オッサンのブラリ一人旅(お菊神社~お菊伝説Ⅱ)



 先日は、姫路城のお菊伝説を紹介しました。
 今回は、十二所神社のお菊伝説を紹介します。



十二所神社のお菊伝説です

 姫路城のお菊伝説と同じ頃、姫路二代城主小寺則織(のりもと)の奥女中として仕えていた菊女は、君主則織が若くして病床に伏したおり、病気平癒祈願の為十二所神社に参籠していました。その甲斐があってか心願が叶い則織は全復します。
 お家を乗っ取ろうと企んでいた悪家老青山鉄山は、町ノ坪弾四郎等と組み、則織病気全快の祝いとし増位山で観桜の宴を催し、則織を毒殺し主家を横領しようとしました。しかし菊女の内通により衣笠靱負介ら忠臣の知る処となり、危うく難を逃れた則織は家島に逃げ延び再起を図ります。
 お家乗っ取りに成功した鉄山は小寺家の家宝「赤絵の皿」に珍味を盛り祝杯を上げました。その皿の管理を命ぜられた菊女は、弾四郎の奸計により皿を隠され、皿改めの場に引き出され、無残な最期を遂げます。菊女21歳の時です。
 菊女の例に導かれた主君則織は青山鉄山・町ノ坪弾四郎を射ち、本懐を遂げます。
 小寺加賀守則織は菊女の忠節に報い、十二所神社に祠を立て菊女の霊を祀ったとの事です。
 これが、十二所神社の伝説です。幽霊になって皿の枚数を数えることはしていませんが恐らく割愛されているのではないかと考えます。弾四郎に言い寄られ、それを拒否した事が独り歩きし、怪談の皿屋敷になったような気がします。
 菊女と言うのはお菊の事ですが、此れはお菊が奥女中であったとので菊女と表現されているのではないでしょうか?
 しかし、姫路城と十二所神社の伝説を編集すればなかなか良い物語が出来上がるのではないでしょうか?浄瑠璃では演じられているようですが、ドラマや小説になっても面白いのではないでしょうか?姫路周辺には他にもお菊伝説が存在するようですし、鉄山の息子小五郎が小寺則織の妹白妙姫と恋仲で父親の謀反に反対していたという説もあります。まるで、姫路版ロミオとジュリエット?その後小五郎は父親の行いを恥じ自害します。三木市在住の作家玉岡かおるさん辺りが、それらのお菊伝説を纏めて新しい物語を書かれると面白いのですが・・・



 姫路のお菊伝説は、これだけでは終わらず、お菊騒動から300年程経った頃ジャコウアゲハが大量発生しその蛹が後ろ手に縛られた和服の女性に見える様からお菊虫と呼ばれ姫路市の市の蝶とされているようです。
 今のところ、姫路のお菊伝説が一番古いように感じています。室町時代末期の竹叟夜話がお菊伝説の元とされていますが、此れも播州を舞台とした話です。皿ではなく盃の話であることから一般的な皿屋敷異なると言う説もありますが、尼崎の皿屋敷は針の話です。その事から考えると皿も盃も同じとオッサンは考えています。
 オッサンのブラリ一人旅と言いながら、只今あらぬ方向に向かっていますが、暫く我慢してください。番町皿屋敷や落語の車屋敷などについても述べたいと思っています。



オッサンのブラリ一人旅(尾道 艮神社)



 海の日の3連休、その前の7月12日に休みを取り1泊2日で尾道に行ってきました。
 到着したのは、11時30分頃。まずは、車を駐車して、散策開始です。
 丁度お昼時、腹ごしらえに入ったのが、ガイドブックに掲載されていた。「いわべえ」
 頂いたのが「尾道焼」、広島風お好み焼きと殆ど変わらないのですが、具は、鳥の砂ズリとイカ天になっています。
 今回、1泊の日程ですので、ガイドブックのモデルコースを基に、回る事にしました。
 先ずやって来たのが艮神社です。 
 艮神社は旧尾道市内で最古の神社とされています。建立は806年、旧社格は村社となっています。
 ロープウェイの乗り場沿いに参道が続いて行きます。
 境内の上は、ロープウェイの通り道になっています。
 境内に入ると、大きなクスノキが目に飛び込んできます。艮神社のクスノキ群と呼ばれ、広島県の天然記念物となっています。
 いよいよ拝殿です。
 祭神は、伊邪那岐神、天照大御神、素戔男命、吉備津彦命となっています。
 境内には、他にも摂末社が祀られてはいるのですが、拝殿への通路以外は、至る処にロープが張られており参拝はかないませんでした。
 尾道は、映画やアニメーションの舞台として取り上げられます。艮神社も時をかける少女、ふたり、かみちゅ!などの舞台となっています。
 参拝も終わり御朱印を頂く事に、御朱印はすでに印刷されている物を頂くようになっていました。
 この後ロープウェイに乗り千光寺山頂へ向かいます。