オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 坂下宿~関宿)



 坂下宿から関宿は約一里二四丁(6.79km)の距離です。



 坂下宿の東の出口、河原谷橋を出発1km程で沓掛集落に差し掛かります。沓掛とは、馬や牛のわらじを沓と言い、ここでわらじを取り替え旅の安全を祈り沓を木などに掛けた所と言う事です。
 沓掛から国道1号に出て、暫く行くと西の追分に到着します。沓掛・西の追分間にはあまりこれと言った見どころは無い様です。



 西の追分は当然関宿の西の入り口にあたります。関宿は昔から交通の要衝で、奈良時代には「鈴鹿の関」が置かれ、関宿も此処から来ているそうです。
 江戸時代になると、西の追分で大和街道、東の追分で伊勢街道分岐することから、多くの旅人賑っていた様です。更に、東西の追分の間は、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、旧建設省の日本の道100選にも選ばれています。
 東西の追分の中で見どころは十分にあるようです。



 観音院と言うお寺は、関宿の守り神で嵯峨天皇の時代に開創されたお寺です。その先に地蔵院と言うお寺があり、日本最古の地蔵菩薩を本尊とするお寺です、741年の開創で本堂、愛染堂、鐘楼が国の重要文化財だそうです。
 観音院から地蔵院の間にも、嘉永年間建築の旧家などが軒を並べています。地蔵院の側の会津屋は、元は関宿有数の大旅籠だった所で現在は食事処となっています。この先、東の追分までにも見どころは結構あるようです。
 東の追分まで来ると、伊勢への分岐点と言う事もあり、伊勢神宮一の鳥居と常夜燈などが残っています。
 関宿に入ると、徒歩で散策するのが良いのかな?と感じます。
 さて、関宿で美味しいものは?と、調べると、幾つかありました。まずは、会津屋ですね、山菜お強が名物だそうです。他には、JR関駅の側に、道の駅関宿が有ります。そこで有るのが、みそ焼きうどん。他に亀山ラーメンなどが有ります。宿場内には、和菓子処も多く有るようです。
 次は、亀山宿を目指す妄想です。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 土山宿~坂下宿)



 土山宿から坂下宿間は、約二里半あります。



 道の駅土山から出発します。街道をゆくと海道橋に差し掛かります。これは、木造の橋で2005年に竣工された物で当時の板橋を再現しているそうです。車で渡る事は出来ない様なので、車の場合は国道1号に迂回しないといけません。
 国道1号に出て鈴鹿方面に進むと、途中国道から少しそれた所に、蟹塚があります。蟹ヶ坂飴の伝説が残る処です。古戦場にもなっていたようです。
 蟹塚から少し行くと、猪鼻交差点には、あいの土山公園がありますが、調べてみても何も分かりません。この辺りに立場が有ったのではないか?と思います。猪鼻は、休憩場所として栄え、草餅や強飯が名物だったそうです。
 猪鼻から少し行くと、山中一里公園地に着きます。此処は、国道1号、旧東海道、第二名神高速が交差する場所です。程なくして鈴鹿馬子唄の碑が有ります。
 馬子唄の碑から、暫く国道1号を進むと鈴鹿トンネルの手前に万人講常夜燈が立っています。万人講常夜燈は、江戸時代金毘羅参りをする人々が、道中の安全を祈願して建立された物です。トンネル工事の際に現在の場所に移設されたということで、土山側からの峠の入り口の役割を負っているのかもしれません。
 トンネルを出て少し行くと、鈴鹿峠関宿側登りと、石碑があるのではないか?と思うのですが国道1号を反れて、山道を行かなければならない様で、車も使えそうにありません。実際、そこへ行くことが可能かどうかですね!元は、この辺りが坂下宿の中心だったそうです。



 トンネルを抜けると、三重県に入ります。国道とは言え、九折の急なカーブが続きます。鈴鹿峠の坂下側は、八町二十七曲と言われるほど急な曲道の続く険しい道だったと言われます。
 トンネルを通らず旧東海道を行くと、芭蕉の句碑もあるようですが。行ける様な処なのかどうか?分りません、多分、車は行けないのではないでしょうか?
 鈴鹿川に沿って、国道1号を進み、途中国道を反れ、街道に入ります。いよいよ坂下宿です。
 坂下宿は、江戸から見ると鈴鹿峠を控えた宿場町として賑い、鈴鹿馬子唄では「坂の下では大竹小竹 宿がとりたや小竹屋に」と唄われていました。大竹やとは、本陣の1つで、小竹屋は脇本陣だそうで、小竹屋には庶民も止まっていたそうです。



 次回は、関宿を目指します。



オッサンのブラリ一人旅(御堂筋 南御堂)



 この記事は、2017年4月にSeesaaブログで公開したものです。



 難波神社のすぐそばに、南御堂は有ります。
 南御堂は、通称で正しくは真宗大谷派難波別院と言います。浄土真宗大谷派の寺院です。1595年秀吉から寺地を寄進され、現在の道修町に大谷本願寺が開設されました。その3年後に、現在の場所に移転しました。その後、家康から寺地を寄進された大谷本願寺は京都に移転、その跡地に難波御堂として造営されました。
 現在の、東本願寺御影堂は難波御堂の本堂を参考にしたと言われています。
 難波という呼び名は摂津国西成郡上難波村の旧地であったことに由来します。船場の市街化後も難波神社にかけて大正時代まで上難波北之町と、この辺りは呼ばれていたそうです。
 山門を入ってすぐに、釣鐘が有ります。その脇には芭蕉の句があります。確か芭蕉はこの辺りで没したようです。
旅に病で ゆめは枯野とかけまはる  芭蕉
 本堂です。幸い中の様子も画像に収めることが出来、御焼香もさせていただきました。
 本堂の前には、こんなキャラクターが?名前は何というのでしょうか?
 本堂の南側には庭園が広がっています。
 御堂筋側には、御堂会館が有りますが、残念ながら現在は建て替え工事中です。
 2月下旬ですが、まるで春の様な陽気の中、梅田へと引き返します。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 水口宿~土山宿)



 水口宿~土山宿、二里半(12.1km)を進みます。



 水口宿を出て、野洲川沿いを進んで行きます。ほどなく、今郷一里塚があります。このまま街道をゆくと、茅葺家などが見ることも出来るそうです。
 このまま街道を進むと野洲川に架かる屋根のある歌声橋があり、橋を渡って、街道を離れると旧松尾川の渡しがあります。松尾川は江戸時代の野洲川の呼び方だったようです。船で川を渡っていたと言う事は、ここも交通の要所だったのでしょう。
 街道に戻り土山宿を目指すと、大黒屋本陣跡に到着です。大黒屋本陣は甲賀武士の末裔土山氏と土山の豪商大黒屋が勤めていた本陣であると、言う事です。近くには土山家本陣跡もあります。
 土山家本陣跡から少し行くと、来見橋に差し掛かります。此処が土山宿の東の入り口らしいです。しかし、その後も土山一里塚や上島鬼貫の句碑などもあります。
 ならば、西の入り口は?どうやら、大黒屋本陣跡の辺りが西の入り口らしいです。



 土山宿は、平安時代より伊勢参宮道が旧東海道筋を通る為、鈴鹿峠を越えなければならず、難所を控える宿駅として発展しました。鎌倉時代東西の交通が更に重要視され、武士、商人、庶民の通行も盛んになりました。更に、土山宿は雨の多い所でもあり、鈴鹿馬子唄では、「坂は照るてる 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る」と唄われています。坂は坂下宿、鈴鹿は鈴鹿峠、土山は土山宿で、坂下宿は晴でも、鈴鹿峠で曇り、土山宿では雨が降っているという意味です。
 土山宿での、美味しいものを調べてみました。道の駅あいの土山の抹茶ソフトの盛り放題というのが有りました、一日100個限定らしいです。次に日本一たい焼き国道1号沿いに有り、行列のお店だそうです。そして、蟹ヶ坂飴、麦芽水飴を煮詰め丸く成型した飴です、この飴の発祥には蟹の言い伝えが在ります。この飴は土山宿でしか手に入るのでは?



 次は鈴鹿越えの坂下宿を目指します。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 石部宿~水口宿)



 石部宿から水口宿を目指します。



 石部宿を出て直ぐに、落合川に差し掛かります。川を過ぎて暫く行くと、由良川隧道があります。この隧道は、野洲川支流の由良川が頭の上を流れています。天井川と言うものです。隧道の手前に碑があるようです。隧道を抜けると夏見立場新田道道標があります。
 少し行くと、夏見一里塚跡があり、それを過ぎて暫く行くと、野洲川支流の大沙川に差し掛かります。大沙川も由良川同様天井川で、大沙川隧道となっています。隧道の上には弘法大師が植えたとされる大杉があります。隧道を抜けると碑があるようです。
 野洲川の手前、街道を反れて、JR草津線沿いに天保の義民碑が建っています。天保一揆犠牲の犠牲者を慰霊するために建立された物です。



 街道に戻り、野洲川を渡り国道1号に出て直ぐに、県道535号へ入ります。野洲川沿いを少し行くと、横田の渡しです。横田の渡しは東海道一三渡しの一つで、交通の要所だったこの辺りは、横田川と言われ、幕府の政策で橋が架けられず、難所だったそうです。辺りにはその常夜灯も立っています。
 ここで県道535号から反れると東海道です。少し行くと泉一里塚跡がありますが、新しく復元された物らしいです。
 泉一里塚から暫く進むと、松並木が続きその先に北脇繩手の碑が有ります。此処は曲がりくねった道を直線状に整備されたものです。
 少し行くと、林口一里塚跡です。この辺りが、水口宿の西見附に当たります。近くには水口城跡もあります。そのまま、近江鉄道を過ぎると、東へ三筋に分れた道が有り、城への侵入を防ぐ迷路の様な役割を果たしていたそうです。



 三筋を過ぎると、本陣跡です。足利将軍の伊勢参り時休憩場所となった場所でもあり、水口宿には本陣と脇本陣が置かれていました。東見附は江戸口と呼ばれています。
 水口宿は、都から伊勢に通じる要地として早くから開け、徳川家光の時代に、水口城が築かれ甲賀地域の中心としての地位を固めて行きました。



 水口宿の美味しいものを調べると、スヤキと言うものがあるようです。麺を葱、もやしと一緒にラードで炒めた焼きそばの様なものらしいです。味付けは各自でする様です。
 次は、土山宿に向かいます。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 草津宿~石部宿)



 草津宿から石部宿へは、県道116号から県道12号に入ります。



 交通の要であった草津宿を出てすぐに、牛馬養生所跡があります。老牛馬が余生をおくる施設らしいのですが、生類憐みの令が発令されるきっかけとなったという説があるようです。
 牛馬養生所跡から1kmほどの所に、目川の一里塚があり、広重の絵にも、描かれている田楽茶屋があったところです。その田楽茶屋が再現されているそうです。その、県道116号と117号の分岐点に東海道と中部街道の石碑があります。
 暫く行くと、足利義尚公鈎陣所の碑が有ります。本陣跡は200mほど西の永正寺だそうです。程なく進むと稲荷神社が有りますが街道との縁の程は分かりません。
 稲荷神社から1km程行くと、六地蔵一里塚跡の石碑があります。その数百m先に、旧和中散本舗の石碑があります。和中散は、家康がこの辺りに滞在した際に腹痛を起こし、この薬を飲んだところ治まり、この薬を和中散と名付けたという言い伝えがあるようです。すぐ近くには六地蔵尊があり、国宝となっているようです。近くには、東海道から少しそれますが、新善行寺があります。長野に行けない人々の為に建立されたそうです。



 東海道に戻って石部宿を目指します。名神高速、国道1号を越えると街道とは縁は無いものの本殿は京都の上加茂神社を移築したものらしいです。街道からは少しそれています。
 街道に戻り直ぐに、小島本陣跡があります。明治天皇が止まった事のある豪華な本陣だったようです。



 いよいよ石部宿です。その手前に、東見附跡があります。番人が通行人を見張る事から見附と言ったそうです。宿場の出入り口にも有ったそうで、石部宿の場合東西2か所に有りました。
 石部宿は、京都から3番目、江戸からは51番目の宿場として栄え、伊勢参宮街道の分岐点でもありました。京都からは丁度、一日の行程であった事から「京立ち、石部泊まり」という言葉が有ったそうです。宿場内には二軒の本陣、旅籠32軒など458軒が街道に立並び1.6kmに渡っていました。その中央には問屋場や高札馬が有ったそうです。
 草津宿石部宿間は、二里二五丁(11.7km)の距離です。
 さて、石部宿で美味しいものは?と調べてみたのですが、一ついもつぶしと言うのが有りましたが、湖南市で食べられるお店を探すのは難しそうです。
 次の、宿場は水口宿です。



オッサンのブラリ一人旅(元伊勢 天橋立府中側)



 この記事は、2018年3月にSeesaaブログで公開したものです。



 もう、3月の下旬と言うのに2月のネタを更新しようとしています。
 籠神社と真名井神社を周った後、天橋立を散策することにしました。
 籠神社の西側には土産物店が並んでいます。
 土産物店街を歩いていると傘松公園に登るケーブカー乗り場が有ります。
 ケーブ乗り場の隣に階段が続いています、成相寺の碑が立っています。此処を行くと成相寺に行けるのか?と思い上ることに・・・
 登ってみると、そこは成相寺ではなく、大谷寺と有りました。これ以上は登る道もありません。
 お寺の、手前に展望台が有りました。此処からも橋立が一望できます。案外穴場かも知れません。只、股覗きは出来ません。
 来た道を、下っていくと、ケーブルカー乗り場の中にリフト乗り場も有りました。この日は数日前の豪雪の影響で運行はされていませんでした。
 そこから、山の方を見上げるとケーブルカーが昇り降りしている風景も見ることが出来ます。
 更に、土産物店を見物していると、有る店の奥に薪ストーブが有りました。冷えた体を温めたくて、店内へ。
 暫く温まった後、目にとまったのが丹後オイルサーディン物は試しにと3缶ほど購入。未だ1缶を食べただけですが、味の感想はいずれ、「オッサンの手抜き飯」で紹介したいと思います。
 ついでにと、天橋立も散策しようとしたのですが、橋立を対岸迄行くとなるとかなりの時間が掛かりそうです。此処は、敢無く断念、気候の良い頃に来たいと思います。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 大津宿~草津宿)



 今回は、大津宿からのスタートです。



 実際に、旅をした場合の所要時間が全く分かりません。取り敢えずは大津宿で宿泊すると仮定して進めて行きたいと思います。



 さて、大津宿を出発して草津宿へ向かいます。草津宿を目指すには県道104号から県道2号を走ります。この道が東海道となっています。
 大津宿を出発してすぐに、平野神社が有ります。祭神は精大明神、蹴鞠の祖神ということです。しばらく行くと北惣門跡と南惣門跡があり、共に家康の命によって築かれた膳所城への城門だったようです。膳所城は東海道から少しそれた琵琶湖湖岸道路沿いにあります。
 膳所城を離れ、暫く行くと、瀬田川に来ます。やはり、膳所城と共に外せないスポットでしょう。瀬田の唐橋です。この橋は、日本三名橋の一つで近江八景の一つにも挙げられています。
 草津市に入る手前に、一里塚跡、草津市に入って野路の玉川跡、一里塚公園と続きます。一里塚は街道の側に一里毎に設置されていた塚です。この辺りには。一里山と言う地名が有るそうで、一里塚が有ったようです。
 草津市に入ると街道に関係者する名所が結構あります。姥ケ餅屋跡は旅人を矢橋の渡し場へ案内するもので歌川広重の絵にも描かれています。
  草津宿に近づくにつれ、問屋場跡や追分があります。問屋場は荷物の中継地点と言ったところでしょうか。追分は東海道と中山道の分岐点に建てられた追分道標で、右東海道いせみち、左中山道美のぢ、と刻まれています。追分のすぐそばには、草津宿本陣があります。
 いよいよ、草津宿です。
 草津宿は古くから交通の要衝でした。室町時代は京都と伊勢の中継地点として発達し、戦国時代には「瀬田橋を制する者は天下を制する」という言葉もあり、織田信長も交通政策に力を注いだそうです。関ヶ原の戦い以降、家康により東海道の整備と宿場が設置され、草津宿も誕生しました。



 大津宿と草津宿の距離は三里二四丁(14,5km)有ります。
 今回も草津宿で宿泊するとしての行程にします。となるとこの辺りの美味しいものも探さなければなりません。やはり大津宿、草津宿となると、鮒鮨、近江牛ですが、他にも鰻丼に厚焼き玉子を乗せた、きんし丼や志じみめしなどが有ります。
 その宿場でしか頂けない様な名物グルメも取り上げたいと思います。
 次の宿場は石部です。



オッサンのブラリ一人旅(元伊勢 真名井神社)



 この記事は、2018年3月にSeesaaブログで公開したものです。



 さて、籠神社の北側には真名井神社が有ります。籠神社の駐車場から500mほど住宅街を言った処に有ります。
 雪道を抜けて参道に到着です。参道の路肩にも雪が残っています。この週の豪雪の爪痕も残っていました。
 真名井神社にやって来ました。残念ながら工事中で、境内に入るのに、渋滞しています。
 真名井神社は、大和朝廷の時代より前からこの地に有ったという説が有るようです。主祭神が豊受大神であることから、籠神社の外宮との位置付けの神社かと思ったのですが、籠神社では、真名井神社を奥宮、あるいは上宮、籠神社を下宮と称しているようです。更に祭神に天照大神が祀られ、籠神社にも豊受大神が祀られています。
 豊受大神は元々、真名井神社に祀られていたようですが、天照大神と共に伊勢神宮に祀られるようになっています。
 気になるのが籠神社の主祭神ですが、天照大神と思っていたのですが調べてみると籠神社の主祭神は彦火明命 (ひこほあかりのみこと)で天照大神は祭神との事、この事から大江の元伊勢観光センターの方が言われていたことを思い出しました。曰く「籠神社に天照大神が鎮座したという歴史的記述が無く信ぴょう性に疑問が有る」との事でした。しかし、豊受大神自体は丹後国が元の様ですそこから、元伊勢として名乗るのも間違いではないのかも知れません。
 境内に入ると、狛犬の代わりに二匹の龍が左右に鎮座しています。
 龍の横には冷水が涌いていたのですが、参拝した時には何の興味も待たずスルーしてしまいました。
 鳥居をくぐって本殿へ、と、思ったのですが・・・ここから先は、撮影禁止です。
 本殿も工事中で、本当にお詣りだけで引き返す事になってしまいました。工事が終わってからもう一度来る必要が有りそうです。



オッサンのブラリ一人旅(元伊勢 籠神社)



 この記事は、2018年2月にSeesaaブログで公開したものです。



 初詣で、元伊勢に行った際元伊勢観光センターの方が、籠神社の事を話しておられました。曰く、大江の元伊勢の他にも元伊勢を名乗っている神社が有るとの事でした。只、その神社は天橋立に有り観光地化していて、事の真偽は分からないようです。インターネットで元伊勢を調べると籠神社の事が頻繁に出て来ます。ならばと言う事で行ってみることに・・・
 籠神社は、天橋立の傘松側に有ります。すぐ近くには傘松公園に上るケーブルカーの乗り場が有ります。日本海側で大雪が降った後でしたので神社も雪景色です。
 籠神社の読み方はこの神社と読みます。丹後国一宮で元伊勢も一社であるとされています。故に元伊勢籠神社と呼ばれ、又は、元伊勢根元宮、内宮元宮、籠守大権現、籠宮大明神とも呼ばれることがあるそうです。
 神門の両脇の狛犬は、国の重要文化財に指定されています。
 神門です。残念ながらここから先は撮影禁止となっています。
 籠神社の祭神は、彦火明命を主祭神とし、相殿神として天照大神・豊受大神・海神・天水分神とされています。境内の中には猿田彦神社もありました。