オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 岡崎宿~藤川宿)



 今回は、岡崎宿から藤川宿一里二五丁(7.3Km)へ妄想を馳せます。



 藤川宿の西の入り口は、西棒鼻と言う事です。
 岡崎宿と西棒鼻の、間に有る史跡等は大平一里塚、大岡越前守陣屋跡、吉良道々標、藤川一里塚、十王堂、藤川西棒鼻跡と続きます。



 岡崎宿を出発して、暫く行くと大岡越前守陣屋跡に着きます。江戸町奉行の大岡越前が一万石の大名になってから明治まで大岡家が西大平藩主として陣屋をおいていました。手前には、大平一里塚が有ります。
 大岡越前守陣屋跡から、かなりの距離を行くと、吉良道と分岐する吉良道々標に差し掛かります。吉良道は三河湾から海産物などが運ばれた重要な街道だったそうです。此処の吉良と言うのは、忠臣蔵の吉良上野介が領主を務めた所です。芝居では悪人ですが、実際は名君だった説も有ります。



 吉良道々標から少し進むと、西の入口、藤川西棒鼻に到着です。藤川宿では、西棒鼻、東棒鼻共に復元されているそうです。大名が通るときは本陣、問屋が出迎え口上を述べていたらしいです。
 その手前には、十王堂が有り、境内には芭蕉の句碑が有るそうで、脇には藤川一里塚も有ります。十王堂は冥土で死者を裁く、閻魔大王を元とする十人の仏様を祀ったお寺です。
 西棒鼻を過ぎると、藤川一里塚です。宿場には、藤川宿脇本陣跡、本陣跡、問屋場跡、高札場跡、などの史跡が有ります。
 脇本陣は藤川宿資料館となっており、当時の歴史を無料で学べる様です。門だけが当時のものだそうです。
 本陣、問屋場、高札場は碑が有るだけの様です。



 藤川宿の美味しいものです。探してみました、藤川宿ではむらさき麦が名産品の様です。道の駅藤川宿でむらさき麦を使ったメニューが提供されているそうです。
 次は、赤坂宿を目指します。距離にして二里九丁(10.3Km)の道のりです。



オッサンの競馬予想(フェブラリーステークス 2020)



 先ずは、年末の有馬記念の回想からです。
 有馬記念は、2番人気の6リスグラシューが最後の直線で1番人気9アーモンドアイを抜き去り有終の美を飾りました。2着には3番人気の10サートゥルナーリアが入り、3着は序盤最後方に待機していた4番人気7ワールドプレミアが来ました。結果、2番人気、3番人気、4番人気という着順でしたが配当は3連単で57860円と言う思わぬ高配当でした。やはり人気が9アーモンドアイに集中していた為でしょうネ!
 注目の1番人気9アーモンドアイですが、4コーナを回ったところで追い上げを見せ、このまま先行馬を抜き去り勝つのだろうと思ったのですが、外から6リスグラシューに抜かれてからは見る見る失速と言う感じで、走る気が無くなったように見えました。陣営もアクシデントではないという事ですので一安心と言ったところでしょうか?
 2月23日は、フェブラリーステークスです。GⅠの開幕レースです。レース名のFebruaryの通り、2月に開催されているレースは、1997年にGⅠレースとなりました。
 そのフェブラリーステークスは2月23日に東京競馬場で行われます。



 傾向と対策です。
 人気別の成績です。
  • 1番人気 1着 10回 2着 3回 3着 4回 
  • 2番人気 1着 4回 2着 6回 3着 4回 
  • 3番人気 1着 3回 2着 5回 3着 2回 
  • 4番人気 1着 2回 2着 3回 3着 4回 
  • 5番人気 1着 2回 2着 4回 3着 0回 
  • 6番人気 1着 3回 2着 0回 3着 4回 
  • 7番人気 1着 1回 2着 2回 3着 3回 
 1番人気の信頼度は、勝率がかなり高いのですが、馬券率は標準的な感じです。とは言えよほどのことが無い限り1番人気を切る事は出来ません。2番人気も馬券率54%となっています。大方は勝ち馬が7番人気迄、連対、馬券が1桁人気迄となります。
 コース的には、最内の1コースが2着1回、3着1回と他のコースを走った馬の半分以下の成績ですよほどの実力差がない限り外すことも考えなければなりません。
 前走レースでは、根岸ステークス(GIII)チャンピオンズカップ(GI)組が5勝、平安ステークス(GIII)地方競馬からの出走が4勝、東海テレビ杯東海ステークス(GII)からが3勝しています。特筆すべきなのが地方競馬を走った馬が2着10回、3着9回となっています。とは言え中央の馬が前走地方競馬を走ったケースが殆どです。前走、地方で走り名をかつ中央で成績を残している馬は要注意です。
 馬齢的には、やはり勝ち馬は6歳迄となります。2着・3着で7歳、8歳が来ることも有ります。



 さて、予想です。
 人気上位馬です。
  • 1番人気 12 モズアスコット
  • 2番人気 5 インティ
  • 3番人気 9 サンライズノヴァ
  • 4番人気 2 アルクトス
  • 5番人気 3 ワイドファラオ
  • 6番人気 7 ヴェンジェンス
  • 7番人気 10 ノンコノユメ
 1番人気は12モズアスコットです。ダートに転向した前走根岸ステークス(GIII)で勝っています。フェブラリーステークスで真価を問われます。
 2番人気の5インティは、去年の覇者で、前走東海テレビ杯東海ステークス(GII)も3着と安定しています。
 3番人気が9サンライズノヴァ、昨年は中央で結果が出ていません。
 4番人気2アルクトスは南部杯2着からの出走で、騎手相性も悪く有りません。
 5番人気10ノンコノユメは8歳馬と言う馬齢です。一昨年このレースで勝ってから馬券に絡んでいません。はっきり、苦しいかと感じます。
 6番人気は3ワイドファラオ、4歳馬ですが力的に苦しいのか?と思います。
 7番人気の7ヴェンジェンスは前走東海テレビ杯東海ステークス(GII)2着です。7歳と言う馬齢が気になります。



 予想としては、◎2アルクトス〇6ミッキーワイルド▲5インティ△12モズアスコット、3ワイドファラオとなりました。
 〇6ミッキーワイルドは11番人気ですが、前走根岸ステークス(GIII)で11着に終わってしまった為だと思われます。前走根岸ステークス(GIII)でも2番人気でしたので力は有ると感じます。
 ▲5インティ△12モズアスコットは、力は有りますが、6歳と言う事で軸には出来ませんでした。必然的に本命は2アルクトスになります。△3ワイドファラオは後1頭選ぶとなった場合4歳5歳馬で魅力のある馬が見当たりませんでした。取り敢えず人気を集めている3ワイドファラオを選びました。
 ◎2アルクトス〇6ミッキーワイルド▲5インティ△12モズアスコットの4頭に何が絡んで来るか?と言ったところでしょうか?



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 池鯉鮒宿~岡崎宿)



 池鯉鮒宿から岡崎宿への妄想をします。距離にして約三里三十丁(15.3Km)の道のりです。



 池鯉鮒宿を出ても、岡崎宿へ向かう道沿いには、池鯉鮒宿に関わる史跡が幾つか有ります。
 池鯉鮒宿、岡崎宿間には、来迎寺、松並木、尾崎の一里塚、明治用水碑、八丁味噌蔵、岡崎城下二七曲道標板屋町角などの史跡があります。岡崎宿の西の入り口としては、岡崎宿西本陣跡だとは考えるのですが、かなり東の方へ来てしまいますので、岡崎城下二七曲道標板屋町角を西の入り口とすることにしました。
 池鯉鮒宿を出発し、暫く行くと来迎寺に到着です。来迎寺は、臨済宗のお寺です。お寺の前には来迎寺一里塚が有り、街道の両側に現存しています。
 来迎寺から2Km程進むと明治用水碑に差し掛かります。明治用水は西三河一帯に灌漑する用水路でした。現在は記念碑が残っているようです。その周辺には松並木が続いています。知立の松並木、安城の松並木、尾崎の松並木と有るとの事ですが、調べてみると、知立の松並木も安城の松並木も明治用水の辺りがそれらしいとの事です。どうやら同じものなのかもしれません。尾崎の松並木もさほど離れていない様です。



 ここから、少し距離は有ります、岡宿の手前まで進みます。矢作川を渡り街道を行くと、味噌工場が立ち並ぶ地域に来ます。八丁味噌の蔵屋敷です。ほどなく、岡崎城下二七曲道標板屋町角に、東海道五十三次です。取り敢えずここを、西の入り口にしておきます。
 岡崎宿は、岡崎城の城下町でもあり、徳川家康生誕の地でもあります。又、駿河国駿府宿に次いでの規模を誇る宿場町でした。



 岡崎宿の史跡には、岡崎城、東惣門跡、岡崎信用金庫資料館、岡崎宿西本陣跡、岡崎二七曲碑などが有ります。
 二七曲碑は、防衛の意味で城下の道が屈折しているのが常で、岡崎宿の二七曲はその典型の様です。曲がり角ごとにその碑があると言う事ですが、見つからない物もあるそうです。
 岡崎城は戦国時代から松平氏の持城で徳川家康の生地でもあり、別名龍城とも言われます。お城は、整備された岡崎公園の中にあり、多くの史跡があります。



 岡崎信用金庫資料館は、1917年に建てられました。ルネッサンス様式の建物は大正時代に流行っていた幾何学的な意匠も織り交ぜられています。
 岡崎宿西本陣は、当初本陣が二軒有ったそうですが、後に本陣が三軒、脇本陣が三軒と言う規模になった様です。



 さて、岡崎宿の美味しいものですが、地域が岡崎市のご当地グルメを売り出そうとかなり力を入れられているようです。その中で、これは?と言うものが有りました。
 岡崎まぜ麺は、店によって和洋中、創作と有ります。八丁味噌蔵群のキャラクターのどら焼き、八丁味噌のソフトクリーム、八丁味噌の田楽など何を食べるか?迷う感じです。
 次の妄想は、藤川宿一里二五丁(7.3Km)への旅です。



オッサンのブラリ一人旅(浪速七幸巡り 安居神社)



 この記事は、2016年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 今宮広田神社を後にして、国道25号線を四天王寺目指して歩きます。この日は、最高気温が30度に届こうか?と言う晴天の中、逢坂までやって来ました。
 逢坂沿いに、こんな所が有りました。安居神社・安居天満宮・真田幸村戦死の地?偶然見つけたのですが、なかなか興味深いキーワードが盛り込まれています。気力的にまだ余裕が有ったので、散策(徘徊?)してみることに。
 ビルの谷間に、森と参道が有ります。そこを抜けると神社が現れます。
 安居神社の創建年は不詳ですが当初、少彦名神祀られていましたが、菅原道真が大宰府に流されるとき風待ちの為此処で休息をとった事から、道真公も祀られ安居も名が付いたとも、言われています。また、天王寺三名水の井戸が在る事から「安井」と呼ばれた等諸説あるようです。更に、大丸の創業者が信仰していたことから大丸天神と称されることも有るそうです。
 真田幸村は大坂夏の陣に敗れ、退却の途中この地で、休んでいたところ、敵に見つかり討ち死にしたと言う事です。
 幸村は、境内にある一本松の下で戦死したのですが、当時の松は枯れ死しましたが、社殿復興を機に植樹されたそうです。
さなだ松
 当然、天神宮には、牛がいます。本殿の中までは撮ることが出来ませんでした。狛犬はこんな感じです。
 御多分に漏れず、稲荷神社が有ります。もう一つの祠は金山彦神社です。
 友好都市の長野県、上田市から送られたしざれ桜です。
 西側の参道からの風景です。少し歩くと国道25号に出ます。
 境内から下を見た景色です。降りて行くと天神坂が続きます。
 天神坂を歩き出すとすぐに、湧水が有ったのですが、この時は、水が有りませんでした。
 途中こんなお寺も有ります。不動明王が安置されています。坂を見下ろすと、映画かドラマのロケーションに使えそうです。
 この後、四天王寺へ向かいますが、四天王寺から廻っていたら、おそらく、四天王寺だけで終わっていたでしょう。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 鳴海宿~池鯉鮒宿)



 2月16日の所さんお届けモノです!では、チャンカワイさんが東海道見付宿から袋井宿、掛川宿、日坂宿、金屋宿と歩いていました。これで、ちちんぷいぷいの昔の人は偉かったと出会った事になります。



 鳴海宿から池鯉鮒宿二里三十丁(12.2Km)の妄想です。地鯉鮒宿は知立宿とも表示することがあるようです。



 池鯉鮒宿の京都側の入り口は、知立古城址を過ぎた辺りが入り口にあたります。
 鳴海宿から池鯉鮒宿の間には岡家住宅、有松・鳴海絞会館、桶狭間古戦場、高徳院、阿野一里塚、洞隣寺、総持寺、知立神社、知立城跡などの史跡や見どころがあります。



 鳴海宿を出て、程なく有松・鳴海絞会館が有り、絞作業の見学や展示販売されているそうです。その周辺は重要伝統建造物群保存地区になっており、岡家住宅他、有松の街並みを視ることが出来るようです。
 絞会館から少し行くと、桶狭間古戦場です。勿論、織田信長が兵力2万5千の今川軍を三千の兵で破った桶狭間の戦いの舞台になった場所です。現在は公園になっていて、今川義元の墓なども有ります。
 古戦場の近くにある、高徳院は高野山真言宗のお寺です。今川義元は桶狭間の戦いの為に本陣をここに置いたと言う事です。古戦場、高徳院共に今川義元に纏わる史跡が多く有ります。又、近くには中京競馬場が有り、競馬開催日と重なった場合はそちらで1発勝負?
 古戦場の先に阿野一里塚が有り、江戸から86番目の一里塚です。街道の両脇に現存する一里塚は国の指定史跡だという事です。この一里塚を離れ境川を渡ると、尾張国から三河国に入ります。



 三河国に入り少し行くと、洞隣寺です。曹洞宗のお寺で開基は徳川家康の叔父で刈谷城主の水野忠重と言う事です。刈谷城は西へ数キロ離れた所で亀城公園として整備されています。
 洞隣寺から少し行き、逢妻川を渡ります。すぐに総持寺と知立神社が有ります。
 総持寺は、天台宗のお寺で、家康の側室於万の方生誕の地とされています。知立神社の境内に総持寺が有る様な感じです。
 知立神社は三河国二宮で江戸時代には東海道三社の一つに数えられたそうです。境内には多宝塔がありますが、これは12月に紹介した柏原八幡神社の三重塔と同じように塔から本尊を省き文庫にすることにより、神仏分離令から逃れた様です。本尊は総持寺に有るとの事です。
 総持寺の数百メートル先には、知立城跡が有ります。知立城は知立神社の神主の築城とされており、その居館が城の始まりとされているそうです。現在は公園になっていて石碑と案内板があるだけと言う事です。



 知立城跡を過ぎた辺りが、池鯉鮒宿の入り口と言う事です。
 池鯉鮒宿は、江戸から39番目、京都からは15番目の宿場です。池鯉鮒は歴史的仮名遣いで(ちりふ)と読まれます。中世には鎌倉街道の要衝として江戸時代は東海道の宿場町として栄えた所です。池鯉鮒の地名は、近くに鯉や鮒の多く住む池があった事ではないか?と言う事です。
 宿場内には、池鯉鮒宿本陣跡、問屋場跡、慈眼寺の史跡があります。本陣跡、問屋場跡は跡碑のみとなっています。
 慈眼寺は、福聚山慈眼寺と言い阿弥陀如来を本尊とする曹洞宗のお寺です。お寺の東側は馬の集積地で馬市も開かれていたそうで、馬の供養の為馬頭観音が祀られたという事です。
 鳴海宿から池鯉鮒宿間のルートプランは有松・鳴海絞会館―桶狭間古戦場―高徳院―阿野一里塚―洞隣寺―総持寺―知立神社―知立城跡と言った計画になります。
 宿場内の計画は、本陣跡―問屋場跡―慈眼寺となります。



 さて、池鯉鮒宿での美味しいものは、いもかわうどんと言うのが有ります。平打ちのうどんできしめんのルーツとも言われている物です。明治時代に途絶えていましたが、2007年に復活したそうです。鳴海宿から池鯉鮒宿の間で食べなければいけない物だと思います。
 次回は岡崎宿へと妄想の旅をします。距離は約三里三十丁(15.3Km)となります。



オッサンのブラリ一人旅(浪速七幸巡り 今宮廣田神社)



 この記事は、2016年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 今宮戎神社の北にも鳥居が見えています。戎神社の関連施設か?と思ってしかず来ました。廣田神社となっています。時間にも余裕が有り、少し覗いて視ようと思い立ち寄りました。
 境内に入るとすぐに、こんな物が有りました。アカエは、痔疫の平癒を祈り、アカエの絵馬を奉納するもので、痔・地、音が通じていることからこの地の守り神になったとか?
 百度廻り石はこの石と本殿の間を回ってお百度参りをするそうです。
 こちらの狛犬は至って普通と言う感じです。
 本殿です。今回もちゃんとお賽銭をさせていただきました(エヘン!
 本殿の左側に、稲荷神社に続く鳥居が有ります。他の神社のお稲荷さんは、有るのかと言う程度でしたが、こちらは、少し由緒が有りそうです。只、調べてみましたが、行ってきました。と言う程度の紹介だけで、神様については触れられていませんでした。赤土稲荷です。祭神は米倉稲荷大神・楠稲荷大神・赤土稲荷大神です。造も、ほかの稲荷神社とは違います。神社の裏へ回れるのは。天満神社宮の稲荷神社と同じです。
 西側の門からの境内です。本殿の他にもこんな祠も。アカエの絵馬も奉納されていました。
 一通り境内を散策し本殿の前を通りかかると、本殿横の受付におばさんがいました。少し話を聞いてみようと思い。声を掛けました。
 この神社は、戎神社と同じく四天王寺の守り神として作られたそうです。そして西宮の廣田神社(実は、廣田神社が神戸にあると、思っていておばさんが西宮の廣田神社と言うのを神戸の、と言っていました。後で調べるとやはり西宮の廣田神社でした。)と同じ撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと。天照大神の荒魂)を祀る系統で、格は西宮の方が上との事です。現在は、地域の氏神様として存在しているそうです。
 戎神社が思ったより小さい事を言うと、カメラワークのマジックでそう見るらしいとの事でした。戎神社より廣田神社の方が面白いと言うと、戎神社は整備されて綺麗だけどこっちは森の中の古いままの神社だからと、自虐気味に言って居られましたが決して、そんな積りで言ったのでは無いのですが…。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 宮宿~鳴海宿)



 宮宿から鳴海宿に向かいます。距離にして約一里半(7.3Km)の道のりです。



 鳴海宿の京都側の入り口、丹下町常夜燈迄の間には、熊野三社、笠寺観音、笠寺一里塚、千句塚公園、千鳥塚、などの史跡があります。



 熊野三社は勿論、熊野三山を総本山とする神社です。永禄年間に山崎城城主佐久間信盛が守護神とする1627年氏神としてこの地に移されました。この神社は、熊野三社松巨島(くまのさんしゃまつこじま)とも呼ばれています、熱田の方から見るとこの辺りが松の大きな島に見えた事から来ているそうです。山崎城は、神社の手前にある安泰寺の境内がお城だったと言う事ですが案内板などは内容です。
 笠寺観音は本来天林山笠覆寺と言います。十一面観音を本尊とする真言宗智山派のお寺で尾張四観音の一つです。尾張四観音とは尾張国の代表的な四つの観音寺で、笠覆寺他に荒子観音、甚目次観音、龍泉寺観音があり、いずれも開基から1000年以上のお寺との事です。笠寺観音の先には、笠寺一里塚があり名古屋市内で現存する唯一の一里塚です。
 千句塚公園は松尾芭蕉が自ら築いた句碑が有る公園です。句碑には「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」とあります。千鳥塚も公園内にあり、他に稲荷神社も有ります。またデートスポットとしても知られており名古屋港などの夜景が楽しめるそうです。
 千句塚公園から少し行くと、丹下町常夜燈に差し掛かります。此処が、西の入り口になります。その手前には、成海神社が有ります、日本武尊を主祭神とする神社です。



 鳴海宿は、江戸から40番目、京都からは14番目の宿場です。成海宿とも呼ばれ、昔は海に面した宿場でしたが土砂の堆積で海から離れています。江戸時代から始まった鳴海絞は、今も伝統産業として続いています。
 その鳴海宿には、丹下町常夜燈、成海神社、鳴海城址、鳴海宿本陣跡、瑞泉寺、平部町常夜燈、宿場から少し離れますが大高城址などが有ります。
 鳴海城は、別名根古屋城とも言われ、室町時代に安原宗範の地区と言う事です。しかし宗範没後1次は廃城になりました。しかし、戦国時代今川軍の武将が桶狭間の戦いで織田信長軍と戦い城は信長の手に渡り、天正年間廃城となりました。現在は公園になっていますが、向の神社に城跡碑と説明看板が有るだけだそうです。
 近くには鳴海宿本陣跡があります。江戸時代「鳴海の本陣はここにあり」と言われたようで、かなりの規模だった様です。予備の脇本陣も二軒有ったそうです。
 瑞泉寺は、鳴海城主安原宗範の創建で大徹禅師を開山とする曹洞宗のお寺です。鳴海宿は寺町でもあり「鳴海寺詣り歌」と言う宿場の寺社を歌ったわらべ歌が有ります。歌の歌詞をなぞって、お寺参りと言うのも良いかも知れません。
 平部町常夜燈は東の入り口にあたります。1806年に設置された常夜燈は大きく華麗で道中有数のものです。
 大高城址は宿場から西へ2Km程離れた所にあります。桶狭間ので、松平元康(徳川家光)が兵糧入れをした城と言われています。江戸時代に廃城となりましたが、尾張藩は東の押さえとして万石級の家老を領主としました。



 宮宿~鳴海宿のルートプランが熊野三社―笠寺観音―笠寺一里塚―千句塚公園―丹下町常夜燈となりました。どのくらい、周れるかわかりませんが、東海道を旅している証になる画像を撮れればいいと思います。
 宿場内は、丹下町常夜燈―成海神社―鳴海城址―鳴海宿本陣跡―瑞泉寺―平部町常夜燈―大高城址と言う計画です。
 さて、鳴海宿での美味しいものは?やはり、鳴海宿で食べなければいけない物と言うのは有りませんでした。名古屋市内ですので、名古屋飯として一括りにされてしまうのでしょうね。
 この後は、知立宿(地鯉鮒宿)二里三十丁(12.2Km)への妄想を膨らませます。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 桑名宿~宮宿)



 2月13日のちちんぷいぷい、昔の人は偉かったでは日坂宿から掛川宿を歩いていました。お寺の名前は忘れたのですが、日本一大きな獅子舞が有るそうです。



 桑名宿から宮宿を目指します。七里の渡しでは七里と言う事ですが、陸路でも20Km程は有りそうです。



 桑名宿から宮宿へは、佐屋街道と言う別ルートも有ったようです。その間には佐屋宿、神守宿、万場宿、岩塚宿と四つの宿場が存在していました。その、佐屋宿と桑名宿の間にも三里の渡しが有りました。
 七里の渡しが一旦海に出て、宮宿へ行くのに対し、三里の渡しは川を行きかっていました。陸路と合わせると九里にもなり船賃も七里の渡しの倍以上でしたが、女人や子供には迂廻路として利用されていました。桑名宿側の船着き場はしてと同じ処の様で、佐屋宿側は、愛知県津島市にある様です。



 桑名宿と宮宿を結ぶ佐屋街道ですが、史跡や見どころも沢山有ります。
 佐屋宿では、水鶏塚1735年建立された芭蕉の句碑、浄法寺、代官所跡、などが有ります。
 隣の神守宿は佐屋街道で唯一現存する一里塚があり、他にも本陣跡、神守代官所跡が・・・。
 万場宿で、覚王院、国玉神社、秋葉社、光円寺など。
 岩塚宿では、八幡神社には本陣がこの辺りに在ったとされます。遍慶寺は岩塚城の城址石碑があり、七所社は日本武尊が腰掛けたという岩や、岩塚の由来となった古墳も有ります。七所社の道標は高札場が有ったところです。
 宮宿に行くには、陸路で向かうのですが佐屋街道がどのルートか?は又調べなければなりません。現段階では桑名宿から国道1号に出て宮宿に向かう事になります。



 宮宿は江戸から41番目の宿場で、中山道に繋がる美濃路や佐屋街道の分岐点で、東海道最大の宿場町です。同時に、熱田神宮の門前町でもあり、幕府や尾張藩の文書では宮宿ではなく、熱田宿と記されているそうです。
 宮宿の史跡や見どころとしては、当然宮宿側の七里の渡し跡です。現在公園として整備され、熱田湊常夜燈や時の鐘があります。また、桑名宿と宮宿を結ぶ七里の渡しですが、宮宿から四日市宿へ行く十里の渡しと言うものも有ったそうです。
 他には、都々逸発祥の裁断橋、東海道と美濃路の文書にあるほうろく地蔵、脇本陣格の旅籠丹羽家住宅、ひつまぶしの老舗蓬莱軒などが有ります。
 当然熱田神宮もお参りしないといけません。熱田神宮は尾張国三宮で神社本庁の別表神社に定められています。主祭神は熱田大神で神紋は五七桐竹紋です。



 さて、宮宿で美味しいものは?調べましたが、どうしても名古屋市の美味しいものとして一括りにされています。やはりここはひつまぶしとなるでしょう。蓬莱軒にこだわらずに探してみるのも良いでしょう。
 次は鳴海宿への妄想をします。鳴海宿へは約一里半(7.3Km)の道のりです。



オッサンのブラリ一人旅(浪速七幸巡り 今宮戎神社)



 この記事は、2016年5月にSeesaaブログで公開したものです。



 現在、なにわ七幸めぐりにチャレンジ中ですが。今回はその一つ、今宮戎神社です。この後、心が折れなければ、四天王寺まで足を延ばす心算です。
 地下鉄、大国町で電車を降り、国道25号を東へ5分程歩いたところにあります。
 今宮戎神社は言わずと知れた、商売繁盛の神様として知られる神社です。江戸時代から十日戎の祭事が始まったようです。元禄年間には現在のような祭礼が行われているそうです。元は、四天王寺が建立された際に、西の守り神として建てられたとの事です。祭神は天照皇大神、事代主神、素盞嗚命、月読尊、稚日女尊の5柱で、特に事代主神が(えびす)として信仰を集めました。
 国道25号から新しく整備された参道を抜けると神社が有ります。
 鳥居をくぐってすぐ脇に、こんな句碑が有ります。
 本殿の狛犬ですが、狛犬と言うより狛獅子?狛ライオン?
 本殿です、今回は、ちゃんとお賽銭をさせていただきました。罰当たりな事はしておりません。(エヘン!)
 本殿の周りを歩いてみました。三方の画像です。有名な神社の割に境内が、狭いという印象です。
 稲荷社と大国社です。稲荷社は何処の神社にも有ります。大国社は大国町の地名に由来するのかと思ったのですが、それは別の神社だそうです。同じ浪速区に敷津松之宮が有り、そこが大国町地名縁の神社の様です。
 正門の他に、3か所の門が有ります。
 毎年、十日戎の報道を見ている者にとって、今宮戎のイメージはもっと大きな神社であろうと思っていました。今回の参拝で、何だか拍子抜けした感じです。



オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 四日市宿~桑名宿)



 四日市宿から桑名宿を目指します。三里八丁(14.5Km)の道のりです。



 四日市宿からから間もなく、三ツ谷の一里塚に差し掛かり、それを過ぎて暫く行くと力石があり、近くには羽津城跡があります。羽津城は15世紀後半、田原(藤原)盛宗により築城されました。盛宗はムカデ退治で有名な藤原秀郷の子孫だそうです。
 力石の先には富田の一里塚があります。江戸日本橋から98番目の一里塚です。この辺りは富田の立場だった所で賑っていたそうです。近くの、冨田駅の東側に冨田城が有ったそうですが、今は富田幼稚園に名残として銀杏の古木が残っているそうです
 富田の一里塚から暫く行けば、幕末の国学者橘守部の誕生地の遺跡があります。そこから少し行けば、伊勢朝日町駅の側に縄生の一里塚があり、近くには資料館なども有るそうです。
 朝日町駅からさらに進むと、町屋川に差し掛かり川を渡ると、伊勢両宮常夜燈があります。文政年間桑名や岐阜の材木商たちが寄進したものと言う事です。この辺りは舟遊びの船着き場もあり賑っていたそうです。



 少し行くと、矢田立場に突き当たりますが、途中の道は江場松原と言い松並木が続いていたらしいです。火の見櫓が復元されている矢田立場は旅人の休憩所として賑っていました。この辺りは戦災を免れたと言う事で昔ながらの家並みが見ることが出来るそうです。この辺りから街道は曲がり角が多くなりそうです。
 そのまま、進むと吉津屋見附跡があります。曲がり角が多い事から七曲の見附跡と言われているようです。吉津見附が京都からの入り口なのでしょうか?



 四日市宿と桑名宿間には他にも多くの神社仏閣、名所旧跡、史跡が点在しています。特に浄泉坊と言う浄土真宗本願寺派のお寺は、徳川家に縁のある、桑名藩主の正室の菩提寺だったこともあり参勤交代の折、大名たちはかごを降り黙礼したと言う事です。他にも、桑名市博物館や、安永餅店跡などがあります。
 桑名宿は江戸から42番目の宿場町で、宮宿に渡る七里の渡しを控えて大きく賑った宿です。同時に松平家の城下町でもあり、桑名城は、九華公園になっています。
 桑名宿内にも史跡や見どころが、七里の渡し跡は勿論、大塚本陣跡(船津屋)、脇本陣跡(駿河屋)、通り井跡、柿安本店、桑名宗社(春日神社)、海蔵寺(薩摩義士墓所)、佛眼院(喚鐘、桑名藩藩士墓所)他神社仏閣なども数多く有ります。



 さて、桑名宿で美味しいものと言えば、「その手は桑名の焼き蛤」?の蛤ですよね。色んな店で提供しているようです。店先でも販売している処もあり立ち食いも可能な様です。柿安本店は文明開化初期に開業した牛鍋屋由来の老舗の食品メーカーで外食事業でも老舗のお店です。他には、安永餅があります、これは四日市宿笹井屋のなが餅と同じもので、呼び名が違うだけの様です。只、四日市宿と桑名宿の間でしか食べられない感じがします。
 次は、宮宿に向かいます。約七里と言う事ですが、陸上を移動する場合でも20Kmほどはあるようです。