オッサンのブラリ一人旅(二村神社 真南条)

 古市見内の二村神社を後にして、訪れたのが真南条の二村神社。
 国道372を走っていると二村神社の碑と、石灯籠が国道沿いに有ります。 
 ここからが、参道の様です。
 途中、鳥居が有りますが、石段になっています。何とか、鳥居の横から車を進めます。  
 ようやく、二村神社に到着です。此処で車を止めて境内へ入って行きます。
 境内です。車で入れそうな気もするのですがどうなのでしょう?
 真南条の二村神社は、元亀年間の創立と云われています。
 宮座争いのおり、真南条の名主が見内の二村神社から伊弉冉尊の御神像を持ち帰り清流で清め、宮の谷奥にある山の磐座に祀ったそうです。その後現在の場所に神社が建てられご神体を安置されたと言う事です。  
 元亀年間神社が建てられたおり、御神像を近くの川で洗い清め安置されました。その場所を塩掛けと呼ぶようになったそうで、赤子の初詣には、そこで赤子を清め神社に参拝する習わしだそうです。
 拝殿と本殿です。
 神殿の横に、一対の狛犬が置いてありました。恐らく、前の狛犬で損傷が激しくなって引退したものと考えます。 
 この後、西吹の二村神社へ向かいます。

オッサンのブラリ一人旅(二村神社 古市見内)

 秋に、紅葉を観に文保寺を訪ねたおり、二村神社を見つけ立ち寄ったのですが、後で調べると篠山市内に四つの二村神社が存在することを知りました。
 ならばと、二村神社を観て回る事にしました。
 先ず、訪ねたのが篠山市古市見内にある二村神社です。 
 ここが、二村神社の元となった神社です。
 境内の入り口には鎖が張られており車の侵入を防いでいます。横から境内に入る事が出来ます。
 ここは、鳥居の両脇に狛犬が鎮座しています。
 鳥居には「正一位二村神社」と有ります。この神社が二村神社の元であることを示しているのでしょう。
 古市見内の二村神社は、創祀は不詳ですが、奈良時代小野道風の描いた額を下賜されたという事で、それ以前に創祀されたと思われます。祭神は伊邪那岐命と伊邪那美命を祀っています。
 神社に伝わる話として、伊弉諾尊(伊邪那岐命)が天から降りるとき、剣を落とし一羽の鶏に「剣が倒れて居れば鳴け、刺さっていたら鳴くな」と、命じました。地に降りた鶏は剣が倒れているのを見て、大声で「コケッコー」と鳴いたそうです。そこで伊弉諾尊は「この土地は堅く、神の住める土地である」として伊弉冉尊(伊邪那美命)を伴いこの地に降りたのが二村神社の始まりとされています。
 神殿ですが、拝殿と本殿が分かれていません。それとも、手前の屋根のところが拝殿となっているのでしょうか? 
 境外社が4社有るのですが、何も表示が無く何を祀っているのか?分かりません。
 その中で気になる社が1つ有りました。傍らに群八十八ヶ所霊場会(多紀仏教協和会認)と有ります。神社にはあるはずのないものです。 
 二村神社の元の神社なのですが、かなり質素な神社でした。この後、真南条の二村神社に向かいます。

オッサンの手抜き飯(七草粥おじや風)

 明日、1月7日は七草粥です。人日の節句に食される日本の行事食です。1年の無病息災を願って食され、正月に弱った胃腸を休める為とも云われています。七草粥は平安時代には行われていましたが、室町時代の汁物が原型とも云われています。
 これは3年前、シーサーブログで公開したものですが、参考になればと思いこちらでも公開します。
 本当は、朝に食べるものですが、なかなかそんな事は出来ません。今晩、七草粥を食される方や、明日の夕食に食される方も居られると思います。オッサンは7日の夕食に食べる事にします。
 用意したものは、七草のセットとご飯。七草は適当に切っておきます。
 土鍋に水を入れ出汁を作ります、本出汁と塩を一つまみ入れ煮立てます。
 出汁が煮立ったらご飯を入れ一煮立ち、七草を入れ更に一煮立ち、最後に溶き卵を入れて、火を止めて蓋をします。
 暫くすれば、出来上がりです。1食では食べ切れません、残りは次の食事でどうぞ。 
 今年は、どんな出汁で作ろうか?と、考えています。
 シーサーブログはこちらです。
 http://syowyoutei.seesaa.net/ 

オッサンのブラリ一人旅(當勝神社)

 粟鹿神社をスマホのナビ機能で検索していた時、偶々當勝神社というのにヒットしました。どうやら粟鹿神社の近くらしいと言う事で、粟鹿神社にお参りした後行くことにいました。距離的には粟鹿神社から1kmと離れていません。
 どんな神社なのか?思いをめぐらせながら當勝神社にやって来ました。當勝と書いて「まさかつ」と呼ぶそうです。
 神社にやって来た時、参道には駐車場に向かう車の列が続いていました。
 當勝神社にやって来ました。のぼりには當勝稲荷大明神となっています。石段を登ると境内です。
 一の鳥居と参道の石段です。神門迄6つの鳥居が有ります。
 石段を登りきると、神門が見えてきます。此処の神門も随身門と言います。
 随身門とは、随身姿の守護神像を左右に安置した神門を云います。随身と言うのは、平安時代に貴族の警護に従事する官人のことです。
 随身門を潜って境内にやって来ました。神殿と狛犬です。此処の狛犬は屋根の下に鎮座しています。
 當勝神社は奈良時代に創建されたと伝えられる古社で、旧社格は村社になります。
 現在の拝殿、本殿共に江戸時代末期に建てられたものだそうです。主祭神が正哉吾勝勝速日天之忍穗耳尊、配祀神には高皇産巣日神と栲幡千千姫命が祀られています。それぞれ開運繁栄、万物創生、織物の神として祀られています。
 拝殿と本殿です。
 當勝天神、靖霊社、逆杉社です、當勝天神の社は當勝神社の旧本殿だったそうです。更に當は当の字の旧字と言う事で受験生が多く参拝するそうです。 
 本殿の裏側に、稲荷神社への参道が有ります。
  急な石段を登りきると、當勝稲荷大明神が有ります。稲荷神社です。
 他にも、この神社は、社叢林が境内を中心に3haに及び貴重な植物が群生し市指定の天然記念物となっています。 

オッサンのブラリ一人旅(但馬五社巡り 粟鹿神社)

 公約通り、元日の午前、初詣がてら粟鹿神社にお参りしてきました。
 粟鹿神社は、北近畿豊岡自動車山東ICを降りてすぐのところに有ります。
 当日は好天に恵まれたのですが、年末寒波の影響で雪が残っていました。 
 粟鹿神社に到着しました。
 鳥居をくぐって参道を進むと、勅使門が有ります。
 勅使門の勅使とは、天皇の使者で、資格を以て天皇の代理として宣旨する事から、勅使を迎える側が勅使より上位の者であっても天皇として敬意を払う事とされました。しかし江戸時代、江戸城においては将軍が上座、勅使が下座に座るという逆転現象が有りました。
 その勅使を迎え入れる為の施設が残されているところが有り、粟鹿神社では勅使門が残っています。
 粟鹿神社では、四回の勅使参向があったという記録が残っているそうです。此処の勅使門は建築物としても貴重な物の様です。現在、この門からの出入りは出来ません。
 勅使門の隣に、神門が有ります。この神門は随身門、日の出門ともいうそうです。
 神門の左右には木造著色随身倚像が安置されています。製作年代は不明ですが、江戸時代前期に修理された事と、1683年に再興された事は判っています。 
 境内に入り少し進むと神殿が有ります。狛犬も雪を被っています。
 粟鹿神社は但馬國で最も古い神社とされており、2000年以上の歴史が有ると云われています。但馬国造の日下部氏との関係も深いとされています。主祭神は彦火々出見命、日子坐王、そして大国主の子、阿米美佐利命の3柱となっています。
 粟鹿神社には、鹿が粟を3束銜え山から現れ人々に農耕を教えた事から、その山を粟鹿山と呼ばれ、鹿を祀った事から粟鹿神社となったようです。
 粟鹿神社の格式は但馬一宮又は二宮となっていますが、諸説あるようです。
 拝殿と本殿です。 
 主祭神にお参りした後、境内を散策します。
 いくつもの境内社が有ります。神社の境内に有る本社以外の社を、境内社、摂社、末社などと言いますが明確な定義は無い様です。簡単に言うと、その神社の本殿以外の社を境内社と呼ぶ様です。その中で御祭神と縁の深い神様を祀った社を摂社、それ以外の社を末社と呼ぶ様です。また、境内の外に有ってもその神社が管理管轄する社を境外社と呼ぶ様です。
 少し奥に入ると石段が有りました。それを登りきると稲荷神社です。保食神が祀られています。稲荷神社から下を見てみました
 茗荷神社(祭神は草野姫命)と厳島神社(祭神は市杵島姫命)、天満宮(祭神は菅原道真)です。 
 こちらは猿田彦神社(祭神は猿田彦神)です。社のなかを覗いて視ると、神馬像が鎮座しています。





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 あと、床浦神社(祭神は大己貴命)が有りますが、画像に収めることが出来ていません。
 外へ出ようとすると、随身門には木彫りの狛犬が鎮座しています。丁度木造著色随身倚像の裏側に当たります。木造著色狛犬像と言います。製作年代は不詳ですが、作風は鎌倉時代風ですがそれほど古くはなく江戸時代前期のものと思われます。
 外に出て、近くにご神木が有るそうなので、行ってみます。
 ご神木です。
 神社の南側にもう一つ鳥居が有りました。南側の参道です。その風景です
 これで但馬五社を全て廻った事になります。約2ヶ月掛けて回ったのですが、ご利益が有るでしょうか?
 この後、近くに當勝神社というのが有るそうです。ついでに行ってみる事にします。

オッサンのブラリ一人旅(但馬五社巡り 養父神社)

 明けましておめでとうございます。
 出石神社からの帰り道立ち寄ったのが養父神社です。格としては出石神社や粟鹿神社が一宮、二宮に対し、絹巻神社、小田井縣神社と同じ三宮になります。
 当日は、工事中で境内の伐採作業をされていました。それでも参拝は可能です。神社は高台に有ります。 
 参道を登りきると、山陰本線と円山河を望むことが出来ます。
 振り返ると、養父神社が有ります。
 境内には2対の狛犬が鎮座しています。
 1対は普通に座っている狛犬です。 
雄の狛犬です
雌の狛犬です
 もう1対が、絹巻神社にも鎮座している。構え型の狛犬が居ます。実は狼像だそうです。
雌の狼像です
雄の狼像です
 養父神社は、地元では「養父の明神さん」と呼ばれ、農業の神とされています。養父市は古くから但馬牛の市の中心地で今でも競り市が行われています。
 神社の創祀は崇神天皇の頃と伝えられており、737年の但馬国税正帳には、出石神社、粟鹿神社と共に養父神社の名前があったそうです。三宮といえども一宮に近い格式のある神社ではないのか?と思います。
 祭神は倉稲魂命、大己貴命、少彦名命、谿羽道主命、船帆足尼命の5座となっています。
 江戸時代の地誌には弥高山の山頂にあった上社に大己貴命、中腹の中社に倉稲魂命と少彦名命が、現在養父神社が有る場所(下社)に谿羽道主命を祀ると記されていますが。しかし、昭和初期の養父群誌では上社に保食神、五十猛神。中社が少彦名命、下社に谿羽道主命と船帆足尼命が祀られている事になっています。只、いつ現在の場所に五つの祭神がまとめられたのかは?不明です。
 江戸時代は、神仏習合していたようで、水谷山普賢寺と呼ばれ神前で般若心経が奉読されていたそうです。
 拝殿と本殿です。
拝殿です
本殿です
 本殿の横には朱色の橋が架かっています。橋の向こうに社務所が有ります。養父神社は紅葉の名所としても有名だそうです。紅葉の季節にはこの橋も見応えがあるようです。
 境内には、他にも社がありますが、ここでは摂末社ではなく境内社と称しています。摂末社と境内社の違いは?よくわかりません。
 何とか、元日に更新が出来ました。
 お正月は、残りの一社、粟鹿神社に初詣と行きたいと思います。

オッサンのブラリ一人旅(但馬五社巡り 出石神社)

 明けましておめでとうございます。
 お正月に、但馬五社巡りをすると大変ご利益が有ると言う事ですが、5つの神社を一度に周る事はとてもハードルが高く回れるものではありません。そもそも、お正月に周るとご利益が有るというのも、絹巻神社を公開するために調べていて知った位ですから・・・、そこでブログの公開だけはお正月に公開しょうと、行ってきました。今回は、クリスマス前に、出石神社と養父神社に行ってきました。
 先ずは、出石神社へと車を走らせます。
 駐車場に車を止めて、出石神社に到着です。
 参道は神社迄真っ直ぐに続いています。
 神門です。この鳥居は両部鳥居と言う形状らしく、神仏習合の神社に多く見られるそうです。出石神社が神仏習合の神社かどうか?は不明です。 
 鳥居には一宮の表示が有ります。但馬には、一宮が2つ在るようで、一つがこの出石神社、もう一つが粟鹿神社と成っていますが、サイトで調べていると、出石神社が一宮で粟鹿神社は二宮であったり、出石神社の記載がなかったとするものや出石神社が二宮とするサイトも有りました。  
 神門をくぐると境内に入ります。
拝殿です。
 出石神社は出石盆地東縁に鎮座しています。過ってはこの辺りが出石の中心市であったとの事です。現在の出石市街地は山名氏が居城を移してからの発展となっています。
 この神社は古事記や日本書紀などに記載されている、天日槍伝説の中心となる神社です。天日槍は祭神としても祀られています。祭神は伊豆志八前大神(出石八前大神)と天日槍命となっています。
本殿です。
 摂末社は4社有ります。
 夢見稲荷神社です。祭神は宇賀能魂。
  比売神社です。祭神は麻多烏(天日槍の妃神)
  市杵島比売神社は浮島の上に有ります。祭神は市杵島比売命
  菅原神社です。 祭神は菅原神
 出石神社は地元では出石開拓神として信仰されており但馬では代表的な古社です。
 この後帰路に付きますが、その序でに養父神社に立ち寄ります。