚です。街道の両脇に現存する一里塚は国の指定史跡だという事です。この一里塚を離れ境川を渡ると、尾張国から三河国に入ります。



 三河国に入り少し行くと、洞隣寺です。曹洞宗のお寺で開基は徳川家康の叔父で刈谷城主の水野忠重と言う事です。刈谷城は西へ数キロ離れた所で亀城公園として整備されています。
 洞隣寺から少し行き、逢妻川を渡ります。すぐに総持寺と知立神社が有ります。
 総持寺は、天台宗のお寺で、家康の側室於万の方生誕の地とされています。知立神社の境内に総持寺が有る様な感じです。
 知立神社は三河国二宮で江戸時代には東海道三社の一つに数えられたそうです。境内には多宝塔がありますが、これは12月に紹介した柏原八幡神社の三重塔と同じように塔から本尊を省き文庫にすることにより、神仏分離令から逃れた様です。本尊は総持寺に有るとの事です。
 総持寺の数百メートル先には、知立城跡が有ります。知立城は知立神社の神主の築城とされており、その居館が城の始まりとされているそうです。現在は公園になっていて石碑と案内板があるだけと言う事です。



 知立城跡を過ぎた辺りが、池鯉鮒宿の入り口と言う事です。
 池鯉鮒宿は、江戸から39番目、京都からは15番目の宿場です。池鯉鮒は歴史的仮名遣いで(ちりふ)と読まれます。中世には鎌倉街道の要衝として江戸時代は東海道の宿場町として栄えた所です。池鯉鮒の地名は、近くに鯉や鮒の多く住む池があった事ではないか?と言う事です。
 宿場内には、池鯉鮒宿本陣跡、問屋場跡、慈眼寺の史跡があります。本陣跡、問屋場跡は跡碑のみとなっています。
 慈眼寺は、福聚山慈眼寺と言い阿弥陀如来を本尊とする曹洞宗のお寺です。お寺の東側は馬の集積地で馬市も開かれていたそうで、馬の供養の為馬頭観音が祀られたという事です。
 鳴海宿から池鯉鮒宿間のルートプランは有松・鳴海絞会館―桶狭間古戦場―高徳院―阿野一里塚―洞隣寺―総持寺―知立神社―知立城跡と言った計画になります。
 宿場内の計画は、本陣跡―問屋場跡―慈眼寺となります。



 さて、池鯉鮒宿での美味しいものは、いもかわうどんと言うのが有ります。平打ちのうどんできしめんのルーツとも言われている物です。明治時代に途絶えていましたが、2007年に復活したそうです。鳴海宿から池鯉鮒宿の間で食べなければいけない物だと思います。
 次回は岡崎宿へと妄想の旅をします。距離は約三里三十丁(15.3Km)となります。